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つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠【季語=夜寒(秋)】


つぶやきの身に還りくる夜寒かな)

須賀一惠


 年に一度群馬県立女子大学でキャリア講座の講師として教壇に立っている。その講師はキラキラの成功者というよりは身近な存在感の現役世代。成功よりも失敗を語り、そのためには学生時代の今何をすれば良いのかを語ることを主眼としている。オンラインを含めると今年で7回目。初年はかなりオブラートに包んだ語りだったが、年々本音が出てきてしまっている。今年は次回以降出入り禁止になるのを覚悟で「親を泣かせてでも幸せになるべし」の一言を入れたところ担当の先生に響いたらしくとても励みになった。

 毎年少しずつではあるがバージョンアップしている。そのヒントとなるのは学生さんからの質問だ。いつも「こう答えれば良かった…」と悔やむ点があり、それを次回に反映させている。私の人生における失敗が誰かの役に立つかもしれない大切なタイミング。ここで話すことは30年前の自分に伝えたいことでもある。

 容姿は鏡で確認できるが、自分の言葉がどう伝わっているのかは聴き手の表情と返ってくる言葉からしか推し量ることができない。だから、ほんの一言でもリアクションがあると嬉しく思う。そんな時、自分の言葉が生きていると感じられ、自分が生きていると感じられる。

  つぶやきの身に還りくる夜寒かな   須賀一惠

 誰に言うでもなくつぶやいた一言。独り言という意識すらない。その音声は耳の奥に残り、つぶやいた内容は自分の中で消化するほかない。外に発したはずのつぶやきがブーメランのように自らに還ってくるのは誰にも届かなかったから。夜寒の空気を通過して少し冷たくなり、異物のような質感でそのつぶやきが我が身に再び収まった。夜の寒さが身に沁みる瞬間であろう。一人きりで自分と向き合うのはやはり夜であり、夜寒だ。「秋寒し」でもなく「肌寒」でもない。「寒さ」では救いがない。

 「つぶやき」という目に見えないものを「身に還りくる」という重みのある物質的な描き方をしたことで抽象が具象化された。寂しい帰還だが寂しさを出さずに叙しているのは作者(句集刊行当時90歳)の矜恃。感情的な要素は季語に負わせているのだ。

 冒頭に記した講座は昨年オンライン開催であった。教室のWiFi環境を鑑み、学生さんの顔は非表示。ウェビナー講師はいつもこんな感覚で話をしているのか。つぶやきではないがその一人語りはパソコンに吸い込まれていくような息苦しい感覚を覚えた。

 その講座で大好きな映画や歌を各自書き出してもらった。回収はせず、参加者自身のために。どうしようもなく落ち込んだ時、それに再び触れると心が軽くなるのでその「大好き」を記録しておいてほしかった。私も「君は1000%」で心が軽くなった経験がある。

『銀座の歩幅』(2016年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】

須賀一惠さんの句集『銀座の歩幅』は史上最高齢での俳人協会賞受賞!】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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