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秋天に雲一つなき仮病の日 澤田和弥【季語=秋天(秋)】


秋天に雲一つなき仮病の日

澤田和弥


ミステリー小説が好きだ。今年前半はアガサ・クリスティー熱が復活して、図書館で借りたり、電子書籍をダウンロードしたものを、日がなベッドに寝そべって読むという自堕落な愉しみに浸っていた。記憶力が悪いのも時にはいいもので、昔読んだ小説でも面白かったという印象ばかりが残り、犯人もストーリーも忘れていると何度でも驚いては感心出来る。

そんなミステリーの技法のひとつに「どんでん返し」がある。頭に描いていた筋が最後に見事に引っくり返るという、作者が読者に仕掛けるトリックだ。「え?ええ⁉」と愕然となるのが堪らない。クリスティーなら『検察側の証人』が有名だし、日本なら歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』が発売当時話題になった。伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』の終章もビックリした。映画では『ユージュアル・サスペクツ』。どんでん返しの結末が分かっているのに見る度にワクワクする。数年前のヒット作『カメラを止めるな!』もどんでん返しが痛快な映画だった。

 秋天に雲一つなき仮病の日

この句にもどんでん返しの魅力を感じる。秋天と言えば晴れ晴れと澄みきった空のこと。決まり文句の「雲一つなき」と大いにダブっている。何だかなぁ、と読み進めると、裏切るような「仮病の日」と来る。え?そうだったの?思わず、自分のサボり経験のあれこれが蘇る。私の場合、前夜の飲酒が祟ってのことだったりするけれど、どうにもこうにも心が冴えず世間から逃げ出したいような朝もある。この時の作者の気持ちが同じだったかは分からない。でも、「こんなにいい天気だから、病気を偽って遠出しちゃいました―」という暢気なものではないだろう。全き蒼天の下、小さな棘のように自分がいる。「仮病の日」の一語で句が結ばれた後、見えて来るのは初めに広がっていた雲一つない秋天とは異なる青空だ。

澤田和弥には一度だけ会ったことがある。このサイトで連載の続いた「神保町に銀漢亭があったころ」でも頻繁に取り上げられた湯島句会という、秀吉の大茶会みたいな句会の時だ。仲間と店の外でビールを飲んでいた彼を紹介された。余り社交的な方ではないので、ドギマギと簡単な挨拶をしただけで終わってしまったけれど、何故か二つの黒い鼻の穴を覚えている。小鼻を膨らませていたのか、それとも路地の暗さがそう思わせたのか、もう今では確かめる術もない。

『革命前夜』邑書林 2013年より)

太田うさぎ


🍀 🍀 🍀 季語「秋天」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり    日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ   しなだしん

>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵    五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる    飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率      岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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