ハイクノミカタ

少女期は何かたべ萩を素通りに 富安風生【季語=萩(秋)】


少女期は何かたべ萩を素通りに

富安風生


先週、爽波の句について考えるに富安風生の「わからぬ句好きなわかる句ももすもも」を引き合いに出した。風生をディスっていると思われたなら心外でして、むしろ風生の俳句は私の好みに合っている。分かり易く、詠まれる内容は重からず軽からず、濃すぎず淡すぎず。虚子の言うところの「静かに歩を中道にとゞめ」という作風を物足りないとする批評もあるだろうけれど、私は風生の句に退屈を感じることはない。

いま、手元に朝日文庫の「現代俳句の世界」シリーズの『富安風生 阿波野青畝集』を持って来たが、ぱらぱらとめくるだけでも掘り出し物がいくつも見つかる。目につくそばからおりゃおりゃぁ!とここに積み上げるわけにも行かないので、例えばこんな句はいかが。

 少女期は何かたべ萩を素通りに

「百花園」と前書きがある。百花園は墨田区東向島の江戸時代から続く小ぶりな庭園。アーチ状に竹垣を組んだ萩のトンネルが有名で、ちょうどこれから見頃を迎える筈だ。風生もおそらく吟行で訪れたのだろう。萩に立つ少女なら美しく可憐であろうに、この女の子たちときたら萩には目もくれず歩き食いしながら去ってしまう。まさしく「花より団子」の諺を地で行く景色にもかかわらず、通俗をすり抜けて淡彩画のような風情を湛えている。それは一つには「食べ」ではなく平仮名の「たべ」が柔らかなことと、口にしているものが具体的に描かれていないからなのだけれど、なんといっても少女(たち)ではなく、少女期という時間を主格に選んだ功績が大きいと思う。長い長い人生において少女という僅かな期間は儚く過ぎることを知っている人の目線なのだ。「一生の楽しきころのソーダ水」も同じ目線だが、七十代を迎えた風生は更に恬淡とした境地に立っている。もしかしたら、六十年前の自分が少年だった頃をふと重ねたのかもしれない。

話は逸れるけれど、デビッド・ボウイに「ファイブ・イヤーズ」というバラードがある。地球があと5年で滅亡するという歌詞で、誰もがパニックに陥り狂気と暴力が横行するなか、一人の少女がアイスクリーム・パーラーでミルクセーキを飲む姿が描かれる。危機などないような溌剌とした彼女を歌い上げるくだりがとても切ない。風生の句をじっと見ていたらこの曲がなぜか思い出されて、昔のCDを引っ張り出してしまった。スコッチのお湯割りをちびちび舐めながら名盤「ジギー・スターダスト」をしみじみ聴いております。ということで、また来週。

『現代俳句の世界5 富安風生 阿波野青畝集』朝日文庫より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり    日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ   しなだしん

>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵    五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる    飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率      岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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