春は曙そろそろ帰つてくれないか
櫂未知子
女の部屋で一夜を共に過ごした二人に明け方が訪れる。ついこの間まで真っ暗だった時刻だのにカーテン越しの空がうつらうつらの瞼に白さを映す。甘やかな後朝。だのに、女は心の中でこう呟く。そろそろ帰つてくれないか・・・。
掲句の面白さその1は、文学イントロクイズというものがあれば正解率ほぼ100%の『枕草子』の冒頭を引用した先のまさかの口語展開。
その2は、「そろそろ帰つてくれないか」の台詞が女の側から発せられる意外性。
どちらも読み手の虚を衝く。
生半可な知識で言うのだけれど、『枕草子』が書かれた平安時代の貴族階級では男は好いた女のもとへ通うものだった。情を交わしたのち男は有明の月の下に褥を去る。で、帰宅した男が女へ後朝の歌をよこすという粋なプロトコールがあったらしい。
ところが、だ。そんな平安浪漫は何処へやら、隣にはむにやむにゃと朝寝をほしいままにしている暢気な顔がある。あなたにはあなたの、私には私の新しい一日が始まるというのに。
もう帰っちゃうの?
男を泊まらせた女に期待というか、想定される台詞の底には存外こんな本音があったりもする。そこを白日の下に晒したところがなんとも爽快。
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】