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蓮根や泪を横にこぼしあひ 飯島晴子【季語=蓮根(冬)】


蓮根や泪を横にこぼしあひ)

飯島晴子

 『朱田』全体の景色は、題名にも表れている通り、前句集の『蕨手』に比べて格段に見晴らしがよい。もちろん『朱田』にも鬱蒼とした山奥や谷底の場面がないではないが、全体としては川や池、そして他ならぬ田といった開けたところが主となっている。蓮も比較的よく登場するわけだが、掲句は蓮的な開放感を存分に生かした一句と思う。

 蓮の世界は垂直方向にも伸びるがやはり水平方向優位であり、そしてその清浄さと相まって私は蓮に対して開けたイメージを持つ。では蓮根と言われるとどうだろう。当然泥とか、髭とか、蓮の世界を多少濁らせる要素はあるが、それ以上に、垂直方向の力が一気に加わることが特徴ではないか。掲句では泪が「横に」うごくわけだから、一句全体としては、垂直方向の力、水平方向の力との間の緊張感がまず印象的である。

 そして「横にこぼしあひ」からは、「蓮」のイメージに多少引っ張られているかもしれないが、連なって横たわる若い僧たちの泪が想起される。泪は清浄であり、しかし人間らしさを一滴残しているように思われる。それは一面に広がる蓮田の景と重なる。横方向に意識は引かれるのである。眼前にはない蓮の花から水が滴りおちるところも見える。そしてよく考えてみれば、蓮根さえもそれ自体は眼前にはない。見えないがゆえに余計に、水面下へと意識は引かれて、縦方向の力が働くのである。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】


【小山玄紀のバックナンバー】
>>〔34〕みどり児のゐて冬瀧の見える家 飯島晴子
>>〔33〕冬麗の谷人形を打ち合はせ 飯島晴子
>>〔32〕小鳥来る薄き机をひからせて 飯島晴子
>>〔31〕鹿の映れるまひるまのわが自転車旅行 飯島晴子
>>〔30〕鹿や鶏の切紙下げる思案かな 飯島晴子
>>〔29〕秋山に箸光らして人を追ふ 飯島晴子
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>>〔22〕露草を持つて銀行に入つてゆく 飯島晴子
>>〔21〕怒濤聞くかたはら秋の蠅叩   飯島晴子
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>>〔17〕本州の最北端の氷旗      飯島晴子
>>〔16〕細長き泉に着きぬ父と子と   飯島晴子
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>>〔12〕黒揚羽に当てられてゐる軀かな 飯島晴子
>>〔11〕叩頭すあやめあざやかなる方へ 飯島晴子


>>〔10〕家毀し瀧曼荼羅を下げておく 飯島晴子
>>〔9〕卯月野にうすき枕を並べけり  飯島晴子
>>〔8〕筍にくらき畳の敷かれあり   飯島晴子
>>〔7〕口中のくらきおもひの更衣   飯島晴子
>>〔6〕日光に底力つく桐の花     飯島晴子
>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
>>〔4〕遅れて着く花粉まみれの人喰沼 飯島晴子
>>〔3〕人とゆく野にうぐひすの貌強き 飯島晴子
>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
>>〔1〕幼子の手の腥き春の空   飯島晴子


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