羅や人悲します恋をして鈴木真砂女【季語=羅(夏)】


羅や人悲します恋をして

鈴木真砂女
(『生簀籠』)


 羅(うすもの)は、絽、紗、透綾、上布などの薄絹で作った、透けるような単衣の着物のこと。涼しげな装いであるとともに、儚げな印象がある。夏の句会で、とある女性が羅を着ていた。「涼しげに見えるけれども、結構暑いのよ」と言ったその女性もまた、人悲します恋をしていた。

 鈴木真砂女は、明治39年、千葉県鴨川市の老舗旅館の三女として生まれる。22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚をして一女を出産。夫婦仲は良かったものの、結婚7年目に賭博癖のあった夫が蒸発。娘を婚家に預け実家に戻る。その頃から姉の影響で俳句を始めたとされる。28歳の時に長姉が急死し、旅館を継ぐことになり、姉の夫と再婚。しかし2年後、旅館に宿泊した7歳年下の妻子持ちの海軍士官と恋に落ちる。そして出征する彼を追って出奔。その後、家に帰るが夫婦関係は冷え切り50歳で離婚。昭和32年、銀座1丁目に小料理屋「卯波」を開店する。平成15年、96歳没。

 俳人としては、大場白水郎の「春蘭」を経て、久保田万太郎の「春燈」に入門。万太郎死後は安住敦に師事。第16回俳人協会賞、第46回読売文学賞、第33回蛇笏賞を受賞し、現在もファンの多い俳人である。

 真砂女の波瀾に満ちた生き方は、丹羽文雄『天衣無縫』(昭和34年)や瀬戸内寂聴『いよよ華やぐ』(平成11年)などの小説のモデルとなった。瀬戸内寂聴は、自身も年下の男性と恋仲となり離婚した経験があるためか、筆の乗った小説として仕上がっている。

 離婚の原因となった、7歳年下の妻子持ちの海軍士官との恋は、男性が亡くなるまで続いたと言われている。男性は「卯波」に通い続け、昭和52年真砂女が70歳の頃に死去。〈死なうかと囁かれしは蛍の夜 真砂女〉相手の男性もまた一途だったのであろう。

  羅や人悲します恋をして   鈴木真砂女

〈人悲します恋〉の〈人〉とは、誰のことであろうか。相手の妻子は勿論のこと、夫、子供、旅館の人々であろう。一番悲しんだのは、恋人である男性かもしれない。一途な恋は、人を悲しませる。

 奔放とか自分勝手とか言われることもある真砂女だが、最初の結婚相手には蒸発され、再婚相手は急逝した姉の夫(婿養子)であり、旅館を継ぐために結婚したに過ぎない。現代と違い、然したる恋愛経験もなく結婚したのだから、女盛りの頃に運命的な恋をするのは仕方の無いことなのではと思ってしまう。旅館の女将が男性を追いかけて出奔というのは、確かに無責任な話なのではあるが。器用な女性であれば、人知れず恋をして恋のまま終わらせることもできたはずだ。真砂女は、自分に正直過ぎたのである。

 真砂女の純粋にして捨て身な恋は、多くの共感者を得た。旅館の娘であることに縛られず、男性に依存することなく自分の道を切り開き、恋を全うしたのである。夫婦となることが叶わぬ恋、誰からも祝福されることのない恋は悲しみでしかない。そして多くの人を傷つけてしまう。恐らくは自分自身が一番傷ついているのである。だけれども止めることができなかった。恋せずにはいられなかった。だから、胸を張って堂々と詠んだのだ。人悲します恋をして…。

 当時の恋愛観からすれば、許されない恋は、死を覚悟することもあった。しかし、死は選ばなかった。死んでしまえばもっと無責任になるからだ。だから生きた。生きて詠み続けた。真砂女の恋は、蛍のように儚げだが強い光を放つ。恋の句を詠み続けたことにより、死後、真砂女の恋の句は沢山の共感者を得、成就したのである。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

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