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夏場所の終はるころ家建つらしい 堀下翔【季語=夏場所(夏)】


夏場所の終はるころ家建つらしい

堀下翔))


いろいろと面白い句である。先ずは「らしい」という伝聞。自分が直接確かめたのではなく、誰かがそう語ったのである。例えば家族の夕食どきの会話を考えてもいい。親戚や知り合いが家を建てていることなどを両親が話している。あそこの家もそろそろ完成する頃だとか、二言三言の会話と相槌ですぐ次の話題に移るような、いつもの団欒風景である。ファミレスの隣のテーブルから弾んだ声が耳に飛び込んで来たというケースもありそうだ。何しろファミレスにはありとあらゆるトピックで賑わっているのだから。いずれにしても、「らしい」というニュートラルな表現からは家が建つことへの積極的な関心が見えない。少なくとも無関心を装っている。むしろ、興味は家の建つ時期に向いているようだ。「家はいつ頃出来上がるの?」「夏場所の千秋楽までには」、ふつうこんな会話はしない。五月の終り頃と答えるのが大多数ではないだろうか。つまり、五月下旬のことを「夏場所の終はるころ」と言い換えたのは作者の機知だ。散文的な表現でありながらこの句が俳句としての表情をしっかり持っているのは「夏場所の終はるころ」が多様な連想を生むからだと思う。初日の頃の若葉はすっかり青葉に変わっているとか、冷奴が恋しくなるとか、梅雨入りの心配とか、連想するものは人により異なるだろうが、それだけ豊かなイメージを内包している措辞とも言える。また、神事としての相撲を考えると、大勢の力士が地を踏み固めて去ってゆく、という目出度い一面もある。

もう一つ興味深いのは、俳句がよく言われるように「今、ここ」を詠うものならば、この「夏場所の終はるころ」は季語になるのかということ。「らしい」という推察をしたのは夏場所の初日かもしれないし、花見や初場所をテレビ観戦しながらの話題かもしれない。この「家」が大型マンションなら何年か前の同じ時期かもしれない。この句の“現在”がはっきりしない限り、無季の句という見方も出来るのではないか?と言いながらも、今しがた書いたように私たちはどうしたって初夏の風景の中の新築家屋を思い描くのだから、夏の句に分類して構わないのだろうけれど、この句をきっかけにもう一度季語について考えるのも悪くない。

第58回角川俳句賞応募作品「生年月日」のうちの一句(受賞作品は広渡敬雄「間取り図」)。今年が第68回だから丁度十年前だ。この時作者は俳句を始めたばかりの高校生だった。

(『里』2014年1月号 特集「堀下翔十八歳八十句」より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔84〕捨て櫂や暑気たゞならぬ皐月空   飯田蛇笏
>>〔83〕詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり 久保田万太郎
>>〔82〕黒服の春暑き列上野出づ      飯田龍太
>>〔81〕自転車の片足大地春惜しむ     松下道臣

>>〔80〕春日差す俳句ポストに南京錠     本多遊子
>>〔79〕蜆汁神保町の灯が好きで       山崎祐子
>>〔78〕うららかや帽子の入る丸い箱     茅根知子
>>〔77〕春満月そは大いなる糖衣錠       金子敦
>>〔76〕夕空や日のあたりたる凧一つ     高野素十
>>〔75〕シャボン玉吹く何様のような顔     斉田仁
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>>〔73〕浅春の岸辺は龍の匂ひせる     対中いずみ
>>〔72〕猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流
>>〔71〕おやすみ
>>〔70〕雪掻きて今宵誘うてもらひけり    榎本好宏
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>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く   若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ     遠山陽子

>>〔59〕おやすみ
>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部   加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
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>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日      澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
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>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
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>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
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>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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