中干しの稲に力を雲の峰本宮哲郎【季語＝雲の峰（夏）】

中干しの稲に力を雲の峰

本宮哲郎

今回より短期の連載、拙い文ですがどうぞお付き合いください。

さて、本欄を担当させていただくことになったものの、一体どんな句を選べばいいのか、いきなり大きな壁にぶつかってしまいました。人口に膾炙した名句にはすでに優れた鑑賞があって、いまさら筆者が手を出すものでもない。かといって万巻の俳書を紐解いて隠れた名句を探す気力もない。腕組みをしてうーんとしばらく唸ってみるが、これといった妙策はない。

何日か悩みましたが、手始めに筆者自身または筆者に近いところから始めてみることにしました。こんな入り口ですので、シッカリした俳句の鑑賞というよりも、ちょっとエッセイじみた書き物になるかもしれませんが、どうかご海容を。

筆者は新潟の大平野の真ん中で生まれ育った。この季節はちょうど青田が伸び切る頃。可愛らしい稲の花が咲きます。不惑を過ぎて既に都会暮らしの方が長くなってしまったが、今でも目を閉じれば満目麗緑の世界が浮かんでくる。四囲の山並みは遥か遠く、夏雲を遮るものは何もない。夏の日差しの下、見渡す限りの青田は気持ちよく風に戦ぐ。嗚呼、忘れがたき故郷。

なんと豊かな自然！と思うかもしれないが、この田園風景は厳密には自然の景物ではない。美田というのは長年の人類の営みの成果であるはず。視界の限りに広がる大平野を見渡すたび、先人の努力に本当に頭がさがるのです。

多くの平野がそうかもしれないが、特にこの土地についていえば、もともと沖積地で標高が低く、排水がひどく悪いのである。古い郷土資料を読むと、夏から秋にかけての連年の水害、稲を刈るのに泥の中に胸まで浸かってなんて話が出てくる。そんな様子だから悪水が溜まって稲がうまく生育せず、その昔の越後の米は「鳥またぎ」と言われた。鳥も食べないでまたいで行くほどの不味い米、という意味。

「客土」という言葉もある。我が祖先は水捌けの悪い土地に外からせっせと土を運んできて、少しでも土地改良をはかった。「世界は神が造ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われるが、実はこれ、越後の大平野の民にはちょっと共感できる言葉なのである。

中干しの稲に力を雲の峰　本宮哲郎

作者は新潟県小池村（現・燕市）に生まれ育った俳人。その故地は筆者の生家に程近い。いま筆者の手元に平成12年に俳人協会賞を受賞した作者の『日本海』という作品をあるけれども、この風土性豊かで実直な農俳人がどのような環境で生涯を過ごしたか、当然筆者にはよくわかる。志賀直哉は文章を褒める際に「目に見えるようだ」と言ったそうですが、筆者にとってこの作品はまさにそんな感じ。

掲句の「中干し」とは、稲を適切に生長させるために、一時的に田んぼの水を抜くこと。ぐんぐんと際限なく膨らんでいく雲の峰に呼応するように、稲もすくすくと伸びていく、まるで大きな雲から力を与えられるように。もちろんこれは一枚きりの田んぼのことではない。平野を覆う何千枚何万枚という田んぼの稲が一斉に天を指して伸びゆくまことに雄大な景です。米作りは水の管理が命、今年も秋に美味しい新米が食べられますように。生産者の皆さん、毎年ありがとう。

同句集には同じく夏の農俳句で〈馬の背を拭いて日昏るる白芙蓉〉、〈茄子の花数へて暑くなりにけり〉、〈死ぬるまで百姓の顔更衣〉なども収録。農俳人の矜持が窺えます。

さて、今回はこのあたりで。

そうそう、私事ですが第一句集を刊行しました。なにやら宣伝じみてしまいましたが、宣伝です。すみません。次回もどうぞよろしくお願いします。

（吉田哲二）

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