菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ
金原まさ子
娘が生まれてすぐの話。沐浴をさせていたら、ふと娘の乳首が白ニキビのように白くポツとなっているのを発見した。不安になり即検索したところ、それはどうやら「魔乳(まにゅう)」と言うものらしい。生まれてまもない新生児に見られる生理現象で、母親のホルモンの影響で僅かに乳汁が分泌されるそう。男女どちらにも起こりうることで、すぐ消えるので治療は必要ない。この「魔乳」と言う名称は、昔「魔女が薬の材料にした」という伝承からきているらしい。赤子にまつわる言葉としては結構ドキッとする響きである。
英語だとそのままWitch’s milk。日本に魔女は基本的には居ないので、西洋から入ってきた言葉なのだろう。日本で魔女というと妖(あやかし)というより物語に出てくるキャラクターのイメージが強いが、魔女の宅急便のキキのお母さんは確かに薬を作っていた。
さて、どことなく魔女の気配がする掲句は、金原まさ子さんの第四句集「カルナヴァル」から。この句集は、過去にもハイクノミカタで堀切克洋さんや岡野泰輔さんが取り上げられている。耽美、グロテクス、性、死、欲、自由で強烈で鮮やかな句が多く並んでいる。
掲句の季語は「菜の花」。その可愛らしく素朴な黄色の輪郭を、これでもかと強調するように足された月が、闇と黄色のコントラストを鮮明にしている。そして(おそらく)笑顔の”誰か”の、繰り返しこちらの耳元に囁きかけるような口語体にドキリとし、重ねるように「ネコが死ぬ夜」というかなり不穏な言葉が続く。可愛らしさの皮を被った妖艶な深みを持つ句である。この語りかけてくる”誰か”に、魔女の影を見る。
何故、この菜の花月夜に、このネコは死ぬのか。老衰なのかもしれないし、病を持っているの可能性もある。でも、もしかしたら殺されてしまうのかもしれない。
中世に魔女狩りが盛んだった欧州では、多くの黒猫が”魔女”と共に殺された。その後の時代も黒猫が不吉だとする迷信はかなり根強く、ベルギーのイーペルという町では毎年「猫の水曜日」に黒猫が塔の上から投げ落とされ殺される行事が19世紀初頭まで続いていたそうだ。(今はその暗い歴史を忘れないために同じ時期に猫祭を開催し、塔の上から猫のぬいぐるみを投げるらしい)
そしてドイツのローテンブルグにある中世犯罪博物館には、魔女狩りの様子が当時の拷問器具と共にこれでもかと展示されている。当時、魔女として処刑された女性のほとんどは社会規範の外にいると言いがかりをつけられた普通の女性である。私も長年BL小説を書いて同人誌にして頒布していた人間である為、中世なら間違いなく魔女として処刑されていた。そして句集「カルナヴァル」の出版社による紹介文には「102歳の不良少女」「元祖腐女子」と書かれている。金原さんも多分、間違いなく、魔女とされただろう。殺されるのはネコであり、魔女なのだ。
とはいえ、もう中世ではない。カルナヴァルのIV章の冒頭には「いい人は天国へ行けるし、わるい人はどこへでも行ける」と書いてある。これはメイ・ウェストの言葉 ”Good girls go to heaven, Bad girls go everywhere” のオマージュだと思われる。中世でなくとも女性は年を取れば取るほどbe a good girlの圧力が強烈な本邦において、言葉で自由に遠く、遠くまで行った金原まさ子さんはbad girlを体現した大先輩なのである。
いい猫も死んだら天国に行くのだろうか。少なくとも魔女のネコは素直に虹の橋を渡ったりしないだろう。bad girlなネコは自由に好きな場所に行っているに違いない。
(三倉十月)
【執筆者プロフィール】
三倉十月(みくら・とつき)
1980年東京生まれ。元オタク字書きで製薬業界の端っこにいる会社員。
コロナ禍でステイホーム中の2020年に『子連れ句会』に参加、俳句を始める。
2021年5月より『炎環』所属。
毎日一句ずつ俳句鑑賞をするTwitter
とつき@俳句鑑賞 @totsuki_hk
詩客にて俳句時評を書いています。
http://shiika.sakura.ne.jp/
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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