ハイクノミカタ

恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典【季語=菜の花(春)】


恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海

坪内稔典
『朝の岸』

 菜の花が咲く頃、卒業旅行の幹事をしたことがある。私の所属していたサークルでは、在校生が卒業する先輩たちへの餞別として旅行を企画していた。それまでの私は天然ぼけで何もできない女の子だと思われており、役職のない気楽な立場であった。大学生の春休みは忙しい。追試の人もいれば、引っ越しをする人、アルバイトで稼ぎたい人もいる。のらりくらりとサークル活動を楽しんできた私に白羽の矢が立ったのは、仕方のないことであった。自分でも驚いたが、幹事を任されると綿密に計画を立ててしまった。貸し切りバスの手配や宿の手配だけでなく、数分刻みの観光日程、昼食の座席指定までしてしまう。計画書の段階からやり過ぎと怒られもしたが、一度決めた段取りは譲れなかった。

 当日は、バスに乗るところからトラブルが発生した。私の決めたバスの座席配置が気に入らないと。仲の良い同性が隣り合うようにしたのだが、実は仲が悪くなっていたとか。そうかと思うと、好きな異性の隣に座りたいとか。とにかく、誰も言うことを聞いてくれない。出発時間を過ぎたバスのなかで取っ組み合いの喧嘩が始まる。春の旅行というのは、解放的で理性が無い。私と部長が何とかなだめて座席が決まり出発。

 バスを降りた観光地は、菜の花畑。意中の異性の後を追う男女。異性に人気のある人たちは、気を遣う性格なのか、話しかけられると足を止めてしまう。その人気者たちと言葉を交わしたい者たちが行列を作る。幹事の私が「移動してください」と言っても誰も動かない。部長が「いい加減にしろ」と激怒してようやく動く。菜の花畑は迷路のように入り組んでいた。最後には「集合時間までにバスに乗り込まない人は置いていきます」と大声を発した。当然ながら、時間になっても来ない男女が二人。菜の花畑の先にある岬で愛を語り合っていた。卒業生にとっては、学生最後の旅行。思い出を作りたい気持ちも分かる。心を鬼にして「集合時間過ぎていますが」と仁王立ちで威圧した。

 宿に着いてからも、部屋割りへの文句が出たが「あくまでもたたき台なので、どうぞご自由に」と言い放った。宴会の座席は、昼食同様すんなりと座ってくれた。話し上手な人の隣に無口な人をあしらった良い配置だと思っていた。ところが、酒が進むにつれ、喧嘩が勃発。ぼんやりと考えていた。女子は意中の男子を巡ってひそかに牽制し合うが、男子はあからさまに牽制し、取っ組み合いとなる。雄が闘うのは当たり前なのだが。また、女子は素面の時から積極的なのに対し、男子は酔うと積極的になる。女子が旅行前からアプローチをかけるのに対して、男子は旅行の時にアプローチをかける。女子は計画的、男子は突発的。泥酔すると自己主張が激しくなるのは、男女とも同じである。

 大荒れとなった宴会でボーっとしている私に部長が言う。「お前は幹事なんだから何とかしろ」と。こんな時はカラオケだ。歌ったのは松田聖子の「赤いスイートピー」。卒業旅行にはピッタリな歌。誰も聞いていないと思いつつ熱唱すると大拍手。その後は、皆、意中の人に向けて渾身の愛の歌を絶叫していた。

 翌日になると何となくカップル成立。見込みがなくても頑張る人もいるのだが、それもまた微笑ましい。花の蔭から応援し、幹事役を終えた。

 句会でも幹事役は点が入らないが、恋人奪いの旅でも恋の収穫はない。ただ恋のプロデュースをしたような満足感だけが残る。スケジュールを全うするため、恨まれもしたが、感謝もされた。数年後には、複数の結婚式にも呼ばれた。これだから幹事役はやめられない。

  恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海   坪内稔典

 〈菜の花〉と〈海〉の取り合わせの句は、現在では評価されない傾向にある。菜の花畑の先に海が広がる観光地が増えたからだ。当該句の発表当時はまだ新しい取り合わせであった。さらには〈恋人奪いの旅〉のインパクトは、現代でも斬新だ。菜の花畑を追いかけて、追いかけて、海。菜の花の黄色の世界から抜け出し、真青な海を眼にした瞬間、恋の決断を迫られる。

 私にとって菜の花は食べるものであった。早春の頃、蕾の菜の花を摘んでお浸しにする。桜の花が咲く頃になると菜種を採るための菜の花が村を黄色で染めていた。花を得た菜の花畑の丈は高く、隠れん坊をするのに丁度よい。朧月が上がるまで遊んだ。ふいに私の手を掴んだ少年の指が力強かった。菜の花の黄色は人を狂わせるものがある。

 菜の花が広がる地を巡る旅、その先には青い海。恋を誘発する道具は揃っている。恋をしていなくとも恋をせずにはいられない。動物たちは発情期である。友人と恋人を奪い合い喧嘩しても許されるような甘い期間なのだ。

 幹事役になる前までは私も恋に狂って傷つき、菜の花のような明るく素朴な男性に惹かれ、結局は狂わせてしまった過去がある。赤でも青でもない黄色の菜の花は、優しい凶器を持っているのではないだろうか。菜の花の黄色い海は、面倒な恋の始まりでもあるのだ。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり  谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし      安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係  山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む  京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目   森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ    正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
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>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
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>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
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>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
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>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
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>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
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>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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