2026年6月から【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただくことになりました。トップバッターは愛媛大学(愛媛県・松山市)の「愛媛大学俳句研究会」です。5回目は、七瀬悠火さん。

七瀬悠火(愛媛大学俳句研究会)
この俳句は寺山修司の句集『花粉航海』の中の連作「青森駅前抄」のなかに収録されている。「火蛾」という季語があるように、蛾という生き物は光に集まる習性をもっている。電球の光に誘われた蛾が誤って電球の中へ入ってしまったのだろう。その蛾を外へ出そうとせず閉じこめた主体はどのような心情だったのだろうか。
それは連作を通してみることで、主体の心情が垣間見えてくる。
➀花売車どこへ押せども母貧し
➁わが夏帽どこまで転べども故郷
➂雪解けの故郷出る人みんな逃ぐるさま
➃マスクのまゝ他人のわかれ見ていたり
(「青森駅前抄」『花粉航海』寺山修司 角川春樹事務所 2000年 p.54~59)
これらの句はすべて「青森駅前抄」の連作のなかに出てくる俳句である。➀の句はこの連作の一番初めの句で、この句からは現状の生活の困窮具合が見て取れる。お金を稼ぐために花を売る。しかし花を売るために花売車を「どこへ押せども」自分の生活は向上しない。「どこへ押せども」には自身が置かれている状況に対する悲壮感が見えてくるとともに、「どこへ」売りに行ったとしても現状は変わらないという主体の諦めのようなものも同時に見えてくる。➁の句は、自分の故郷への想いが見て取れる。作中主体の夏帽が風にあおられて転がっていく。主体はそれを追いかけているのだろうか。夏帽は風が吹く限りどこへも転がることができる。しかし、主体は「どこまで転べども故郷」の外へは出ることができないと考えている。どこまで転がっても、どこまで追いかけても、「故郷」という縛りから逃れることができない。主体の故郷の外へ出ることができない諦めや故郷に対する薄暗い心情が見て取れる。➂の句は故郷を出る人を見ているのだろう。しかし、故郷を出ていく人を「みんな逃ぐるさま」と捉えていることも、➂の句と同様に故郷に対する薄暗い心情が見える。故郷を出ていく人を逃げているように思った主体はその人の「逃ぐるさま」を見て哀れに思ったのだろうか、それとも故郷を出られることを羨ましいと思ったのだろうか。➃の句は➂の句の直後にあることから、➃の句とつなげて読むことが可能になると思う。その「わかれ」を見ている主体は、自身の感情を隠すように「マスク」をしている。
私は一九三五年十二月十日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし、戸籍上では翌三六年の一月十日に生まれたことになっている。この二十日のアリバイについて聞き糺すと、私の母は「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。(中略)だが、私が汽車のなかで生まれたというのは本当ではなかった。(中略)それでも、私は「走っている汽車の中で生まれた」という個人的な伝説にひどく執着するようになっていた。
(「自叙伝らしくなく 誰か故郷を想はざる」『寺山修司 作家の自伝40』
佐伯彰一 松本健一監修 日本図書センタ― 1995年 p.9)
寺山修司は1935年12月10日に青森県で生まれた。上の引用では「汽車のなかで生まれたから、出生地があいまい」とあるが、引用にもあるように汽車のなかで生まれたわけではない。しかし、寺山修司は汽車で生まれたという「伝説」に執着している。汽車のなかで生まれたと言うことで、自身の故郷を隠し、あいまいにすることが出来る。それは「青森駅前抄」の中に出てくる俳句と同様に、自身の故郷に対する薄暗い気持ちが見えてくる。
連作の話に戻る。作者は故郷に対して薄暗い感情を持っている。そしてこの連作には、主体の故郷に対する薄暗い感情が見て取れる。連作の題名に作者の故郷である「青森」の文字が使われていることも、そのイメージを助長していると捉えられる。これらのことを踏まえると、この句に新たな解釈ができるようになると思う。
この連作を通して主体は故郷の外へ出ることはできない。つまり、蛾を連作の主体と重ね合わせて解釈することが可能になる。蛾は電球に閉じこめられている。そして自分は故郷に閉じこめられている。つまり、自分が今置かれている状況は蛾と似ている。せまい電球の中で蛾は光に体をぶつけ続け、硝子に体をぶつけ続ける。電球の出口は狭いため、蛾は簡単に外へ出ることができない。もちろん硝子にぶつかったところで、外へ出ることはできない。それは連作の主体の状況、心情と近いものがある。
また、閉じこめた側の心情も読み取ることができる。連作の主体は今いる故郷、置かれている状況から外に出ることはできない。つまりこの句はただ蛾を閉じこめたのではなく、蛾を主体と同じ状況に置くことで自分の憂鬱な気持ちを晴らそうとしたのかもしれない。自分が置かれている状況を蛾にも感じさせることで、この状況は自分だけのものではないと思いたかったのかもしれない。
このように主体の状況、故郷への思いが連作を通して垣間見えてくるが、この連作はこの句で締められている。
燕と旅人こゝが起点の一電柱(1)
(「青森駅前抄」『花粉航海』寺山修司 角川春樹事務所 2000年 p.59)
最後は今いる場所から発とうとしている旅人と燕が描かれている。旅人は再びこの土地に足を踏み入れるかわからない。もしこの土地が気に入ったのなら、旅人は再び戻ってくるかもしれない。そしてそれは燕と一緒に描かれている。燕は越冬のために南国へ旅立つが、春になると戻ってくる。
十五歳から十八歳までの三年間、私は俳句少年であり、他のどんな文学形式よりも十七音の俳句に熱中していた。(中略)こうなってみると、歌ばかりではなく、句のわかれもすみやかに果たしてしまいたい、というのが私の希望である。「何もかも、捨ててしまいたい。書くことによって、読むことによって」だ。
(「手稿」『花粉航海』寺山修司 角川春樹事務所 2000年 p.160)
角川 寺山との対談は、彼が亡くなる二年くらい前です。そのときは、俳句について話しました。終わったあと、「角川さん、ぼくもう一回俳句やりたくなったな」と言うんですよ
岡井 しょっちゅう言っていたようですね
角川 ええ。短歌をやろうなんて全然言わなくて、俳句がやりたいとね。俳句は彼の出発点でしょう。惹かれるんでしょうね。
(「寺山修司の定型 対談 岡井隆×角川春樹」『花粉航海』寺山修司 角川春樹事務所 2000年 p.161)
『花粉航海』に収録されている俳句の大半は高校生の時に作られたものである。それを大人になってから編纂し、句集を作成した。故郷への思いは大人になって変わったのだろうか。「青森駅前抄」を作っている時と、編纂している時では故郷に対する考え方は違っているのだろうか。「誰か故郷を想はざる」は寺山修司が大人になってから書いたものであるため、そう簡単には変わっていないのかもしれない。しかし寺山修司は晩年になって「俳句をやりたくなった」と話している。寺山修司の「出発点」である俳句は、寺山修司の活動の「故郷」とも言い換えられるだろう。「句のわかれ」をするためにこの句集を編纂し始めたが、この連作を改めて見たとき、春になると帰って来る燕のように句をまたもう一度やりたいと思った、と考えるのは考えすぎなのだろうか。電球の中に閉じこめられている蛾も、電球の中に入ったのは光に誘われたからであって、昔いた「故郷」は今から振り返って見ると光って見えたのかもしれない。
(七瀬悠火)
【サークルプロフィール】
愛媛大学俳句研究会
俳都・松山を拠点に活動中。現在、会員19名。主な活動は週1回の句会に加え、ときどきの連作句会・吟行・読書会など。下部組織に「深夜散歩部」「フリスビー部」「凧揚げ部」などがある。BOOTH(https://booth.pm/ja/items/7629894)にて機関誌『蜜柑』を絶賛発売中なので、よろしくお願いします。
【執筆者プロフィール】
七瀬悠火(ななせ・ゆうか)
香川県出身 愛媛大学俳句研究会・noi 大学1年生の時より作句を開始
自分にできること、自分にしかできないことを日々探しています。