椋鳥をざっと一万吸ひたる樹 正木ゆう子【季語=椋鳥(秋)】


椋鳥をざっと一万吸ひたる樹
正木ゆう子

 連載2週目、水曜日も秋の始まりである。〇〇の秋、というキャッチコピーは山ほどあるが、個人的には秋といえばもっぱら大好きな鳥の季節である。秋の季語として登場する鳥たちは、春の鳥の営巣などのの様子とはまた違い、渡ってきた鳥たちを中心に、己の生命のために忙しく冬に備えている姿はなんとも感動的で愛おしい。

 掲句は『玉響』(2023年、春秋社)より。まさにちょうど海を渡り終えた椋鳥が吸い込まれるように1本の樹へ向かっていく。一万羽の存在を感じたということからは、樹の大きさや枝の見事さ、そして何よりも常にどこかしらで枝を飛んで渡る椋鳥の存在感と、まるで包囲されているように全方向から聴こえる声が鮮やかに想起される。
 一万羽というスケールの大きさから、椋鳥にとっても人間にとっても体重を預けたくなるような樹が聳え立つ、風が緩やかで見晴らしの良い丘の風景を想像した。余談ではあるが、ひとつの言葉の認識をきっかけに風景が広がって、身体の細胞全てを思いきり伸ばして感じたくなるような光景が脳裏に浮かぶ瞬間が俳句を読む上でいちばん幸せな体験だと考えている。皆様にもぜひ丘の上での深呼吸を体験していただきたい。
 また、「吸ふ」という把握も大きな魅力である。生物学的な事柄を抜きにしても、植物に呼吸のようなリズムを感じる人は多いのではないだろうか。風雨などには左右されない、永遠の樹齢を過ごすことを覚悟した呼吸が聞こえる樹の立ち姿があり、掲句の樹がそうである。逞しくも短い命を持ち、速い呼吸を繰り返す椋鳥のものとはっきり真逆なことが印象深い。

 ちなみに、我が家の隣の敷地にある小さな梅林全体に毎年1日間だけ大量の椋鳥(ざっと500)が飛来する。大きな群れが枝いっぱいに何組も、早朝から日没まで絶えず鳴き交わし、夜が明けると小隊に分散して、ほとんどは山際の駅の方へ飛び去る。これは今年の縄張りについて話し合っているのだろうか、ただ労い合っている可能性もあるだろうかとさまざまに考察しているが、実態が知りたいところである。大体毎年その内の2、3家族だけが近くに残って、庭の小さな畑を秋の間中歩き回っている。
 都心では害鳥に分類される鳥で、確かに農作物に狙いを定められると厄介ではあるが、鮮やかな嘴を掲げてふてぶてしく大股に歩いて回る姿が今年も待ち遠しいのである。

野城知里


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


【管理人より】ハイクノミカタ(2025.1月-2月)連載分もお見逃しなく!(全8回)



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