
無母ひがし声にし花の月日かな
岡田一実
(句集『醒睡』)
喉に沿ひ食道に沿ひ水澄めり/句集『記憶における沼とその他の在処』
水が、喉から食道へ、身体の内側を通ってゆく。その感覚を「水澄めり」で締める。
秋の季語〈水澄む〉は、澄みわたる大気や清らかな水脈など、外界の景として用いられることが多いようだ。だがここでは、〈体内〉へと引き寄せられている。
胃へと落ちてゆく澄んだ水で、身体までも浄化されそうだ――と調子よく言い切りたいところだが、個人的にはどうしても、〈飲水〉から〈薬〉へと、連想がつながってしまう。
「喉」「食道」という語の率直さもあってか、水を飲む行為が、そのまま服薬の記憶にふれてくるのである。
毎日薬を飲まなければならない。その習慣が「水澄めり」に溶けているように感じ、私はことばをなくしてしまう。
玉葱の一顆しづかに床を押す/句集『光聴』
玉葱が「床を押す」と捉えられている。
そのように見えてしまう孤独が、私には感じられる。
無母ひがし声にし花の月日かな
「無母」。頼るべき存在は、いない。ひがしにもにしにも。きこえるのは己の声、あるいは記憶の中の声のみであるように感じられる。
それは生きているあいだ、果てしなく続くようにおもわれる。
桜が咲き、散り、また咲き、また散る。その繰り返しの中で、少しずつ老いてゆくように、心もまた、かたちを変えてゆくのだろう。
そして明日のこともわからぬまま、また来年、と手を振るのだ。
「花の月日」とは、そのようにして生き延びてゆく時間のことなのかもしれない。
(いなば也)
【執筆者プロフィール】
いなば也(いなば・なり)
短詩、俳句
楽園俳句会会員
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