
彼方より明日開く本届きますか
救仁郷由美子
(俳句同人誌『LOTUS』第12号)
救仁郷由美子(1950–2022)
平成初頭より『琴座』『未定』『豈』に所属。『LOTUS』には第11号より参加。
安井浩司を深く敬愛し、『未定』70号に始まる安井浩司論「永劫の縄梯子」はライフワークとなった。
/俳句同人誌『LOTUS』第52号参照
彼方より明日開く本届きますか
これほど平易で、かつ不確かな印象を残す俳句には、なかなか出会えない。
〈注文した本は明日届くだろうか〉という日常的な場面では、もちろんない。
まず「彼方」。
単なる距離の〈あちら〉ではなく、もっと曖昧な、現実を越えた場所を思わせる。
そうすると、どこが〈此処〉であるのかも、おぼつかない。
次に「明日」。
明日が来る保証は、誰にもない。
さらに「開く本」。
〈読む本〉ではない。もしかしたら何も書かれていないかもしれない。
そして最後の「届きますか」。
問いかけの形をとっているが、届いてほしいと求めているようでもない。
極論、〈ただ置かれただけ〉のことばにすら感じられる。
彼方も、明日も、開く本も、どれも〈確定〉していない。
ただ、最後にかろうじて「届きますか」があることで、何かがこちらへ来るかもしれないという期待のようなものだけが、かすかにのこる。
平易で不確かなことばの連なりは、散文のようにも見える。だがそこに、イメージの喚起をあえて抑えた詩が立ちあがっているように思う。もしかしたら、この句は〈ふたしかさ〉そのものを留めようとしているのかもしれない。
そして、その〈ふたしかさ〉は、私にとって、どこか近しく感じられるのである。
*
私の連載は、今回で終わる。
かつて誰かのブログで、自分の文章がどこか嘘であるように思える、という趣旨の一文を読んだ。そのことばが、この連載を書いているあいだ、私の頭にずっとあった。
書き終えた今も〈私のことば〉とは一体なんなのか、心許ない気持ちでいる。
しかし、これだけは言える。私は俳句を読みながらいつも、自分のことを見ているのだ。
俳句は〈最短の詩〉である、といわれる。
詩にふれたときに生まれる心の揺れは、私だけのものだ。うまく説明できなくても、それで十分なのだと、いまは感じている。
これからも私は俳句と歩いていく。そう思う。
(いなば也)
【執筆者プロフィール】
いなば也(いなば・なり)
短詩、俳句
楽園俳句会会員
X:@poet_Shijyu
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