2026年6月から【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただくことになりました。トップバッターは愛媛大学(愛媛県・松山市)の「愛媛大学俳句研究会」です。今回は第2回。

ゲルニカとなるにもありふれたからだ
髙田祥聖
野上翠葉(愛媛大学俳句研究会)
掲句は第43回兜太現代俳句新人賞を受賞した髙田祥聖「ゐしころ」のなかの一句である。受賞から約3カ月ほどが経ったが、この句に言及されることは特に多い。WEB現代俳句2026年05月号|【特集】第43回兜太現代俳句新人賞 髙田祥聖 – 現代俳句協会の、「受賞作を語る」のなかでは髙田自身が、一句評のなかでは山岸由佳が、そしてWEB現代俳句2026年05月号|【特集】第43回兜太現代俳句新人賞 受賞作解題 – 現代俳句協会のなかでも土井探花が、この句に言及している。それは、無季かつシンプルであるゆえの象徴性にある。受賞作は1句目の〈ストローで耕すシェイク春浅し〉から50句目の〈水引の粗く刷られて春を待つ〉へと、ちょうど季節が一巡するように四季を意識した構成となっている。掲句はそのなかで唯一の無季の句である一方で、〈天高し絵筆に忘れやすき色〉と〈澄むみづに触れてみるみる元のみづ〉の間に秋の句として配置されていることに留意しておきたい。
「ゲルニカ」とは、スペインのバスク地方の都市の名であり、同時にピカソの絵画のタイトルでもある。1937年4月26日、スペイン内戦において右派のフランコ将軍を支援していたナチス・ドイツの空軍(コンドル軍団)が、この非武装の都市に対し、史上初とも言われる大規模な無差別爆撃を行った。爆撃による死者の数の真相は不明だが(1654名とする文献も、200名以上とする文献も存在する)、この惨劇に激しい怒りを覚えたピカソは、同年のパリ万国博覧会スペイン館に向け、3.49m×7.77mの巨大な壁画『ゲルニカ』のなかで殺される人や動物を描いた。画面全体がモノトーンであることも、悲劇への印象を強調している。

ピカソの『ゲルニカ』と、それを用いた掲句がともにゲルニカという事件を告発していることは明らかであるが、荒井信一『ゲルニカ物語』(岩波新書、1991)において、このような指摘がある。
まず第一に『ゲルニカ』の場面は、太陽のような目、虹彩としての電球、闇を照らすランプといった光源が示すように、夜でもあれば、昼でもある。第二に、場面は家の中でもあれば、外でもある。屋内であることは、左手に簡単なテーブルがあり、右端に半分開いたドアがあることで分かる。しかし、画面の右半分には窓や屋根瓦が描かれており、また燃える炎が見えて、場面が明らかに屋外であることも示されている。昼でもあり、夜でもある、屋内でもあり、屋外でもあるという場面の設定の仕方は、『ゲルニカ』の伝えるメッセージが時間と空間を超越していること、すなわち普遍的であることを現わしていよう。
被害者の体をおおむね白で、背景を黒で描いたモノトーンのキャンバスは時間に両義性をもたせ、また光と闇、善と悪、被害者と加害者といった二元論的な世界を立ち上げる。『ゲルニカ』が告発するのは、そこにおける虐殺だけではなく象徴としての戦争や虐殺でもある。同様に掲句も象徴性を帯びているが、それを支えているのが「にも」である。「にも」には、「時・場所・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味に、添加や許容など、助詞「も」の意味が加えられる」(『大辞林 第三版』三省堂、2006)という意味がある。この「も」があることによって、「ゲルニカとなる」ことは、「ありふれたからだ」が被りうる絶望の一例に過ぎないとわかる。
この句には二つの絶望がある。一つ目はいましがた述べたように「ゲルニカとなる」ことである。ピカソの『ゲルニカ』の被害者たち。折れた剣を握りながら死に絶えた男性。槍がささっていななく馬。天にむかって手を伸ばし叫ぶ女性。自分の子どもが殺され慟哭する女性。女性たちの目は涙の形で描かれている。虐殺されることへの絶望がこの絵のいたるところにある。この空爆で殺された人々は、ピカソに絵の主題とされたことによって、戦争や虐殺を経験したことのない人々の記憶にも残る。絵画も文学もそこには象徴性がある。だからこそ掲句のゲルニカという言葉を見たとき、人はゲルニカという場所ではなくピカソの描いた絵とそこで実際に起きた虐殺を想起する。ゲルニカで虐殺された人々は、初の無差別爆撃の被害者たちであり、ピカソという天才の祖国の人々であった。このことによって、これらの人々はピカソの『ゲルニカ』のなかで象徴となった。しかしほとんどの死者はありふれていてそうはなれない。ここに二つ目の絶望、「ありふれたからだ」をもつことによって「ゲルニカとなる」こともできないことがあらわれる。ピカソのキュビズムについて、アポリネールは『キュビストの画家たち』のなかで以下のように述べる。
ピカソは立体を表現するための設計図を模倣するかのように、対象を構成する様々な要素を、きわめて完全かつ鋭利に列挙して提示する。そのため、それらは、観る者が無理に同時性を知覚するという働きによって対象の姿を成すのではなく、まさにそれら要素の配置そのものによって、対象としての形象をとるのである。
ピカソはそれまでの芸術において重要視されていた再現を破壊する。ピカソのキャンバスにおいて、対象は現実の姿を再現しているのではなく、新たな形象として生まれなおす。観る者はそれを現実へと再構成するのではなく、そのまま受け取るべきだとアポリネールは言う。この「対象としての形象」のことを「ありふれなさ」と呼びたい。ピカソは個別具体的なものから出発して、そこに新たな形象をつくりだす。
おもえば、ピカソの絵画における「ありふれなさ」を我々が認識できるのは、その多くが顔においてなのではないか。アポリネールが同時性からの再構成を否定したとしても、どうしても我々はピカソの絵を見たとき顔を総合的に判断して、現実の人間の顔と比べたときのその「ありふれなさ」に違和感を見出してしまう。『ゲルニカ』のすこしあとに描かれたピカソの愛人のドラ・マールをモデルにした『泣く女』や『ドラ・マール』を見ればそれはわかりやすいだろう。


どちらの絵においても、口や鼻筋は横から描かれているが、鼻の穴は正面から二つ描かれている。『泣く女』では、宝石のような二つの目のある鮮やかな仮面は正面から、大粒の涙が伝う仮面の下の白い素顔は横から描かれ、鼻筋においてその二つのアングルが合流する。『ドラ・マール』では、右目は正面から、左目は鼻や口とも違う不思議な角度から描かれ、顔の中心にそれを二分するような線が引かれる。「ゐしころ」には〈玉葱や右眼は左眼に逢ひたし〉という句がある。現実では私の右眼と私の左眼が逢うことはないが、『ドラ・マール』においてはピカソの技法によりそれが実現している。ピカソの絵を見るときと同様に、現実において我々は他者のことを顔によって識別している。
それに対してからだはどうであろうか。ここでは『アンブロワーズ・ヴォラールの肖像』を見てみたい。

目、鼻、口といった顔のパーツは識別できるものの、からだは背景の壁や衣服と区別がつかないほど無数の幾何学的な面へと解体されている。我々はこの絵のからだを見るとき、顔に対して抱いたような「ありふれなさ」を覚えることはない。我々は他者をそのからだによって識別することはできない。
からだが「ありふれた」匿名的なものであることを表す詩がある。ゼイナ・アッザーム「おなまえ かいて」である。原口昇平が翻訳し、全文を公開している(https://x.com/shoheiharaguchi/status/1737858094884135182?s=46)。六連ある詩では、そのすべての連が「あしに おなまえかいて、ママ」からはじまる。おなまえは、寝る前の子どもを安心させるものであり、殺されたあとに子どもの存在を証だてるものである。詩の後文においては、「ガザでは、自分や子どもが殺されても身元が分かるよう、子の名前をその足に書くことにした親もいる」とある。またアーティフ・アブー・サイフによる『ガザ日記 ジェノサイドの記録』(地平社、2026)には以下のような記述もある。
先週耳にした、ガザの人々が手や足にペンや油性マジックで自分の名前を書くという新しい風習は、粉々に吹き飛ばされた後に遺体の身元が確認できるようにするための工夫だ。薄気味悪く聞こえるかもしれないが、今にしてみれば完全に理にかなっている。死について合理的に考える方法は、死んだ人の身になって考えることだ。一つの民として、私たちは記憶されることを望み、自分の物語が語られることを望んでいる。いかなる理由で殺され、どのような正当性を殺人者が主張したとしても、それに関係なく私たちの死にも尊厳が払われることを保障したいのだ。最低でも、墓には名前が刻まれなければならない。
死ぬことをなかば受けいれたガザの人々の望み(子どもすら自らの死を受けいれようとしている絶望的な環境において、これが最大限の望みである)は、死んだあとに自分たちが存在したことを確かにすることだ。そして、もし「なまえ」を「あし」に書かなければ、そんな微かな望みすらも叶わないかもしれない。自分の名前をからだに書かなくてはいけないということは、いかにからだが「ありふれた」ものであるかを物語る。からだによってだけでは、ガザの人々は自分の存在を証明することもできない。名前のない「ありふれたからだ」だけでは我々は死者すらも識別できない。だからガザの人々は「あしに おなまえ」を書く。そして「ぬれても にじまず ねつでも とけない インク」が「にげばなんて どこにもなかった」ことを証言し、誰がその存在をなくしたのか(もちろんそれはイスラエルである)を告発する。
『ゲルニカ』は象徴であり、実際に存在した人間をそのまま写し取ったわけではない。絵画や文学のなかで我々が絵具や言葉を使って「ゲルニカ」や「ガザ」を問題にしても、そこでは個別具体的な人々の存在は、その人々が「ありふれたからだ」をもっているゆえにいつも取りこぼされる。原口は「翻訳者として特に印象深いのは、話者が第五連で名前を求めながら数字を忌避していること。これが抵抗しているのは、人間から人間らしさを奪う行為だ」と語る。しかし我々は個人の顔や名前ではなく、「ゲルニカ」や「ガザ」といった全体の名前や、死者数や負傷者数や行方不明者数の数字で物語ってしまう。殺された/殺されていく人々の全員を記憶することも、それを作品にすることもできない。さらに付け加えるならば、『ゲルニカ』に描かれる人や動物の「ありふれなさ」に比べて、「ありふれた」現在進行形で虐殺されているパレスチナの人々と比べても、我々のからだはさらにありふれている。我々は戦争や虐殺によって生命の危機に晒されることなく今日も生き延びる。これがこの世界の多数派である。我々は「ありふれにありふれたからだ」をもち、「ありふれたからだ」の人々にさえ近づけない。掲句はこれら二つのことの不可能性をも表わしている。どうしても作品のなかで個別具体性を取りこぼし、「ありふれにありふれたからだ」をもつ我々には、どのような俳句が書けるのだろうか。
髙田も所属する俳句同人誌天秤(リブラ)の第二号の特集のリブラ座談会「影響を受けた二句」のなかで、髙田はそのうちの一句として〈戰爭と戰爭の閒の朧かな/堀田季何〉をあげ、以下のように語る。
「私の先生は戦争を詠むんだ」という衝撃というか、戦争を詠むということを改めて考えるきっかけになったんだよね。お話したかった句に〈霧のなか霧にならねば息できず〉というドイツの収容所の句もあるんだけど⋯⋯。(中略)私たちは日本という国で平和に暮らしていると言っていいと思うんですが、戦争を詠む俳人に興味がある、というより共感できるんです。いまも地球のどこかで戦争が起きていて、我々はメディアを通してそれを知っている。その現実に、私は心を痛めている。私は詠まずにはいられないんですよ。こうした句は社会詠でありながら、現代詠でもあると思うんです。私には「わたしのいまを詠んでいきたい」という欲求があるから、そういう意味でもこの句は響きます。
堀田のこの句は『人類の午後』所収。句集は「前奏」「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」「後奏」にわかれているが、「前奏」にはナチスの行ったホロコーストについての句と、現在のパレスチナ情勢を思わせるテロリストについての句が並ぶ(堀田がハマスをテロリストだと見なしていると言っているわけではない。〈自爆せし直前仔猫撫でてゐし〉というテロリストに対する固定観念を崩すような句があるように、むしろ堀田はそのようなイメージをつくりあげたイスラエルやメディアを批評的に見ているだろう)。戦争が勃発した地域こそ異なるものの、ナチスが第二次世界大戦に降伏したのが1945年4月であり、イスラエルの建国宣言を契機とする第一次中東戦争がはじまったのが1948年5月であることを考えると、朧は3年あまりしか続かなかったことになる。また髙田が言及している〈霧のなか霧にならねば息できず〉は、1941年12月7日にナチスが発令した「夜と霧」についての句である。アウシュヴィッツへのユダヤ人移送に関与し、アーレントが「凡庸な悪」と呼んだアイヒマンの存在も想起させられる句だ。堀田は「跋」において「前奏では、現代の日本人が非日常且つ無縁だと錯覺してゐる事象を(中略)短く提示した」と述べる。現在の日本でも、高市内閣が武器輸出を全面解禁したり国家情報局設置法を可決したりと、「朧」が濃くなっていることを感じざるを得ない。そして堀田の跋文は、引用で髙田が述べた「いまも地球のどこかで戦争が起きていて」という部分と地続きだ。その「どこか」とは、ウクライナであり、スーダンであり、イランである。そしてナチスとの関連を考えるとき、その「どこか」とはやはりパレスチナであり、ガザである。2023年10月7日に、ハマス主導のパレスチナ人戦闘員によるイスラエルへの奇襲攻撃があり(岡真理はこのことを「国際上認められている抵抗権の行使」であると述べている(『増補版 ガザとは何か』だいわ文庫、2026))、その報復としてイスラエル軍がガザ地区への大規模空爆・軍事作戦を開始した。現在は7万人以上が虐殺され、なおもイスラエルによるガザの完全封鎖が続いている。同じく『人類の午後』の「前奏」の〈息白く國籍を訊く手には銃〉はホロコースト時の句ではあるが、現在にも適用できるだろう。ガザは2007年からイスラエルによって完全封鎖されている。南北に検問所があるが、イスラエルが許可する人間および物資しか通ることはできない。幾度も人を殺したであろう銃はその内側まで完全に冷え切っている。〈和平より平和たふとし春遲遲と〉という句は、和平という言葉の欺瞞を告発する。オスロ合意後も、停戦合意後も、イスラエルはパレスチナを攻撃しつづけた。1948年からはじまったパレスチナの冬はいつ明けるのだろうか。
パレスチナの冬という言葉をつかったが、ここで掲句が無季俳句であるという点に立ち返りたい。川名大が新興俳句における無季俳句を、「『戦争』を季語と等価のものとして捉え、無季俳句の新表現様式の可能性を追求する」(『現代俳句 上巻』ちくま学芸文庫、2001)と述べ、神野紗希が「季語は、反復性と一回性を兼ね備えた装置だ。(中略)戦争の場合は、同時代に同時多発的に反復されてゆく数多の戦死のうちの、一回きりの死というかたちで、反復性と一回性が句に同居している」(『俳句は肯定の文学』朔出版、2026)と述べる。戦争について書いたとき、戦争という強烈なテーマじたいが季語を置き換える。しかし新興俳句運動のなかで日中戦争の勃発により書かれ始めた無季俳句(それが前線俳句であれ、銃後俳句であれ、戦火想望俳句であれ)と、髙田が言うような「地球のどこか」の戦争に対して現在の日本から書く俳句は決定的に異なる。それは戦争への当事者性の有無の差である。関灯之介はhttps://sectpoclit.com/seki-7/でこのように述べる。
戦争を告発する俳句は新興俳句以来あったが、白泉も赤黄男も、戦争は自分ごとであった。〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉や〈やがてランプに 戦場のふかい闇がくるぞ〉などは「反戦」というより「厭戦」というか、戦争が自分ごとであり自らの生が戦争に晒されているからこそ書けるものに感じられる。そして、戦時下で言論が制限されていた中で言葉によって表現するという力強さを思うと、言論の自由がある現代で「反戦」を叫ぶ俳句が白泉や赤黄男のような生の言葉の強度を得られるだろうか。戦争を地球規模で自分ごととして捉えて思いをはせるという姿勢も言われるけれども、地球規模で思いを馳せた結果が「戦争をやめろ」「戦争はこんなに悲惨」ではあまりにナイーヴだ。
当事者性を失ったときに、それでも戦争というテーマが季語を置き換えるほどの強度を持てるのかという点はやはり疑問である。当事者の場合、どこまで行ってもそれは自分についての句であり、自分という個別具体的な焦点がある限り句は拡散しない。しかし上述したように、我々が当事者でない戦争についての句を書くとき、どうしても個別具体的な生や死を掬い取ることはできずどこかで抽象化してしまう。作品になった瞬間に、その人の自身の生や死という一回性は失われてしまう。まるで〈澄むみづに触れてみるみる元のみづ〉となるかのように。一方で掲句は戦争への当事者性は欠きながらも、戦争や虐殺による死者への接近不可能性を書くことで一回性の喪失をメタ的に描くことに成功している。日本に住む「私」の当事者性はあるが、たしかに関が述べる通り、髙田の「いまも地球のどこかで戦争が起きていて、我々はメディアを通してそれを知っている。その現実に、私は心を痛めている。私は詠まずにはいられないんですよ。」という発言はナイーヴである。特に当事者たちが実際に殺されている一方で、安全なところからそれを嘆くことは。それでも我々が戦争や虐殺のさなかにいる人々の句を書くには、いつもこのナイーヴさから始めるしかない。もし語ることを放棄すれば、我々は自らのからだが「ありふれにありふれたからだ」であると認識することさえできなくなってしまう。そこでは自分のからだは「ゲルニカとなる」こととは全く関係がないものとして存在するからだ。どうしても個別具体性を取りこぼす作品のなかで、我々がこれから戦争や虐殺の句を書く意味とは、ピカソの絵画のような「ありふれなさ」を得ようとすることなのではないか。そこに「ありふれなさ」があればあるほど芸術としての普遍性や象徴性は高まる。そのために髙田は当事者になり得ない安全圏にいるという無自覚な加害性を書くことで「ありふれにありふれたからだ」を表し、堀田は季語を使って出来る限り直接的な加害性・被害性を書くことでその「ありふれなさ」を表そうとする。
加えて髙田は連作を用いて、当事者性を持たないゆえにもはや一回性をもてない無季俳句を、一回性をもつ有季俳句のなかに配置する。掲句を秋の一回性の文脈のなかに置きつつも、戦争や虐殺の巨大な反復性を際立たせる。ゲルニカの空爆が起きたのは4月26日であるが、リブラの特集からもわかるように髙田にとっては掲句が現在の(日本に住む)我々にとってどのような意味を持つかの方が重要である。小川軽舟が「八月は日本人にとって死者と生者の行き交う特別な月である。月遅れで八月十三日から十六日にかけて行うことが一般的になった盆の行事と太平洋戦争の終結とが同じ時期に重なったことで、その印象は揺るぎないものになったと言えるだろう。」と語るように、8月には日本の伝統と歴史によって死のにおいが漂う。また10月7日はイスラエル軍が(今もつづく)ガザへの虐殺を開始した日である。しかし死のにおいは徐々にうすれる。終戦からは80年以上が経過し、ガザは日本からは遠く離れている。こうした時間的・空間的な距離によって人々は死を忘却する。こうした読みは連作における掲句の前の句である〈天高し絵筆に忘れやすき色〉から誘発されるものかもしれない。村上春樹はイスラエル文学賞の受賞スピーチのなかで、「私たちはみんな人間であり、国や人種や宗教を越えた個人であり、システムと呼ばれる堅固な壁に直面している壊れやすい卵である」としつつも、「システムが私たちを作るのではなく、私たちがシステムを作るのである」と述べる。我々は髙田や堀田の句を通して、あらためて第二次世界大戦時のナチスや日本、そして現在のイスラエルの加害性を認識する。メディアはガザで起きているジェノサイドを正しく報じない。高市内閣は武器の全面輸出を解禁した。国連安保理のガザでの人道目的の即時停戦を求める決議案に対して、アメリカは拒否権を行使し否決した。我々はシステムをこれ以上堅固にしないために、死を忘却することなくこれらを告発しなければならない。それが現在の戦争や虐殺における個別具体的な死へと接近できない「ありふれにありふれたからだ」をもつ我々が、そこに接近しうる方法ではないか。
さいごにポール・エリュアール『ゲルニカの勝利』という詩の末尾を引用する。
Parias la mort la terre et la hideur
De nos ennemis ont la couleur
Monotone de notre nuit
Nous en aurons raison,嫌われし者たちよ、我らの敵の
死と大地と醜悪は
我らの夜の単調な色彩をおびている
いつしか我らは勝利を獲得するだろう
(野上翠葉)
【サークルプロフィール】
愛媛大学俳句研究会
俳都・松山を拠点に活動中。現在、会員19名。主な活動は週1回の句会に加え、ときどきの連作句会・吟行・読書会など。下部組織に「深夜散歩部」「フリスビー部」「凧揚げ部」などがある。BOOTH(https://booth.pm/ja/items/7629894)にて機関誌『蜜柑』を絶賛発売中なので、よろしくお願いします。
【執筆者プロフィール】
野上翠葉(のがみ・すいよう)
愛媛大学俳句研究会・新京大俳句会・noi・櫟俳句会。ぜんぶできるようになります。