境内のぬかるみ神の発ちしあと
八染藍子
アンパンマンや仮面ライダーなどに一切興味を示さなかった長男が、唯一執心したものがある。それは「鬼」である。節分、妖怪、地方の祭の鬼など、とにかく鬼が出ているものに釘付けとなった。
2歳になった頃、近所のデパートで新年の初神楽を見に行ってからは大迫力の鬼が出てくる神楽にドハマりしたようだ。それからというもの、家では一日中神楽三昧である。まず、朝起きて神楽の太鼓を見様見真似で叩く。それからすぐ神楽の舞の真似をする。保育所に行くと一人でステージに上がり皆の前で舞うそうだ。帰宅するとすぐまた太鼓を叩き、舞う。たまに机に向かい違うことをしているかと思いきや鬼の絵を描き、刀や御幣・鬼棒などの神楽グッズ作り…。寝る間際までYouTubeで色々な神楽団の公演に見入っている。そんな長男が今年小学校に入学したことを機に、念願の神楽教室に通うこととなった。
広島県内の神楽には5つの種類があり、出雲地方から石見神楽を経て江戸期に伝えられた「芸北神楽」の安芸高田市は、特に神楽が盛んな地域として知られている。 市内だけで22もの神楽団が存在し、今も精力的に活動を続けている。また、同市の宿泊施設である神楽門前湯治村では年中神楽が行われているので、是非旅行プランの選択肢の一つに加えていただきたい。
まだ神楽通とは言えない筆者であるが、広島神楽の魅力や見どころをいくつか挙げることができる。まず、大太鼓・小太鼓・手打ち鉦・笛・歌といった楽とよばれる楽器演奏である。なんと楽譜は一切無く、全て口伝だそうだ。そして、神や鬼といった舞は、美しく大胆で時に繊細さを感じる。舞手の着るきらびやかな衣装は一着数百万円もかかるそうだ。鬼の面は演目に合わせていくつもの種類がある。なかでも特別に大きな物は迫力満点で、大人でも恐怖感を覚える程である。「早変わり」といって一瞬にしてお面や衣装が変わったり、手品のような芸当を目の当たりにできることも大きな見どころだろう。演目によって様々なストーリーを楽しむこともできる。また、投蜘蛛やドライアイス・花火などの舞台演出には老若男女が皆歓声を上げるし、鬼や神が舞台から降りてくると客席全体がどよめくこととなる。筆者のおすすめの演目は塵倫、滝夜叉姫、紅葉狩などである。
そんな安芸高田市の神楽が「今アツイ」と言える。若い団員が中心となって新たに「NEXTひろしま神楽プロジェクト」という取り組みがはじまったのである。新型コロナウイルスの影響により公演は軒並み中止を余儀なくされ、神楽は存亡の危機に陥った。そんな状況を打破するべく団員が立ち上がったのだ。普段あまり交わることの少ない別の神楽団との交流を今まで以上に強めつつSNSなどで魅力を発信するなど、神楽文化の盛り上がりに貢献している。
プロジェクトの一環として「厳島合戦」という新しい演目が制作された。元・安芸高田市の職員で、第13回角川春樹小説賞受賞作家の稲田幸久氏が原作を担当した。本演目の台本は全22神楽団で共有するとのことで、早速長男がお気に入りの羽佐竹神楽団の公演を観に行った。なんといっても見どころは、本来ならば悪役の陶晴賢の自刃のシーンである。素晴らしい脚本に迫力の演技が相まって感動必至である。
また、子ども神楽団や神楽甲子園の開催など、神楽に熱中しているのは大人だけではない。広島県立吉田高等学校には神楽部という部活もあり、部員はそれぞれ別の神楽団で稽古をしながら学校では皆がそれぞれの団の良さを活かし稽古をしている。そんな吉田高校神楽部の「厳島合戦」である。大人の神楽団のような円熟さはないかもしれないが、キレのある動きなど学生には学生の花があり、心にグッと来るものがある。
大人の神楽団員は週2日ペースで稽古を重ねているそうだ。しかし旅芸人などとは違い、神楽は職業ではない。団員は皆他に仕事をしているのである。本業の仕事を終え帰宅後、家のことなども済ませた後で稽古場に集合し、夜遅くまで稽古を続けているのだ。それがどれ程大変なことであるか、筆者には想像もつかない。お金や地位や名誉の為ではなく、自分自身への見返りなど一切求めてはいないのであろう。何かもっと大きなものへの強い思いにより突き動かされているようにすら見える。
団によっては江戸時代など古くから伝統を受け継いでいる。そしてその伝統を次の若者へと託していくのだ。百年、二百年先の未知なる団員にバトンを渡す為に目の前の舞台や稽古に真剣に取り組んでいる。
これまでの先人がそうであったように、現在の団員がしかと残した足跡は、この先数百年後も轍となって脈々と受け継がれていくであろう。
(赤松佑紀)
【執筆者プロフィール】
赤松佑紀(あかまつ・ゆうき)
昭和59年福井県生まれ、広島県在住。音響専門学校在学中にCDデビュー。現在はWEBデザイン会社専務取締役。「香雨」同人。俳人協会会員。
平成25年「狩」入会。平成31年「香雨」入会。令和2年同人。第一回「香雨」評論賞エッセイ部門受賞。令和3年第三回「香雨」新雨賞受賞。令和4年第十回俳句四季新人賞受賞。第三回「香雨」評論賞評論部門受賞。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【2022年11月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】
>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
【2022年11月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】
>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】
>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し 西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被 平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て 高橋安芸
【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】
>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり 岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子
【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】
>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして 原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり 金原まさ子
【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】
>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹 津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ 榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか 鴇田智哉
【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】
>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥 橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ 京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上 鈴木花蓑
【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】
>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな 飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸 飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり 飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い 飯島晴子
【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】
>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず 加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓 加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる 加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ 加倉井秋を
【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】
>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月 杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな 坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ 安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希
【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】
>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる 小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄 吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ 三枝桂子
【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】
>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲 安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア 豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲 宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく 加藤喜代子
【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】
>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸 正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ 正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉 正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな 正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規
【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】
>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる 野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等 野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし 野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海 野見山朱鳥
【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】
>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが 髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた 福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり 兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな 畠山弘
【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】
>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり 石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養 石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず 有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛 松本たかし
【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】
>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は 中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催 潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ 田口武
【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな 蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる 岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎 神野紗希
【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】
>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事 岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ 中町とおと
【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】
>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う 大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」 林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より 藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手 木下夕爾
【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】
>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し 芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ 芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉 芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音 芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男【後編】
【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】
>>〔1〕秋灯机の上の幾山河 吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す 寺田京子
【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】
>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊 杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ 後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す 仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒 山口青邨
【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】
>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり 夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな 永田耕衣
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】