ハイクノミカタ

水鳥の和音に還る手毬唄 吉村毬子

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水鳥の和音に還る手毬唄)

吉村毬子
『手毬唄』)


吉村毬子さん、貴女が泉下の俳句國へ赴いてから早五年が過ぎました。その間、貴女が遺した唯一の句集『手毬唄』を時折り繙いては、同じ「LOTUS」同人として、そして束の間ながら生活のパートナーとして共に歩んだ日々を懐かしく思い返したりしたものです。先日も夜遅くに詩歌書のならぶ書棚を整理しながら、何気なく手にした貴著につい読みふけり夜明けを迎えたなどということがありました。貴女の生前に『手毬唄』の感想をじかに述べなかったことに他意はなく、しかし、一時のすれ違いが結果的に永遠の別れになってしまったのはやはり遺憾で、今でも何かしら言いそびれたままになっているのを気に病んでいたのですが、過日の貴著再読に触発されてあらためて何事かを伝えたいという気持ちになりました。ひとまず、或る思い出話から始めることにしましょうか。

魚やめしより中天に根の生える」―約二十年前の知り合って間もない頃、或る句会に出された貴女の作品です。今思い出しても恥ずかしいことですが、当時、私は本句の意味が全く取れなかった。それは、同席していた大方の人たちも同様で、とくに上句の「魚やめしより」がさっぱりわからなかった。ほとんどの人は(私も含めて)、ひらかな表記の箇所を「(魚)や(めし)より」と解釈し、それぞれに読みのドツボに陥っていたのでした。喧々諤々のやり取りが交わされ作者が明かされた後、貴女はやや口惜しそうに「上句は「魚を止める」のつもりだった」と弁明しました。それに対して参加者の一人が「ならば明確に「魚止めしより」と書かなければ伝わらないのではないか」と返したのですが、私は某氏の意見に一理ありとしながらも即座に心中「いや、違う」と呟きました。その時の貴女の表情も、某氏の反駁に少しく不満げな反応だったと記憶しています。その後、しばらくして何かの折に先述の作品に話が及び、私が「そういえば、この間の句会に出された吉村さんの作品ですけど「魚やめし」には〝魚を病む〟のニュアンスもありますね」と言った時、貴女は一瞬虚を突かれたような眼差しを向け、その後にっこりと晴れやかな表情を見せたのでした。それから「「やめしより」のひらかな表記にはやわらかさの中に妖しさがある」とか「意味を明確にする、または伝えることが詩の本意ではない」「詩は意味を超えた〝何か〟だ」といった話でひとしきり盛り上がったことを覚えています。それだけに、後年、貴女が待望の第一句集『手毬唄』を出された時、如上の作品が「魚を了ひて中天に根の生える」と改変されているのを見るに及んで、私は些か遺憾の念を抱かざるをえませんでした。いかなる熟考の果てに「魚やめしより」が「魚を了ひて」に変わったのか。しかし、これは些細な私的違和感であり、そのことで『手毬唄』の評価を左右したり、況して貶めたりするつもりはありません。美と情念が濃密に奏でられた『手毬唄』は、その詩的圭角と深さにおいて近年の俳句史上でも贔屓目無しに比類のない句集だと思います。が、かつての貴女との文学的交流を加味しつつ、先の些細な違和感に、ついに私は拘らざるを得ないのです。

「私の作品を理解してもらいたい」というのは、あるいは創作を業とする者の大方の思いかもしれません。ですが、私が貴女との過去の付き合いを絡めて『手毬唄』から感じたものは、作品をこえて「これが()です。この()を理解してほしい」という、どこか憑かれたような、貴女の(生来の?)人一倍強い自我意識―すなわち「我執」でした(「魚やめしより」が「魚を了ひて」と強い意味性に傾いたのも多分にそれが影響しているものと邪推しています)。憑かれたような―そう、まさしく貴女は、様々な想念に、様々な言葉に、様々な人間に、憑りつかれていた。そればかりでなく、自ら望んで、様々な想念に、様々な言葉に、様々な人間に、憑りついた。これは否定的な意味合いで言うのではありません。精神的・物理的な「憑く/憑かれる(オブセッション)」は、或る種、詩人の特質でしょうから。実際、貴女は「憑く/憑かれる」ことの術に長けていた。しかし、思うのです―詩の(わざ)において、それと同等に、あるいはそれ以上に重要なのはむしろ「祓う」ことの方にあるのではないかと。遠い夏の日、海辺に貝殻をひろう貴女に話したコクトーの言葉を覚えているでしょうか―「手には、〈つかむ手〉と〈はなす手〉がある」―この至言(マキシム)は、詩行において、今でも少なからず示唆的なものです。

『手毬唄』の評者らが異口同音に言います。句姿にあらわれる作者の、嘆き、もがき、苦しみ、のたうつ様を。それが、美しく詩的昇華を遂げた見事さを。

金襴緞子解くやうに河からあがる
花柘榴あれは坩堝の歌留多とり
薄氷へ日は青々と腐敗する
水底のものらに抱かれ流し雛
曇天の水平線の骨を持つ
龍の落とし子薄氷の久遠なら
火祭や天地無用の髪踊る
毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
さるをがせ世は浮彫の百回忌
自鳴琴それは未生の帯と呼び
天外の髪の先まで蟲の夜
裏海へ色なき蝶の憑く時間
鳥葬や父の果てまで枝を折る
菊石を抱く中陰の漣よ

これらには、たしかに中村苑子の弟子(そして三橋鷹女の精神的継承)としての面目躍如たる凄艶な詠みぶりが見て取れます。しかし、ロマンティシズムやナルシシズムに端を発する思慕・情念などの内面表現は、いくら修辞を尽くそうとニーチェ流に言えば「怨恨(ルサンチマン)」の産物であり、それはついに「独我論」に過ぎないのです。その意味で、吉村俳句は、あまりにも吉村毬子その人でありすぎた(『手毬唄』はその最高と限界のあらわれです)。〝肥大した我〟の詩、それは文芸的な興趣をそそるものではあっても、決して文学的(または言霊的)に高いものではありません。

詩人が、まず為すべきは「私から()を祓うこと」です。自らを(くう)にしてこそ様々なモノ・コトを取り込めることを―しかし、貴女は、どこか無意識のうちに覚っていたかもしれない。その証左に『手毬唄』のいくつかの作品―たとえば、

毬落ちて水照りの天井揺れつづく
魚透けて紐緩き日の祭りかな
飲食のあと戦争を見る海を見る
麦秋の涸れ井戸鳥語あつめては
釣人までの紫陽花を漕ぎゆかむ
鳥渡る北の菩薩は寡作とや
螢より消えてゆくなり鏡匣
鳥影や雲を許して雲になる
旅人と樽わかれゆく歌枕

などには、そこはかとなく「祓え」の気配が窺えるのです。そして、それが最もよく表れているのが『手毬唄』の巻軸に置かれた掲句であると―「水鳥の和音に還る手毬唄」、貴方は無意識に使っていたかもしれませんが、「還る」という言葉が、その実、貴女の文学的存在論的テーマではなかったかと思うのです。火と水、天と地、夢と現、光と影、具体と抽象、此岸と彼岸、そして、憑きと祓えと。行きて帰るこころ―その終わりなき往来。その絶えざる言語交霊(コレスポンデンス)。それらを包括する遙かなる連環。それが未消化のままに提出されたのが『手毬唄』だとすれば、心的昇華を成し得たであろう次なる句集こそが、実は、真に望まれたのでした。

詩と人生の修羅の果てに、吉村俳句は、ついに凄絶なる〝練習曲〟に終わりました。しかし、これほどの美と句格と内実を備えた珠玉の習作(エチュード)を、今現在書きうる俳句作家がどれほど在るでしょうか。あらためて、切に、祈ります。貴女の冥福を。そして、そう遠くない未来に、『手毬唄』を大いなる糧として新たな俳句作家が立ち現れんことを。

九堂夜想


【執筆者プロフィール】
九堂夜想(くどう・やそう)
1970年青森県生まれ。「LOTUS」編集人。句集『アラベスク』(六花書林)


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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