逢曳や冬鶯に啼かれもし
安住敦
(『筑摩文学全集』)
冬の鶯は、「ホーホケキョ」とは啼かない。「チャチャチャ」と啼く。俳句では「笹鳴き」という。この啼き声は、舌打ちのようにも聞こえるし、笹藪のざわめきのようにも聞こえる。鶯は、声は聞こえても姿を見せない鳥。どこに潜んでいるのか、油断のならない鳥である。
高校時代、学習塾に行く前に近くの城址公園を散策することが楽しみであった。2月の頃は、咲き始めた梅林のベンチで肉まんを頬張る。買い食いを禁止されていた私の秘密の時間。あるとき、同級生の男女が手を繋いで梅を見ていた。「あの二人、付き合っていたのか」という驚きもあったが、邪魔をしてはいけないと思い、声を掛けずに立ち去った。翌日、女の子から「城址公園に居たことは内緒にして欲しいの」と言われる。私も「肉まんを食べていたことは内緒ね」と答えた。でも、付き合っていることを隠している理由は何?とも思ってしまった。彼女の話によれば、相手の男の子は、親友の想い人であったとか。彼女もまた男の子の親友の想い人であったことから、ダブルデートを企画したらしい。冬の遊園地で、彼女は彼の親友と観覧車に乗り、彼は彼女の親友とジェットコースターに乗った。だが、ダブルデートを企画しているうちに恋心が芽生え、密かに逢う仲となった。まどろっこしいことが嫌いだった私は、「お互いの親友にちゃんと説明すれば良いのでは」と言ってしまう。彼女は「今はまだ言えない」とうつむいた。二人の恋は、結局秘密のまま終わる。秘密であることが堪えられなくなった彼女が彼に「交際宣言をして欲しい」と迫ったことが理由らしい。彼は、親友の想い人を奪ってしまったことを告げられなかった。女性は、友情よりも恋、男性は恋よりも友情を大切にするのだということを知った。
唯一の恋の目撃者であった私は、梅林での二人の逢瀬を誰にも話さなかった。すべては、笹藪のなかから垣間見た出来事。「ホーホケキョ」と高らかに声を発せないので、舌打ち混じりに「チャチャチャ」と呟きながら、卒業の日までを過ごした。
逢曳や冬鶯に啼かれもし 安住敦
〈逢曳〉とは、男女が人目を忍んで逢うこと。誰しも経験があるであろう。かつては、社内恋愛禁止の会社もあった。また、大学のサークルでも俳句の会でも、友人に気を遣わせないため交際を内緒にすることがある。女性の心理としては、おおやけにして欲しいのだが。その一方で、恥ずかしいので内緒にしたい気持ちもある。秘密ほど甘い蜜はないのだから。
恋に恋する私は、様々な場所で恋の修羅場に遭遇する。ここまで遭遇率が高いと、特殊な能力なのかとも思ってしまう。就職して間もない頃、公園内の喫茶店で読書することを楽しみとしていた。その喫茶店は、いつ訪れても閑散としており、窓際の席で静かな音楽に包まれながらサンドウィッチを食べ恋愛小説を読む。窓の外から聞こえる公園の森のざわめきも、未知なる恋を奏でていた。そんな平和な休日の喫茶店。店員さんは、いつものように咲き始めた梅が見える席に誘導してくれた。程なくして若き男女が近くの席に座る。そして、口論を始めた。当然ながら、小説に集中できない。小説を読んでいるふりをして二人の会話に耳を傾けた。内容を要約すると以下のような話である。喫茶店に訪れたA男さんとB女さんは、大学のサークルの仲間同士。A男さんは、B女さんが好きなのだが、B女さんは、先輩のC男さんと密かに関係を持っている。C男さんは、同じサークルのD女さんの彼氏。世間的にみれば略奪愛。だがB女さんの証言によれば、風邪で寝込んでいるときにお見舞いにきてくれたC男さんに「D女とは別れるから、俺と付き合ってくれ」と土下座されて関係を持ってしまったとか。ところが、C男さんは、D女さんと別れる気配もなく、ずるずると密かなる関係が続いている。B女さんに恋するA男さんは、二人の関係に気付いてしまったのだろう。「君は遊ばれているだけだ。早く別れて俺と付き合えよ」「そんなことない。彼は私のことが好き。今は、別れのタイミングを計っているだけなのよ」「そうだとしても、君は友人の恋人を奪った悪い女になるだけだぞ」「それでもいいの。気の弱い彼が彼女に別れを告げられなくても、それでも逢いたい」「俺は嫌だ。俺が君と付き合ったら、世界中に向けて、俺の女だと叫びたい。こそこそとしか逢えない恋なんて不幸なだけだろ?」。
笹藪に隠れるように密かに聞いていた若い男女の恋の話。小説から目を離して垣間見たA男さんは、美男子であった。私なら、世界中に向けて愛を叫んでくれる美男子を選びたいところである。日陰の女でも良いからC男さんとの関係を続けたいB女さん。そのB女さんに愛を叫び続けるA男さん。立春を過ぎた公園は、まだ寒く、鶯が「チャチャチャ」と鳴いていた。
高らかに「ホーホケキョ」と愛を告げるA男さんの春は遠く、B女さんは、泣きながら喫茶店を出て行った。確かに男女の恋というのは、当事者にしか分からないことがあるので「君は遊ばれているだけだ」と断言したのは失敗だったのかも。女性は、否定されると意固地になってしまうものである。高らかに恋を宣言できなくとも奥ゆかしく恋を奏でることで恋心が増してしまう女性もいるのだから。じっくりと「チャチャチャ」と啼きながら、彼女の孤独に寄り添う存在になれたら勝機もあったのかも。喫茶店という笹藪の中から覗き見た複雑な恋愛模様。B女さんが去ったあと、頭を抱えているA男さんに声を掛ける勇気もなく、店を出た。どうしたらハッピーエンドになれるのか、ブツブツと独り言を漏らしながら余寒の公園を歩きまわる私はかなり怪しい人に見えたに違いない。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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