ハイクノミカタ

落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子【季語=落椿(春)】


落椿とはとつぜんに華やげる

稲畑汀子(いなはたていこ)

 昼も、そして、夜も風の鋭さが変わって季節は進むのに、日常のふとした瞬間ごとに差し入ってくる不安が続く日々。ロシアのウクライナ全面侵攻開始から、一週間が経った。

 そんなひと日、季節はたしかに「何もかも春らしく」なったなと思った矢先の穏やかな夕方に、稲畑汀子は息を引き取った。

 その日は午後2時から定例の句会がオンラインで開催となっていて、汀子が立ち上げ、現在、稲畑廣太郎が主宰するその句会の余韻に、まだそれぞれがあった時間だったろう。

落椿とはとつぜんに華やげる

 花のまま枝に残って錆びてゆく花や、花弁がそれぞれに散る花など、花の散りようはさまざまな中、椿は花全体がどさりと落ち、地に当たって砕けたりする、たしかに特徴的な花だ。そのために、その椿は「落椿」の名を与えられている。

 俳句にのめり込み始めて以来ずっと、あまりに身の周りで口に上る句であったため、「落椿とは突然華やぐ」ものだという風に刷り込まれて過ごしてきてしまったけれど、改めて見ればそれが人の口に上る句である要素はいくつもある。

 椿という花に対して「華やげる」という形容を重ねる大胆さ、一方で「華やぎ」の差す先が「落」椿であることによる交わらなさ、花に対して「とは」という理屈ともいえる接続をしながら概念に陥らない後半、「突然」という説明的語彙の乗りこなし(これは「東京ラブストーリー」より前の話だ)、そしてその仮名表記「とつぜん」。

 落椿の激しい存在感を、多分に身に纏った句と言えよう。

 句は1980年の作。前年、1979年10月末に父・高濱年尾を亡くして『ホトトギス』主宰となった汀子は、突然の病に伏せた夫・順三の看病の途にあった。また、同年4月、『ホトトギス』は通巻千号を迎えようとしていた。そんな日々に生まれたこの句だった。

 明日、東京は気温が上がるそうだ。週末の空の明るさを大切に。

『星月夜』(1981年)

阪西敦子


【阪西敦子のバックナンバー】

>>〔74〕見てゐたる春のともしびゆらぎけり 池内たけし
>>〔73〕諸事情により、おやすみ
>>〔72〕春雪の一日が長し夜に逢ふ      山田弘子
>>〔71〕早春や松のぼりゆくよその猫    藤田春梢女
>>〔70〕よき椅子にもたれて話す冬籠    池内たけし
>>〔69〕犬去れば次の犬来る鳥総松     大橋越央子
>>〔68〕左義長のまた一ところ始まりぬ      三木
>>〔67〕絵杉戸を転び止まりの手鞠かな    山崎楽堂
>>〔66〕年を以て巨人としたり歩み去る     高浜虚子
>>〔65〕クリスマス近づく部屋や日の溢れ  深見けん二
>>〔64〕突として西洋にゆく暖炉かな     片岡奈王
>>〔63〕茎石に煤をもれ来る霰かな      山本村家
>>〔62〕山茶花の日々の落花を霜に掃く    瀧本水鳴
>>〔61〕替へてゐる畳の上の冬木影      浅野白山
>>〔60〕木の葉髪あはれゲーリークーパーも  京極杞陽

>>〔59〕一陣の温き風あり返り花       小松月尚
>>〔58〕くゝ〳〵とつぐ古伊部の新酒かな   皿井旭川
>>〔57〕おやすみ
>>〔56〕鵙の贄太古のごとく夕来ぬ      清原枴童
>>〔55〕車椅子はもとより淋し十三夜     成瀬正俊
>>〔54〕虹の空たちまち雪となりにけり   山本駄々子
>>〔53〕潮の香や野分のあとの浜畠     齋藤俳小星
>>〔52〕子規逝くや十七日の月明に      高浜虚子
>>〔51〕えりんぎはえりんぎ松茸は松茸   後藤比奈夫
>>〔50〕横ざまに高き空より菊の虻      歌原蒼苔
>>〔49〕秋の風互に人を怖れけり       永田青嵐
>>〔48〕蟷螂の怒りまろびて掃かれけり    田中王城
>>〔47〕手花火を左に移しさしまねく     成瀬正俊
>>〔46〕置替へて大朝顔の濃紫        川島奇北
>>〔45〕金魚すくふ腕にゆらめく水明り    千原草之
>>〔44〕愉快な彼巡査となつて帰省せり    千原草之
>>〔43〕炎天を山梨にいま来てをりて     千原草之
>>〔42〕ール買ふ紙幣(さつ)をにぎりて人かぞへ  京極杞陽
>>〔41〕フラミンゴ同士暑がつてはをらず  後藤比奈夫
>>〔40〕夕焼や答へぬベルを押して立つ   久保ゐの吉

>>〔39〕夾竹桃くらくなるまで語りけり   赤星水竹居
>>〔38〕父の日の父に甘えに来たらしき   後藤比奈夫
>>〔37〕麺麭摂るや夏めく卓の花蔬菜     飯田蛇笏
>>〔36〕あとからの蝶美しや花葵       岩木躑躅
>>〔35〕麦打の埃の中の花葵        本田あふひ
>>〔34〕麦秋や光なき海平らけく       上村占魚
>>〔33〕酒よろしさやゑんどうの味も好し   上村占魚
>>〔32〕除草機を押して出会うてまた別れ   越野孤舟
>>〔31〕大いなる春を惜しみつ家に在り    星野立子
>>〔30〕燈台に銘あり読みて春惜しむ     伊藤柏翠
>>〔29〕世にまじり立たなんとして朝寝かな 松本たかし
>>〔28〕ネックレスかすかに金や花を仰ぐ  今井千鶴子
>>〔27〕芽柳の傘擦る音の一寸の間      藤松遊子
>>〔26〕日の遊び風の遊べる花の中     後藤比奈夫
>>〔25〕見るうちに開き加はり初桜     深見けん二
>>〔24〕三月の又うつくしきカレンダー    下田実花
>>〔23〕雛納めせし日人形持ち歩く      千原草之
>>〔22〕九頭龍へ窓開け雛の塵払ふ      森田愛子
>>〔21〕梅の径用ありげなる人も行く    今井つる女

>>〔20〕来よ来よと梅の月ヶ瀬より電話   田畑美穂女
>>〔19〕梅ほつほつ人ごゑ遠きところより  深川正一郎
>>〔18〕藷たべてゐる子に何が好きかと問ふ  京極杞陽
>>〔17〕酒庫口のはき替え草履寒造      西山泊雲
>>〔16〕ラグビーのジヤケツの色の敵味方   福井圭児
>>〔15〕酒醸す色とは白や米その他     中井余花朗
>>〔14〕去年今年貫く棒の如きもの      高浜虚子
>>〔13〕この出遭ひこそクリスマスプレゼント 稲畑汀子
>>〔12〕蔓の先出てゐてまろし雪むぐら    野村泊月
>>〔11〕おでん屋の酒のよしあし言ひたもな  山口誓子
>>〔10〕ストーブに判をもらひに来て待てる 粟津松彩子
>>〔9〕コーヒーに誘ふ人あり銀杏散る    岩垣子鹿
>>〔8〕浅草をはづれはづれず酉の市   松岡ひでたか
>>〔7〕いつまでも狐の檻に襟を立て     小泉洋一
>>〔6〕澁柿を食べさせられし口許に     山内山彦
>>〔5〕手を敷いて我も腰掛く十三夜     中村若沙
>>〔4〕火達磨となれる秋刀魚を裏返す    柴原保佳
>>〔3〕行秋や音たてて雨見えて雨      成瀬正俊
>>〔2〕クッキーと林檎が好きでデザイナー  千原草之
>>〔1〕やゝ寒し閏遅れの今日の月      松藤夏山


【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 什器全て鈍器に見えて冬籠 今井聖【季語=冬籠(冬)】
  2. 後輩の女おでんに泣きじゃくる 加藤又三郎【季語=おでん(冬)】
  3. かくも濃き桜吹雪に覚えなし 飯島晴子【季語=桜吹雪(春)】
  4. サマーセーター前後不明を着こなしぬ 宇多喜代子【季語=サマーセー…
  5. ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子【季語=梅雨(夏)】
  6. 新綠を描くみどりをまぜてゐる 加倉井秋を【季語=新綠(夏)】
  7. 夏落葉降るや起ちても座りても 宇多喜代子【季語=夏落葉(夏)】
  8. 農薬の粉溶け残る大西日 井上さち【季語=大西日(夏)】

おすすめ記事

  1. 【夏の季語】たかんな
  2. なにはともあれの末枯眺めをり 飯島晴子【季語=末枯(秋)】
  3. 俳句おじさん雑談系ポッドキャスト「ほぼ週刊青木堀切」【#4】
  4. 草餅や不参遅参に会つぶれ 富永眉月【季語=草餅(春)】
  5. 「パリ子育て俳句さんぽ」【4月2日配信分】
  6. いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
  7. 凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子【季語=凍つ(冬)】
  8. 新涼やむなしく光る貝釦 片山由美子【季語=新涼(秋)】
  9. 菊人形たましひのなき匂かな 渡辺水巴【季語=菊人形(秋)】
  10. 【#23】懐かしいノラ猫たち

Pickup記事

  1. 詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり 久保田万太郎【季語=蝶(春)】
  2. 葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子【季語=葛の花(秋)】
  3. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年12月分】
  4. 【冬の季語】毛糸玉
  5. 膝枕ちと汗ばみし残暑かな 桂米朝【季語=残暑(秋)】
  6. 【冬の季語】時雨
  7. 乾草は愚かに揺るる恋か狐か 中村苑子【季語=乾草(夏)】
  8. 【夏の季語】海の日
  9. 橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃【季語=橇(冬)】
  10. 「けふの難読俳句」【第6回】「後妻/前妻」
PAGE TOP