一陣の温き風あり返り花 小松月尚【季語=返り花(冬)】

一陣の温き風あり返り花

小松月尚こまつげしょう )


小規模会食が戻りつつも、何もなかったことにはなっていない立冬後の東京、すっかり元通りのようでいて、半分は元通りを覚えていないことによる錯覚なんじゃないかと思われる今日この頃ですよ。もともと忘れっぽいというか、記憶の濃淡がはっきりしたたちなため、コロナウイルス到来前で記憶に鮮明なことといえば、ラグビーのワールドカップなのですが、あの決勝からとうとう二年が経ってしまいました。二年というと次のワールドカップまでの折り返しでもあるし、不動産の更新期間でもあって、そろそろラグビーワールドカップと言えばフランス大会だなと考え出す頃でもあり、かつ、ワールドカップ以降、マンションを更新するくらい経ってしまったんだと思うと、そりゃあ、(笑わない男)稲垣のトライ記念Tシャツが薄くなるのも無理はないわけで。

一陣の温き風あり返り花

二回契約更新した今の家から歩いてゆける距離に桜のある川があって、一か月前に行ったときにずいぶん返り花があった。桜の返り花って久々に見たなと思ったのだけど、今日、虚子編歳時記の解説を読んだところ「単に帰り花と言えば桜の花のことで、他の花は其名を補いなどして其感じを出すのである(現代仮名遣いは筆者)」とあって、それじゃあひさびさに本物の返り花を見たんだなと思う。

虚子編歳時記の解説は、カタカナで言うところのファクトっぽいこととツイートっぽいことがシームレスに書かれているところが魅力なのだけれど、「帰り花」の項はそれが比較的くっきりしている。「単に帰り花と言えば…」と言ったすぐ後に「たんぽゝ・菫なども帰り咲くと、一寸春かとも思い惑う」などと言う。楽しそうっすね、虚子先生。ちなみに季題として立項されている蒲公英は漢字表記なところも、おもしろい。なんで解説になるとひらがなになっちゃうんだろうね。

小松月尚は明治生まれで浄土真宗大谷派のお坊さん。作者紹介文はすこぶる短い。「本名 常丸 明治十六年七月十八日生。真宗大谷派浄誓寺住職。」とだけ。紹介文の横には金沢の住所もあるけれど、旧町名らしくて今の地図には出てこない。お寺の名前で検索すると、全国で何軒か出て来て、恐らく「小松御坊」の名もある金沢の浄誓寺のことなのだろう。

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