冴えかへるもののひとつに夜の鼻 加藤楸邨【季語=冴返る(春)】

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冴えかへるもののひとつに夜の鼻

加藤楸邨


ニューヨークは2月に入ってから何回も雪になっている。今のところ、2月3日のハイクノミカタにて紹介したグラウンドホッグデーのフィラデルフィア「フィル」の予測通りという感じだろうか。

「冴ゆ」は冬の季語で、寒さが、透明感が醸し出されるほどに極まった状態。〈冴えかへる〉は春の季語で、春先の暖かくなりかけた頃に再び寒さが戻ってくること。一度暖かさを経験しただけに、より冴え冴えとしたものを感じるものだ。

掲句の、冴返る大気の感覚を〈冴えかへるもの〉と物に託すところに意識の変換の面白さがあり、続けて〈もののひとつに夜の鼻〉と焦点を身体の一部へ絞りこむところに小気味良さがある。 

そして焦点の当たった〈夜の鼻〉は掲句の要でもある。「夜」も「鼻」も周知のものであるが、〈夜の鼻〉というものがあるわけではない。これは作者から生まれた詩の言葉。それは、心地よい違和感をもたらし、読み手の意識は、(じつ)からわずかに離れ(きょ)の空間に入り一瞬浮遊する。〈夜の鼻〉は一句における完結感と、完結した途端に現れる、その詩ゆえの浮遊感を併せ持ち、読み手は不思議な余韻、つまり虚実の境を行き来する刹那を味わう。

間も無く、読者なりに風景や体感などとして追体験ができるだろう。

たとえば、寒さの戻った日の夜にその寒さをひときわ感じたのが鼻だったのだろうか。たとえば就寝時、呼吸のために布団から出ている鼻に冷たい空気が出入りするところ。

それと同時に、理性が寝静まり野性が膨らむ時間である〈夜〉の働きなのだろうか、〈夜の鼻〉が、あたかも一匹の生き物として呼吸しているように見えて、不気味でもあり、ちょっと可笑しく、また愛おしく思えてきたりする。

鼻といえば、思い出される句がある。

 水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介

著名な作家の有名な辞世の句であり、多くの鑑賞がされているが、ネット上で拝読した『芥川龍之介の俳句を語る』は、深く研究がなされていて読み応えのある論考だ。

加藤楸邨と芥川龍之介。ふと、この二人の鼻を見てみたくなった。

今までも両者の写真は見た覚えがあるが、鼻のみに注目したことはなかった。ネットに上がっている写真を見ると、二人とも面高。鼻筋が通っている。

鼻は顔の中心に位置し、また自分の「自」という漢字の成り立ちが正面から見た鼻の形を描いた象形文字ということもあって、鼻が一般的に、自己というアイデンティティーに強く根付いている部分といわれることは察しがつくが、それはそれとして、もっと個人的な感覚的なところで、この二人は鼻に対して敏感だったのではないか、などと思った。身体の感受性とでも言ったらいいだろうか。そこ、つまり存在の深いところからつながる部分から生まれるからこそ、たとえ読者が鼻に敏感でなかったとしても、作品がその深い部分に訴える伝達エネルギーを持つのかと。

気づくと、自分の身体の中で一番感受性の強い部分、言い換えると、好きであれ嫌いであれ気になる部分、もしくは外界の変化に対して無意識に反応が出てしまう部分、というのがあるとしたら、どこだろう、と探し始めていた。掲句はこんなところにも、自分との対話を用意してくれている。

読者の皆さんの感受性の強い身体の部分はどこだろう。

「火の記憶」(1948年)

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino


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