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天狼やアインシュタインの世紀果つ 有馬朗人【季語=天狼(冬)】


天狼やアインシュタインの世紀果つ

有馬朗人


昨年12月6日、90歳にてご永眠された有馬朗人さんは、生前は俳句会「天為」の主宰をされ、俳壇のみならず、広範な分野にわたり、偉大な功績を残された。ここに改めて心よりご冥福をお祈り申し上げる。  

作者の俳句の中で最初に思い出されるのが、掲句である。〈アインシュタインの世紀果つ〉の表現、そしてその〈アインシュタインの世紀果つ〉と〈天狼(てんろう)〉との取り合わせが素晴らしい。

まず、〈アインシュタインの世紀果つ〉を味わってみよう。

〈アインシュタイン〉はアルベルト・アインシュタイン。ドイツ生まれの物理学者で、それまでの物理学の認識を根本から変える、相対性理論ほかを提唱したことから「20世紀最高の物理学者」と称される。

物理学という専門分野の枠を超えて広く一般に知られている人物である〈アインシュタイン〉を獲得した〈アインシュタインの世紀〉は、ここでいう〈世紀〉が〈アインシュタイン〉が活躍した「20世紀」のことであることを、読者に確かに伝えて見事だ。

おそらく20世紀の終わりに際して生まれたのであろう掲句の、この〈アインシュタインの世紀果つ〉には、〈アインシュタイン〉と同じく、みずからも物理学者であった作者ならではの感性が光る。この〈アインシュタインの世紀果つ〉は、その「20世紀」が終わったという事実を伝えるともに、去りゆく世紀への感慨をも含みうる簡潔にして豊かな表現である。

次にこの〈アインシュタインの世紀果つ〉と〈天狼〉の取り合わせを味わってみよう。

〈天狼〉は、おおいぬ座のシリウスのことで、太陽を除けば地球上から見える最も光り輝く恒星である。その青白く、鋭い輝きを、中国では狼の眼光にたとえて〈天狼〉と名付けたという。

〈天狼〉と〈アインシュタインの世紀果つ〉との取り合わせにより、〈天狼〉の輝きが、自身の才能とひたすらな探究心をもって光の秘密を解き明かした〈アインシュタイン〉の大いなる存在感を象徴すると同時に、世紀という時間の長さと、〈天狼〉の輝く宇宙空間とが絶妙に働き合い、一句内に、実に壮大な時空を創りあげている。

さらに〈天狼〉と〈アインシュタインの世紀果つ〉との出会いは、天狼の輝きを見上げ〈アインシュタインの世紀果つ〉と語る動作の(ぬし)の存在を読者に想像させ、この中七下五が内包する、世紀の終わりに際しての感慨、つまり「〈アインシュタインの世紀〉が〈果〉てるのだなあ」という思いを彷彿させるのだ。ここで読者は、その動作の(ぬし)の心に湧き上がる思いや感情を想像し、読者自身のものとする醍醐味を体験する。

〈アインシュタインの世紀〉という表現の、専門性と一般性を備え持つ豊かさ、そして〈天狼〉と〈アインシュタインの世紀果つ〉との出会いが創る壮大な時空は、読者の〈アインシュタイン〉の認識の仕方により変わるであろう読者それぞれがイメージするこの〈世紀〉の多様性を広く受けとめ、さらにその世紀の終わりに際しての、読者の想像しうる多様な思いや感情をも全て受け入れる。この芳醇な一句の時空の中に、それらの心情と星の光が溶け合い余韻となって響き渡るのだ。

天狼やアインシュタインの世紀果つ

作者が他界されたいま、物理学者として、政治家として、そして俳人として、多くの分野において秀でていた作者のたぐい稀なる存在感が、掲句の〈天狼〉の輝きと重なってくる。

掲句を始め数多くの有馬俳句は、これからも俳句史に〈天狼〉のように輝き続けることだろう。

「不稀」(角川書店、2004年)

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino



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