
おこるから壜の蝮がいなくなる
金原まさ子
なんと!本日から七月ですね。連載の回を追うごとに、季節がどんどんかわって…………でも、こちらの連載はかわらずすすめられていて、うれしいです。
夏にむけて買ったスカーフが、色とりどりのよい花だらけで、手もとに届いてみたら、ちょっと毒っ気のある色合いの花ばなで、お気に入りです。しゅるしゅる首に巻かれて、いつかほんものの毒にも効いたらいいなあ。
☆。.:*・゜
拙句は先日第1000号をむかえられた(祝!おめでとうございます!!)「週刊俳句」第318号より。
咬まれたらだいぶ重症だよ、って思っても、その毒がどんなものかたしかめてみたい、という気持ちがとまらなかったから、しずかに、しずかにその細長い身を壜におさめる。こちらが呼んだのか、呼ばれたのかじつのところはわからないのですけれど、恐ろしい毒を持つと恐れられるその生きものは、案外かんたんに硝子のなかにはいってくれました。じゃあ、そんなでもないのかなあ、その毒は……と、甘くみて、でも一応しっかり蓋を閉めてしばらく眺めて、飽きて部屋に置いておく。
家のなかに居ても、外に居ても、いろんな音があるようです。何かができあがる音、読み上げられる音、こわれる音、笑い声、泣き声、怒る声。それは世の中に、街に、時代に、そしてこの句の「誰か」にも降りかかる。あかるい声より、嫌な声、怒鳴る声のほうがずっと多く、ずっしり届くような気がしてしまって、その声をこころはなるべく遠くにして、薄目で、聴く。
怒る、人も、怒られる人も、よくないものをずっとたべ続けて、青黒い臓器になっている感じだーと思う。いつしかその毒がたまって、身体は慣れて、意外といけるものだなあ、と呑気に壜の上から蝮を撫でる。硝子を隔てて毒蛇をみている間も、絶えず怒っている人が居る。絶えず何かが起こり続ける。怒る、起こる、おこ、るが、おきても、自分は、そこに追いつけない。もう、毒にも気づけません。
お酒にでもしてしまおうと思っていたのに、なんだかこちらを睨んでいるだけの蝮があわれに思えて、壜の蓋を外してあげた。蓋を開けてもしばらく睨まれている。ひからびている?いいえ、蝮は絶食しても生きていられるらしいです。いま聴こえている誰の怒りも起こっていることも、収まることはなくて、解毒剤もみつからない。蝮は、己の毒より厄介な、ひとびとの、たちのわるい毒を知ってしまったから、今度はこちらがあわれに思われたか、気づいたら壜はからっぽになっていた。
☆。.:*・゜
掲句の作者は明治四十四年生まれの俳人、金原まさ子さん(本連載では故人の方を敬称略とさせていただいていましたが、わたしがはじめてお名前を拝見したときはまだご存命で、こうお呼びしたいのでこうかきます)。
句集『カルナヴァル』を読んだときの衝撃はおぼえています。なんと、あざやかでうつくしく生々しい世界……!でもそれはまぎれもなくきちんと成立していて、きょうではとてもおしゃれで、しかし現だ、と思うのです。
句集はもちろんのこと、わたしは金原さんの「千代田区麹町六丁目七番地」という文章が好きで、ときどき読みかえします。
実を言うと我々は、その時通っていた飯田橋料理学校へ行く為、 朝八時に家を出ているのである。学校は午前中で早退、しかじかの午後を過ごしたワケだが、六時半の枠内に帰宅し、「今日は学校の帰り、三越へ寄ってそれから資生堂パーラーでフルーツボンチを食べて来ました」と言えば「寄り道は、度々はいけませんよ」で済むのだ。
銀ブラ人種と言う族がいて、 銀座四丁目から新橋へかけての右側の通りを十回以上往復しないと眠れないと言い、連日のように夜の銀座へ繰り出す。左側は夜店が出るからダサイと言い見向きもしない。往っては戻り往っては戻り一体何だったのだろう。でもたまにそういう仲間に加わるときがあると、その夜は全く眠れず、森茉莉がイギリスの見知らぬ名門の老人から「茉莉へ」と言って宝石が贈られてくるのを夢見るように、 あしたは何か素敵な運命が待っているのではないか──と夜っぴいて読み耽るのは夢野久作ではなかったか。
何もかも遠い。
金原さんが、これをかいているわたしよりも若い頃の、きらめくような時代。
その時代は戦火に灼き尽くされてしまって、金原さんが暮らしていた街にわたしも通ったが、きっとその姿は作者がみた都市の姿とは変わり果てており、文中に出てくる作家をいま生きているわたしは好きで、作家は誰も生きていない。その時代を知らぬこちらには、どうやってもかき表せない、凄まじいという言葉では足りない時代を経たその先で、灰をしずめて、きらめく記憶を守りたずさえ、幻をたしかな現実に仕立てたような句たちが金原さんの手から、口から、耳から蔦がお屋敷に絡まり伸びるようにうまれたのだ……。と深く思って、いっそのこと、絡まれてしまわせていただきたいかもしれません、となりながら、そうなることはなく、まろやかに伸びてゆく俳句に目をうばわれるしかないのでした。
セロリスティックの軽さで春の気狂れかな 金原まさ子
☆。.:*・゜
わかったふりで暗喩のような木耳食う 金原まさ子
かきたいこと、というのはいつまでも何処までもたくさんありますが、いつだってその全部が、伝わるようにかけることはないですね☆。.:*・゜それはあえてだったり、はたまたもどかしかったり、もどかしいなんてものじゃないほどはがゆかったり、です。
のんでいたアイスティーが水滴だらけになって、いま此処にも過去があるんだあ☆。.:*・゜となりましたが、誰であってもゆくことができない過去の、りんかく……たどるぐらいであれば、言葉ではつながれるような気がしてしまいます。この連載を通して、よりそう感じています。
☆。.:*・゜
なんとまあ、この行き先表示無しの鈍行列車(にみせかけた疾走列車)のような水曜日も残すところあとわずかでございます!初夏から蒔いた種、間に合って夏の暑さに咲いてくれー←連載を花だと思っている?
花でもいいじゃないですか!(強気5)いろんな方がいろんなことに、そんな気持ちをひそかに強く持っていて、ありとあらゆる世界で、ありとあらゆる花が咲いていてほしいよ、黒い風ではなく花びらが舞ったらいいよと感じる小雨の窓辺です。毒も栄養にするほどの花を☆。.:*・゜
(おおにしなお)
【執筆者プロフィール】
おおにしなお
平成十年、東京都生まれ。俳句をかきます。