桜貝長き翼の海の星波多野爽波【季語＝桜貝（春）】

ハイクノミカタ

桜貝長き翼の海の星　波多野爽波【季語＝桜貝（春）】　

2023/3/29
ハイクノミカタ, マンスリーゲスト
「秋草」, 「青」, の, 山口遼也, 星, 春の季語, 桜貝, 海, 翼, 長い, 長き

桜貝長き翼の海の星)

波多野爽波
『湯呑』

海の上に浮かぶ星の、その悠々と伸びる光を「長き翼」と詠った。そして春の海の優しい闇の中で、親しみがあっただろう桜貝に思いを馳せる。ロマンチックな感じもしつつ、季語の素朴さが活きた一句だ。桜貝は実際に持っているのか想像のものかは分からないが、夜目にはっきり見えるものではないだろう。しかし、確かに作者の胸の中に根づいているような印象を受ける。中七下五の2つの「の」に強い省略が働いていて、比喩の繊細さと表現の大胆さを共存させている。

この句には爽波の自註が残っている[1]。孫引きで恐縮だが、以下に記す。

夜に渚に立って目を凝らしてみても桜貝など勿論目には見えてこない。（略）その場で確かに見たのは海の空に散らばる数多の星の中に一と際光芒を長く引いて、あたかもランプの揺れ動くかの如く見えた一個の星であり（略）桜貝とは、幼少の頃から殊のほか海に馴染み、折あるごとに渚から拾い溜めたあの薄桃色の桜貝が私の胸裡深くに眼っていて、それが光芒を長く引いた明るい星に触発されて言葉として口の端にのぼってきたものであろう。

夜の海と星を前にして、幼少の頃より親しんだ桜貝が自然と口をついた。目の前に桜貝はなかったが、実感を伴って選ばれた季語であることは句からも伝わる。また、〈夜の湖の暗きを流れ桐一葉/爽波『湯呑』〉についても同じように語っている[2]。

真っ暗な湖上をいくら眺めすかして見ても、はるかの沖を流れる桐の一葉など目に入る筈がない。その場で確かに見たのは（略）湖の渚に流れつき漂い浮かぶ一枚の桐の一葉そのものだった。（略）湖畔の燈火の下にもまれ漂う桐の一葉に目を凝らしているとき、初秋の湖の殊のほかの暗さを想い、目の前のここの桐の一葉から暗闇の湖上はるかを可成りの速度で流れ続けているであろう、かしこの桐の一葉を瞬時にまなうらに見て取ったのである。

見えていないものがふと言葉として現れたり、それを瞬時に感じ取ったりする。しかしこの俳句的なひらめきと洞察力は決して頭でっかちなものではなく、目の前に実際にある風景を起点に展開されるものであるということは強調しておきたい。「桜貝」や「桐一葉」の句は、なにかの風景を見たとき、一度いまこの場にいる自分を離れて、過去の記憶にアクセスしたり、別のありうべき視点にジャンプしたりするような手順でつくられた。「桐一葉」の句に関しては柳元佑太氏も次のように論じている [3]。

「夜の湖」の「暗き」を流れる「桐一葉」が見えているとは到底思えぬ。ここではパースペクティブが消失したかたちでの代替的(オルタナティブ)な視覚によってものが捉えられている。それゆえに瞬間的に空虚になる身体性こそ、爽波最大の魅力でないか。

この論では「夜」というキーワードをきっかけに「昼の形式」と「夜の形式」について切り込んでいる（そちらはそちらで興味深いのでぜひ読まれたい）が、一般化できることもあろう。私たちだっていまこの瞬間に見えるものだけで俳句をつくっているわけではない。「ありうべき嘘」をついたり、吟行していても視界にない季語をぱっとひらめいて使ってみたりしているはずだ。

特に「桜貝」の句のような、何かを見て別の何かを思い出すというつくり方は、作者の人生経験に依存するところが大きい。それぞれがそれぞれの日々を暮らすことで、すべての人に違った蓄積ができる。それがいつの日か刺激されたとき、瞬時に引き出すことができれば「桜貝」のような句もできるかもしれない。そう考えると、自分の経験のうち何がいつ引き出されるか楽しみである。それを捕まえるには日ごろの鍛錬が不可欠であるけれど。

[1]
梟通信～ホンの戯言 https://pinhukuro.exblog.jp/22808623/　
元の出典は『現代俳句全集』第四巻（立風書房、1977年）

[2]
増殖する俳句歳時記 https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/　
元の出典は『波多野爽波全集』第三巻（邑書林、1998年）

[3]
『静かな場所』第28号「連載　田中裕明論（５）爽波と裕明」（2022年）

（山口遼也）

【執筆者プロフィール】
山口遼也（やまぐち・りょうや）
1998年生まれ。「秋草」所属。
第1回秋草よしきり賞、第14回石田波郷新人賞。
Twitter：@yakou_haiku
ご依頼、ご感想：yakou.haiku☆gmail.com (☆→@)

2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜＝日下野由季→篠崎央子（2021年7月〜）、火曜＝鈴木牛後、水曜＝月野ぽぽな、木曜＝橋本直、金曜＝阪西敦子、土曜＝太田うさぎ、日曜＝小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓