黒服の春暑き列上野出づ
飯田龍太
この句を作者名を伏せて突然目の前に出されたら、どう解釈されるだろう?どのようなシーンを詠んだものと思われるだろう?
「黒服」をインターネットで検索すると、ナイトクラブなど夜のお店で内勤として働く職種とある。ウェイターやボーイとも呼ばれるらしい。と言うのは一々説明するまでもなく今や常識の範疇なのだろう。勤務中は黒いスーツに身を包んでいることから、その衣装で職業を表すようになったのですね。
左様な訳で、私が最初にイメージしたのは、ホストクラブの従業員たちだった。夜明けまでの営業を終えた彼らが内輪の飲み会もはねて、「お疲れ様っしたー」など言い交わしながら日の高い上野駅で解散する、という場面だ。朝の通勤時にそんなグループを見かけたことが何度もある。素面で(当然だ)職場へ向かうこちらとしては、昼夜逆転した彼らの挙動に持つ感情は「春暑き」という季語がぴったりだし、上野駅周辺の独特の雑踏感がまたそのイメージを補強してくれるのだった。
しかし、作者が飯田龍太、昭和29年の作品と知った途端に、キャバクラの黒服ボーイたちは搔き消え、代りに喪服の一団が登場する。葬儀か法事か、晩春の汗ばむような陽気での喪服は見た目にも辛そうだ。そして一行はそれぞれ悼みの心を厚い黒服の下に隠しているのだろう。私はチャラチャライメージから実直へと読後感を修正した。
ところが、これも不正解。『蛇笏・龍太の旅心』から福田甲子雄の鑑賞を引用する。
“結婚式が終わり新婚旅行の人を駅頭に見送っている景。石原八束の婚儀で、この時代では遠方に行く列車は上野駅を始発とする場合が多かった。黒いダブルの服に白いネクタイが、春の暑い上野駅に並ぶ。”
葬儀ではなく、婚儀だったとは。しかも、「雲母」で共に編集に携わった盟友の、だ。ひょえー、参ったなァ、と自分の誤読ぶりに頭を抱えた。が、この句から、新婚旅行へ出かける友人を見送っている場面だと、どれだけの人が正確に読み取れるだろうか?昔の映画などで「バンザーイ!バンザーイ!」と駅のホームで新郎新婦を送り出すシーンがあるが、そういう祝福が伝わって来ないと感じるのは私だけだろうか。「黒服」ではなく、せめて「礼服」とでも書いてくれていたら、と恨めしく思いながら何度か読み返すうちに、どやどやと駅を出る新郎の友人たちを頭に描けるようになった。「春暑き」は礼装の自分たちを客観的に見た時の苦笑いかもしれない。
福田甲子雄のガイダンスのおかげで自由な第一印象、思い込みの誤読、事実に基づいた感想、と一句で三回味わうことが出来た、とは開き直るにもほどがあるかしらん。 (『蛇笏・龍太の旅心 – 四季の一句』福田甲子雄編著 山日ライブラリー 2003年より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【太田うさぎのバックナンバー】
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>>〔80〕春日差す俳句ポストに南京錠 本多遊子
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>>〔78〕うららかや帽子の入る丸い箱 茅根知子
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>>〔76〕夕空や日のあたりたる凧一つ 高野素十
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>>〔74〕鳥の恋漣の生れ続けたる 中田尚子
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>>〔72〕猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流
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>>〔70〕雪掻きて今宵誘うてもらひけり 榎本好宏
>>〔69〕片手明るし手袋をまた失くし 相子智恵
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>>〔62〕一年の颯と過ぎたる障子かな 下坂速穂
>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く 若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ 遠山陽子
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>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部 加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
>>〔56〕犬の仔のすぐにおとなや草の花 広渡敬雄
>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日 澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く 澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな 坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人 藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに 富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし 波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄 上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白 村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き 西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな 内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな 大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる 佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴 豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫 菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人 京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴 豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ 清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな 仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり 日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ 岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木 佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし 梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ 松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん 三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな 遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く 飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス 渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る 阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に 関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと 大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風 菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ 星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ しなだしん
>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて 桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵 五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる 飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな 手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率 岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに 星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒 中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの 山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる 吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ 能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより 能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み 川島葵
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり 好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し 飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬 津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては 藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり 戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液 茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し 大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき 佐山哲郎
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】