ハイクノミカタ

鳥の恋漣の生れ続けたる 中田尚子【季語=鳥の恋(春)】


鳥の恋漣の生れ続けたる

中田尚子))

近所の鳥たちがそわそわし始めた。四十雀が青空のどこかで鳴いている。いつもは一羽で歩き回っているセキレイとつかず離れずの距離を保って別の一羽がいる。雄の鳩がくるっくくるっくと雌を追い回している。鳥たちが恋に懸命になる季節が来たのだ。

先日いつものように川沿いの遊歩道を歩いていた。この川では常日頃、鴨が泳いだり諍いをしたり、コサギが辛抱強く餌を漁るなどしている。そんな様子を柵に凭れて見下ろす散歩者も少なくない。その朝も三人ほどが川を熱心に眺めていた。通り過ぎがてらになんとなくつられて見やった途端、驚きが口に出てしまった。「わっ!初めて見た、鴨の交尾!」。

小さな群のなかでいきなりの鴨on鴨につい興奮。鳩が同じようにいたしているのは幾度も目撃しているが、鴨はこれまで見たことがなかったんだもん。先客の三人のうち一人の女性が私の声にびっくり顔で振り向いた。慌てて「あの、鴨がいま交尾を・・・」ともごもごと言訳をすると、納得したようなどうでもいいような様子で、彼女たちが眺めているのはカワセミだと教えてくれた。若い男性はカメラを構え、彼女ともう一人の女性は双眼鏡を首から下げている。対岸の石垣を指して、あの二羽がね、もうすぐ仲良くなりそうなの、と言う。カワセミの交尾を待っているところ、とは決して仰らぬ。指先の示すところをよく見るとなるほど二羽が石垣に止まっている。二羽の間合いは段々狭まっているらしい。やがて、一羽が飛び立った。カワセミ・ブルーの翼を一閃させて川面を打ったかと思うと流れの中の石に降りる。どうやら魚を咥えているらしい。雌への捧げものか、と全員で息を呑んで見つめていたが、どちらも居場所を変えない。恋は成就するのか、しないのか。川は朝日にきらめきながら知らんぷりで流れていく。

鳥の恋漣の生れ続けたる

梢の鳥たちがしきりに恋の囀りを響かせる、水辺の明るい景色が目に浮かぶ。「漣の生れ続けたる」は目の前の情景描写ではあるのだが、恋愛の比喩にもなっている。恋は人の心に漣を立てる。誰かと誰かの恋が思わぬ波紋を広げることがある。二人の噂は水の輪のように遠くへ行くほどに大きくなる。そんな恋愛の諸相を暗示しつつも、詠みぶりはあくまで軽い。鳥の恋を人間のそれにスライドさせて解釈するのは考えすぎだったかな、とも思わせる。そのはぐらかしも恋愛の手管に似てはいまいか。そんな風に作者の軽妙な手口に踊らされるのもまた楽しい。

さて、カワセミの恋がハッピーエンドを迎えますように。出来れば交尾の瞬間に立ち会えますように。

『一声』ふらんす堂 2018年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔73〕浅春の岸辺は龍の匂ひせる     対中いずみ
>>〔72〕猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流
>>〔71〕おやすみ
>>〔70〕雪掻きて今宵誘うてもらひけり    榎本好宏
>>〔69〕片手明るし手袋をまた失くし     相子智恵
>>〔68〕肩へはねて襟巻の端日に長し      原石鼎
>>〔67〕小鳥屋の前の小川の寒雀       鈴木鷹夫
>>〔66〕ゆげむりの中の御慶の気軽さよ   阿波野青畝
>>〔65〕イエスほど痩せてはをらず薬喰   亀田虎童子
>>〔64〕大氷柱折りドンペリを冷やしをり  木暮陶句郎
>>〔63〕うららかさどこか突抜け年の暮    細見綾子
>>〔62〕一年の颯と過ぎたる障子かな     下坂速穂
>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く   若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ     遠山陽子
>>〔72〕猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流
>>〔71〕おやすみ
>>〔70〕雪掻きて今宵誘うてもらひけり    榎本好宏
>>〔69〕片手明るし手袋をまた失くし     相子智恵
>>〔68〕肩へはねて襟巻の端日に長し      原石鼎
>>〔67〕小鳥屋の前の小川の寒雀       鈴木鷹夫
>>〔66〕ゆげむりの中の御慶の気軽さよ   阿波野青畝
>>〔65〕イエスほど痩せてはをらず薬喰   亀田虎童子
>>〔64〕大氷柱折りドンペリを冷やしをり  木暮陶句郎
>>〔63〕うららかさどこか突抜け年の暮    細見綾子
>>〔62〕一年の颯と過ぎたる障子かな     下坂速穂
>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く   若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ     遠山陽子

>>〔59〕おやすみ
>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部   加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
>>〔56〕犬の仔のすぐにおとなや草の花    広渡敬雄
>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日      澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平

>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり    日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ   しなだしん

>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵    五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる    飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率      岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 集いて別れのヨオーッと一本締め 雪か 池田澄子【季語=雪(冬)】…
  2. 金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや【季語=金魚(夏)】
  3. 屋根の上に明るき空やパリの春 コンラツド・メイリ【季語=春(春)…
  4. 先生はいつもはるかや虚子忌来る 深見けん二【季語=虚子忌(春)】…
  5. 本州の最北端の氷旗 飯島晴子【季語=氷旗(夏)】
  6. トラックに早春を積み引越しす 柊月子【季語=早春(春)】 
  7. いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
  8. こまごまと大河のごとく蟻の列 深見けん二【季語=蟻(夏)】

おすすめ記事

  1. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年4月分】
  2. 秋櫻子の足あと【第4回】谷岡健彦
  3. 【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【20】/片山辰巳
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第7回】大塚凱
  5. 【イベントのご案内】第4回 本の作り手と読む読書会 ~漢詩の〈型〉を旅する夜~
  6. 「パリ子育て俳句さんぽ」【9月25日配信分】
  7. こんな本が出た【2021年2月刊行分】
  8. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第21回】玄界灘と伊藤通明
  9. 纐纈の大座布団や春の宵 真下喜太郎【季語=春の宵(春)】
  10. カルーセル一曲分の夏日陰  鳥井雪【季語=夏日陰(夏)】

Pickup記事

  1. あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男【季語=十一月(冬)】
  2. 【#37】『愛媛 文学の面影』三部作受賞と愛媛新聞の高橋正剛さん
  3. じゆてーむと呟いてゐる鯰かな 仙田洋子【季語=鯰(夏)】
  4. 颱風の去つて玄界灘の月 中村吉右衛門【季語=颱風・月(秋)】
  5. 神保町に銀漢亭があったころ【第90回】矢野春行士
  6. 稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男【季語=稲光(秋)】
  7. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外ー1】 網走と臼田亞浪
  8. 笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第1回】2012年・皐月賞
  9. 針供養といふことをしてそと遊ぶ 後藤夜半【季語=針供養(春)】
  10. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外−3】 広島と西東三鬼
PAGE TOP