みかんむくとき人の手のよく動く
若杉朋哉
田中裕明の「よき友はものくるる友草紅葉」を都合の良いときに呟いている私だが、数軒先のお宅はその意味でもまことに良きご近所だ。亡き母が私に似ずそこそこの社交家だったためか、「お母様にはよくして頂いて」とふつつかな娘にまで心を配って下さる。この夏はたくさん届いたから、と小玉西瓜を一玉頂き、秋には芋堀会で採れ過ぎたの、と土の匂いがまだ新しいじゃがいものお裾分けがあった。そして昨日のこと、インターフォンが鳴ったので出てみると、かの夫人が。頂きものだけれど我が家は家族も少ないし食べきれないので、と立派な富有柿を三つと艶々の蜜柑をいっぱい渡された。ご夫君は大きな企業の重役と聞いているから、その方面の付け届けも多いのかなあ、なんぞの余計な詮索は頭から振り払い有難く頂戴した。そうした時には決まって立ち話をするのだけれど、その人はなかなかの事情通で、私のご近所知識はすべて彼女の情報に頼っている。
みかんむくとき人の手のよく動く
頂いたばかりの蜜柑を食べながらこの句のことを考えた。
確かになあ。おへそのところに指を差し込み穴を開ける。そこから押し広げるように皮を数片に剥く。現れた球形の果実を小房に分けて筋を取る。この辺は人それぞれの裁量があって、ざっくり割って筋も取らずにぱくりと口に放り込む人もいれば、神経質なまでに筋を取りつくした上に薄皮を剥いて果肉だけを食べる人もいる。いずれにしても両手両指を細々と使う作業だ。
「人の手のよく動く」は、自分の動作を客観視しているとも取れるけれど、他者の手の動きと考える方が無理がないだろう。目の前の人が蜜柑を剥いている。剥きながら他愛のないことを語っているかもしれない。その話に耳を傾けながらも目は相手の仕草に吸いつけられている。人の手はなんて器用に動くんだろう・・・。
「ねえ、私の話聞いてる?」「ああ、うん」「もう、上の空なんだから」なんて。
別のシチュエーションもあるだろう。無言で向き合う二人。一人は黙々と蜜柑を剥いている。その静かな音が室内に響く。心が訴えたい言葉は唇ではなく手の動きを通して伝わる。
団欒の象徴のような蜜柑。当たり前の食べ方。まったくなんでもないことを言われて、ハタと膝を打って合点する。これが俳句の面白さなんだなぁ。
私は今、ものくるるご近所さんを家に招くことを夢見ている。ピアニスト志望だった彼女の指はとりとめのない話を繰り広げながらどんな風に蜜柑を剥くのだろうか。
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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