【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2021年11月分】

  • 2021-11-26
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【読者参加型】

コンゲツノハイクを読む

【2021年11月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集をはじめてみました。まだ誰にも知れていない名句を発掘してみませんか? どなたでも応募可能できますので、お気軽にご参加ください。今回は8名の方にご投稿いただきました。


るあんぱばーんるあんぱばーん遠花火

光本蕃茄

「澤」2021年10月号より

ルアンパバーンはラオスの都市で、街全体が世界遺産に登録されている。日本では今年の夏も各地の花火大会が中止になったが、観客の密を避けるため予告なく花火が揚がることもあった。かつて旅をした街の呪文のような名前が、突然の花火の音に重なったのだろうか。縦書きにすると、「るあんぱばーん」の字面はまるで花火のようだ。濁音や半濁音は火花、伸ばし棒は揚花火の軌跡。実はわたしもかつてルアンパバーンに旅をしたことがある。遠花火の似合う街だ。このようにインパクトのある俳句をわたしも作りたい。(千野千佳/「蒼海」)


るあんぱばーんるあんぱばーん遠花火

光本蕃茄

「澤」2021年10月号より

ラオスの古都、ルアンパバーン。寺院が美しいとか、食べ物がおいしいとか、象使いの免許が取れるとか、様々な噂を聞くのだが、残念ながらまだ行ったことはない。しかしその地名の響きだけで、とびきり素敵な場所であることは分かる。外国なのに懐かしく、片仮名より平仮名が似合う場所。常に透明な花火が空に満ちているような場所。想像しているうちに、心はいつの間にか「ルアンパバーン」を通り越し、幻想の「るあんぱばーん」をさまよっている。どこにもない、るあんぱばーん。心の中の、るあんぱばーん。(西生ゆかり/「街」)


サングラスずらして色を確かむる

小野寺和子

「たかんな」2021年10月号より

サングラスの季語でこのような視点の句はあまりないのではないか。買い物をする際、色を確かめる必要のある品物、ファッションアイテムか生鮮食料品か。ここはコロナ禍で縁遠くなってしまった海外詠、ハワイのショッピングセンター、あるいはパリかミラノのブランドショップとして読みたい。堀切さん、パリの夏のソルド(セール)ではこんな光景よくありそうですよね!(鈴木霞童/「天穹」)


身のうちになほ濤ありぬ昼寝覚

久保田哲子

「百鳥」2021年10月号より

「身のうち」とは、心の事とも、身体の事とも捉えられる。見た夢があまりにもリアルすぎて、心も身体もまだどこか興奮冷めやらぬのだ。きっとその夢は夢心地と言えるようなやわな夢ではないだろう。「なほ濤ありぬ」という力強いリズムと措辞に、その夢に対する作者さんの力強い意志を感じる。(琲戸七竈/「森の座」)


虫干の中央に母据ゑにけり

塚本早苗

「ホトトギス」2021年11月号より

土用の晴天の日を選んで、黴や虫害を防ぐため衣類や書画書籍に風を通し陰干しする。これが虫干。その真ん中に母上を「据ゑ」るという。おそらくご高齢のお母様。一人暮らしの家に籠もりがちで普段外気や日光に当たっていないのだろう。たまにしか実家に帰れない作者は、帰ったときには窓を開け放って風を通し、亡き父の蔵書などを虫干する。その際には、気分転換と免疫力アップのため真っ先に母上を庭に連れ出し外気外光の中に。物扱いの諧謔の中にも老いた母を深く思い遣る作者の優しさを感じさせる一句。(種谷良二/「櫟」)



白地着て草書のやうな母白寿

田口くらら

「雪華」2021年11月号より

「草書のやうな」に圧倒されました。

立ち姿だと想像できます。しかも白寿。美しいです。

このお母様の人生も、暮らしぶりも、ただただ美しいです。

読み手はみな、彼女が、豊かで一本筋が通っている人生をおくられてきたように感じるのではないでしょうか。しっかりとご自分の意志を持ち続けていらっしゃる、素晴らしいお母様を思いました。(フォーサー涼夏/「田」)


翡翠の日の斑を割つて水に入る

秋澤夏斗

「都市」2021年9月号より

まるで、素十の〈てんたう虫〉句の、対偶を取ったかのような句ですね。「割る→飛び出す」のと「飛び入る→割れる」のと。……などと論理的に甚だ怪しい感想を漏らしてしまいました、その理由は、感覚の通底。瞬間を捉えた心地良さの感覚において、両句には共通するものがあると思います。類想とは思いません。カワセミの素早さを云い留めて巧み、と感受します。〈日の斑〉という目配りの細やかさ、それ即ち、言葉遣いの細やかさに等しい次第で、十七音ぜんぶ巧み。そんな印象です。(平野山斗士/「田」)



一本の髪のはりつく極暑かな

花村秀子

「濃美」2021年11月号より

もの凄く暑い。頭上に居座る太陽が恨めしい。足元のアスファルトも異様な熱気を発し続けている。じっとりとした汗で顔に張り付く髪の毛は、作者をなお苛立たせる。

極暑の根源には、太陽の運行や地球環境の変化が存在する。一本の髪の毛から一気にズームアウトして、極暑というとてつもなく大きなものへ広げるこの句のダイナミズムは、切れ字「かな」の効果によってもたらされたものだろう。

一方で作者には、極暑を受忍する潔い精神があるように思う。それは諦めとも違う、地球上の小さな生き物としての謙虚さなのかも知れない。(松村史基/「ホトトギス」)


絵と違ふ鳥の出てくる巣箱かな

進藤沙世子

「かつらぎ」2021年10月号より


想定外の出来事に出くわしたとき、人はどういった反応をするのか。鳥の絵が描いてある巣箱から、違う種類の鳥が出てきた。上五「絵と違ふ」は「鳥」に掛かる措辞ではあるが、そのまま心の声を呟いたようにも思える。「あ、絵と違う」という小さな発見、驚き。決して「絵と違う!」と声高に叫ぶようなことはしない。発見を主張するのではなく「巣箱」を詠嘆している、そのリアリティ。心が動かされる瞬間というのは、実際の出来事から少し遅れてやってくるものなのかもしれない。(笠原小百合/「田」)


醜草の露のひかりを踏み歩く

井越芳子

「青山」2021年10月号より

「醜草(しこぐさ)」は、「雑草」を表す万葉語。まずは、やわらかな和語の音が心地よい。どちらかというと「日の当たらない存在」が「ひかり」をまとっているという不思議もある。けれど、雑草だからやっぱり踏まれてしまう。「踏まれてなんぼ」なのである。〈忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり〉は、大伴家持の恋歌だが、掲句は恋のやけくそとも読めるし、まったく恋とは切り離して読むこともできるだろう。ただ、これからの寒さで枯れていくだけの、名もない雑草を美しく詠んでいると。(堀切克洋/「銀漢」)


→「コンゲツノハイク」2021年11月分をもっと読む(画像をクリック)


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