父の日やある決意してタイ結ぶ
清水凡亭
清水凡亭、本名清水達夫。出版文化に詳しい人がその名を聞けば、平凡出版の創立者であり、マガジンハウスの初代社長とすぐにピンとくるのだろう。「平凡」の創刊を皮切りに、「平凡パンチ」、「アンアン」、「オリーブ」、「Hanako」、「ポパイ」といった昭和の若者文化を牽引したともいえる数々の雑誌の創刊に関わり、「雑誌の王様」と呼ばれた人物なのである。
これは今日ネット検索をして知ったこと。句集を買ったのは二十数年前なのに著者来歴を読み飛ばしていたのだ。
マガジンハウス帝国を築き上げた辣腕編集者がどのように俳句と出会ったのか、非常に気になるところだけれども、著者来歴には<昭和51年(1976)句誌「淡淡」を主宰>と記載されているのみ。あとがきには「私は、本業は編集者であって俳句はまったくの余技なので、俳人だとは思っていない。」とある。いわゆる俳壇には関わらず、誰かの手ほどきを受けるでもなく、自分の気に入るように俳句と遊んだのだろう。そう思えば肯けるような句が句集には並ぶ。例えば、<初刷を校了にしておでん酒>、<社内結婚ビラはる仲間五月来ぬ>といった職場の活気が伝わる句、<春雨や待ち人をなお待たんとす>、<てつちりや無口の性はかわらずに>などのしっとりした句など。
生き馬の目を抜く雑誌業界を上り詰めた人、というとアクが強いイメージだが、俳句を読む限り穏やか。この人にとって俳句は日々の喧騒から逃れて過ごす山荘のようなものだったのかもしれない。
父の日やある決意してタイ結ぶ
ここに詠まれている父は自分自身のことだろう。ネクタイの結び目を整えながら決意を固めている。ネクタイを締めるのは外出のためだが、それと決意は何か関係あるのだろうか。<父の日や>という切れが重厚で、家長としての自負や責任といったものが感じられる。昭和のホームドラマのワンシーンでもおかしくない。演じるなら、そう、佐分利信あたりはどうでしょう。重すぎるかな。
清水凡亭は1913年生まれ。この句を収めた第二句集『ネクタイ』は傘寿の記念に編んだものだが、刊行を見ることなく1992年の冬に世を去った。
1983年から2002年までマガジンハウスから発売されていた詩の雑誌『鳩よ!』を覚えておいでの方、あの題字を書いたのが清水達夫だそうですよ。
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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