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雷をおそれぬ者はおろかなり 良寛【季語=雷(夏)】


雷をおそれぬ者はおろかなり)

良寛

 『リング』シリーズや『貞子』を手がけた中田秀夫監督が20年以上前雑誌のインタビューで語っていたことがずっと記憶に残っている。現代の、特に都心には闇が少なく恐怖が不足していると。かつては深夜トイレに行くにも暗い廊下を通らなければならず、ちょっとした恐怖心と隣り合わせだった。仏間の遺影や日本人形も見てしまうと「しまった!」と思ったものだ。屋外はもちろん、家の中にも闇があちこちにあった。そこにありもしない気配を感じ取ってびくびくしていたのである。

 平成生まれの息子には幽霊的な恐怖は通用しなかった。むしろおばけは可愛くて面白いものだった。闇の少ない都心では恐怖は別のところにある。笑顔が喜んでいるとは限らない。優しくしてくれる人が優しいとは限らない。人間の裏表、豹変こそ大いなる恐怖の対象だったようである。

 闇の気配を感じ取ることは謙虚さや自然への畏敬の念を育てる助けになるが、生身の人間に対する恐怖は何を育てるのだろう。何らかの教育的効果はあるのかもしれないが、幼い頃には身につけなくて良い感覚のように思われる。

雷をおそれぬ者はおろかなり 

 良寛は江戸時代後期を生きた僧侶。個人的には辞世の句とされている〈うらを見せおもてを見せて散るもみぢ〉も愛唱の一句である。掲句は名句の風情というよりはちょっとした真実を余計な手を加えることなく句にしたもの。現代なら句歴10年以上の俳人はあまり詠まない領域であろう。今この句が句会に出てきたらとることが出来るだろうか。初心者教室であれば「具体的に」「教訓は俳句にならない」と注意されるかもしれない。

 この句が心にとまる理由として、江戸時代の僧侶が書いたことが作用していることは否定できない。子どもたちに親しんだ良寛自身の体験の中から雷を恐れる重要性を実感していたのだろう。

 季語は雷。「おそれぬ者」と限定している時点で恐れない者がいることがわかる。川の氾濫や崖崩れ、大地震のような誰もが恐れる大規模なものではなく、恐れる度合いに個人差がある現象に限る述べようだ。

 避雷針のない江戸時代の雷に対する恐怖は現代の比ではない。浮世絵に描かれた雷は景色全体にひびが入っているものが多く、勝川春潮の「橋上の行交」では雷除けの護符をつけた男性が描かれている。それでも恐れを知らない者がいたということだ。「おろか」とまで直接的に述べるにはそれなりの理由があるのだ。

 恐怖の対象や度合いは十人十色。しかし確固として恐れるべきものは存在する。

 『校注 良寛全句集』(谷川敏朗著:2000年刊)より。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

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>>〔51〕紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る 津田清子
>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ   河野南畦
>>〔49〕しばらくは箒目に蟻したがへり  本宮哲郎
>>〔48〕逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花 中西夕紀
>>〔47〕春の言葉おぼえて体おもくなる  小田島渚
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