ハイクノミカタ

室咲きをきりきり締めて届きたり 蓬田紀枝子【季語=室咲(冬)】


室咲きをきりきり締めて届きたり

蓬田紀枝子

「先生の句は難しいですね」
「そうですか……そんなことはないと思うのですけれども」
私の句集を買ってくださったカルチャー教室の受講者と、何気なくこんな会話をした。

思い出すと、蓬田紀枝子と私もそんな会話をしたことがある気がする。受け答えは上と全く同じであったと思う。そして、紀枝子と対した私が話題にした句が、掲句であった。第三句集『青山椒』(平成7年、富士見書房)所収。

掲句〈室咲きをきりきり締めて届きたり〉は、私なりに「切れ」の効果というものを考えさせられた句である。この句、よく読むと「締めて」の後で主語がねじれている。〈室咲きをきりきり締めて届たり〉か〈室咲ききりきり締められ届きたり〉でなくてはおかしいと言う人もあるだろう。だが、それではこの句はまったく散文の切れっぱしという印象になってしまう。これはどうしたことだろう。

自分なりの結論は、この句を魅力ある俳句としているのが切れであり、紀枝子にとって、切れは一句に空間的・時間的奥行きを与えるものだということ。紀枝子の切れは、素知らぬ顔で主語や空間を「切り替える」。パッと見、いかにも文が続いていそうなところで、スパッと主語が、場面が切り替わる。つまり主語がねじれる。室咲きの花をきりきりと締めているのは、お花屋さんか、花の送り主。そして場面が切り替わり、今、私の手元に届いた―――。この句を読むと、どんな花を贈ろうかとあれこれ考えている送り主の姿、その表情がまず読者には想起される。そして、読者の想像した送り主の姿は、実は届いた花から作者が思いを馳せる送り主の姿なのだと気づく。届いた花に喜ぶ人の心持ちも、贈った送り主の姿もどちらも十七音で言えてしまっている。トリック写真のように空間に奥行きが生まれているのだ。

 ……紀枝子先生の切れを拝見していると場面の転換や飛躍、主語の入れ替えということが行われていますが、切れというものをそう理解してよろしいんでしょうか。

紀枝子 ええ。(略)そして切れば切るほど深くなるんです。俳句の省略の妙味ですね。

(主宰インタビュー「みどり女・高原・そして今」『駒草』平成13年3月号、92頁)

掲句〈室咲きのきりきり締めて届きたり〉は、ゴテゴテした言い方をせず、あっさりとした叙法で多くの情報を入れている。蕉風の「軽み」へのアプローチとしても、紀枝子的な切り方は有効だと私は思う。主語の飛躍、視点の飛躍を何気なく含む「切れ」が、私が紀枝子から受けた叙法の上の最たる影響である。

マフラーを解きて席の落ち着けり  芳直

何年か前、句会に上記の句を出したら、紀枝子選に入った。「『席の』が良いですね、これが『席に』ではまったく平凡」。私が席に落ち着いたのではなく、世界の方が落ち着いてきてくれる。この感覚を天然で持てるようになってきて、私も「駒草」の俳句に馴染んできたとうれしくなったのをよく覚えている。わざと助詞を「に」から「の」に変えたのでは、それは知的操作である。だが上手に作るための操作は、操作だとばれたり、違和感が強すぎれば興ざめ。

私のマフラーの句、紀枝子句と比べるにはおこがましいが、操作した叙法ではない。この主語のねじれは、一句読んだときにそれほどの違和はないものと思う。素で感じた言い方は、やはりわざとらしくならない(と自分では思っている)。逆に作為的なのは、句がギクシャクしてしまう。

「どこで切るか」は、……意識的に、作為的に切るものではなく、詠みたい感動をまずきちんと把握して詠めば、おのずと句の調べに‶切りどころ〟が生まれるものである。(略)俳句が、もっとも俳句らしく詠まれるには、大胆に、美しく切るべきである。

(蓬田紀枝子「どこで切るか―二段切れ、三段切れなど―」廣瀬直人編『俳句実作入門講座4 季語と切字と定型と』(角川書店、1996、164頁)

紀枝子自身の言葉を引いてみた。詠みたい感動をまずきちんと把握して詠む、と言っている。そして私は、「詠みたい感動をまずきちんと把握」というのを、世界と自分の関係を主語―述語構造で手早くまとめず、感覚で捉える―みどり女風に言えば、自然も人間も対等で、どちらが自分でどちらが対象かわからなくなるまで見て、そのままを言葉にする―ということだと受け止めている。その訓練によって、省略、飛躍を自在に十七音に展開する切れが生まれ、直観が鍛えられるとも。

ここまで書きそびれたが、紀枝子は、西山睦(「駒草」現主宰)と共に、私のかけがえのない俳句の師である。昭和5年生まれ、昭和20年、16歳のとき「駒草」入門、編集を手伝う(作句の始めは、父草刈兵衛によるもので、兵衛は宮沢賢治の最後をみとった医者であった)。昭和45年駒草賞。平成6年「駒草」主宰を継承。初代みどり女の「写生は眼が三分、心が七分」、二代高原の「心の投影」に加えて、「切れ」を強調した(現主宰西山睦はこれらを継承して「写生に心を溶け込ませる」「真実を詠む」と指導する)。平成15年主宰引退、以後顧問。令和2年には句集『黒き蝶』(令和元年、朔出版)で第19回俳句四季大賞を受賞。上述以外の句集に『野茨』(駒草発行所、昭和49年)、『一文字』(富士見書房、昭和62年)、『はんてんぼく』(角川書店、平成17年)があるほか、評伝『俳人阿部みどり女ノート「葉柳に……」』(私家版、平成11年)で俳人協会評論賞。今でも現役で、静かに句会指導に当たってくださる。田尾紅葉子、一力五郎、梶大輔、真島楓葉子、只野柯舟、八木澤高原、世古諏訪と紹介してきたが、紀枝子は今も直接に句座を共にしているという点で、これまで取り上げた人々とはちょっと影響の度合いが違う。

*****

紀枝子との最初の出会いは、「駒草」の会員だった祖母を母の運転で句会に送っていったのにくっついていったときだった。未就学児童の頃である。もう俳句に指を染めていたが、いつも雑誌への投句締切の前に、祖母に貰った『ホトトギス季寄せ』の初版を開いて、その月にあった出来事の記憶に合う題を探し、また好みの題に合う記憶の景色を訪ねて作ることが多かった。そういう俳句への取り組み方だったので、席題なるものがあることを何となく知っていた私は紀枝子先生に「こんにちは」と言って後は母親と帰ってしまった。中高大と運動部に所属したので日曜の「駒草」の句会に出る機会を長く失い、今からするとちょっと後悔している。

二度目の紀枝子との出会いは、祖母の葬儀。このときも挨拶をしただけだったが、ちょうど主宰を引退した平成15年ではなかったかと思う。杖をついていたのが印象に残っている。

その次に出会ったのが、たしか平成27年の春の駒草仙台例会。ふらっと訪れた私に、子ども時代の面影を覚えていてくださって感激したのだが、句会でびっくりしたのが次の句である。

一人出て二人出で春の田となれり  紀枝子

互選ではちょろちょろと選に入ったが、選者級が皆選んでいた。私は予選にも抜けなかった。この「なれり」の感覚! 披講を聞きながら、己の選句眼の未熟さを思い知らされた。

さらに驚いたのが、選者の選評に、紀枝子は「まことにそのままの句でございますけれども。皆さんよく選んでいただきまして」と答えていたこと。

大学で「駒草」バックナンバーを読んでいた私は、紀枝子の「切れ」への耐性はあったつもりでいたが、「まことにそのままの句で」には衝撃を受けた。一人が田に出て来て作業をする。もう一人出て来て作業をする。一人では冬田だが、二人となって、これぞ、春の田なのだという。ある意味独断でもあり、確かにそのままではあるが、その独断自体が十七音のピクチャーに素で書き込まれているのだ。睦主宰も折々「写生に心を溶け込ませる」と言うが、イメージとしては作者自身が景色の端っこにいて、小さく描き込まれているようだ。そうか、この感覚を素で持つということが、感受性を鍛え上げる、俳句の直観を鍛え上げると言うことなのだと思ったものだ。この体験があって、冒頭の〈室咲をきりきり締めて届きたり〉の句に出会ったとき、このときのショックを自分の俳句の骨肉に変え、表現レベルでのアウトプットに落とし込んでいくヒントを示してくれたと思っている。

その後、紀枝子がよく選評で、「写生の基本は出来ているが作者が見えない」「この句は作者の息遣いが感じられますね」といった言葉をよく発することに気付いた。景色を写し、素で景色と同化する自分がいる。そういう俳句作りで、自分の息吹を残す。今も腰を据えて取り組んでいる私の句作りのテーマである。

*****

紀枝子の若い頃については、すでに本連載(梶大輔の回)でも触れているが、表現は奔放であって、下手な鑑賞を許さない心の昂りがある。阿部みどり女は長い俳句人生の最後、「感受性と直感のない句は死語に等しい」(『俳句作法』毎日新聞出版)と述べているが、下に掲げる第一句集『野茨』の作品だけでも、紀枝子は当時から「直感」をテーマとしていたのだろうとよくわかる。

童貞に種朝顔の枯れがれぬ

ピン抜きて春塵の疲れくづれ来ぬ

屍の虫に冬雨の視線干す

いかにせん野茨摘みて手に廻し

濡髪へ寒夜の汽車を通しやる

唇にあて弥生の空と夏みかん

蟬の穴眼の穴となる午后ながし

「濡髪」までは10代の句。俳人協会の自註句集もあるので興味があれば見ていただきたいが、自註はごく素っ気ない。たとえば「蟬の穴」の句は、「蟬の穴が、そのままわが眼窩にはまり込んだように感ずる、暑い日の半日」と言った具合。これをわからぬと言われればそれまで、ということだ。

紀枝子が俳句四季大賞を受賞したとき、黒岩徳将、西山ゆりこ、筆者の三人で紀枝子句集『黒き蝶』を語る座談会を行ったのだが、そのとき、黒岩がこう指摘していた。

徳将 蓬田さんには、俳句の作り方として、SVO(主語・動詞・目的語)はよくわかる、でも、たとえば動詞の意味がとらえきれなくて景がイメージしづらい句がありますよね。言葉として意味はわかるので全部わからないわけではないんだけど、どこかわからないところがある。そういう句はあまり読んでこなかったので面白いところがあります。

(「若手が読み解く紀枝子俳句」「駒草」令和元年7月号)

『黒き蝶』は令和元年冬の発行。黒岩は〈元旦の雪あをあをと畳まるる〉の「畳まるる」といった措辞を念頭に置いて発言しているのだが、第一句集の作品を見てみれば、黒岩の指摘は、句作七十年を経て根本にある揺らがぬ詩精神の勁さが浮き彫りにするようだ。

世古諏訪は紀枝子を評して、「主宰は純粋な詩人である。人にわかってもらおうと、もっと俗に云えば受けようなどとはつゆ思われない。句を頭で構成することはない。心の琴線に触れたところが主宰の句として生れるのである。主宰の作品については、誌友も頭で理解しようと思わず、よく味読して頂きたい。胸にひびくものがあるだろう」(世古諏訪「胸の底にひびく主宰作品―『野茨』『一文字』『青山椒』の重み」「駒草」平成13年3月号78頁)と述べた。そう言えば紀枝子自身が、頭でわかる俳句ではなく、ずしんと胸で受け止めることができる俳句が、自分にとって良い句なのだという選の基準を持っている、と書いているのも見たことがある。

紀枝子と言えば、言葉の硬質な使い方も印象的だ。先に挙げた句で言えば、「童貞」「春塵」「冬雨」。それだけで印象的。また動詞の終止形での下五の止め方、季語を含む描写+アルファのという二句一章の形(太字で示した)は、以前紹介した一力五郎とよく似ている。五郎の句やみどり女の句には、自分の感性を信じてそのまま作り上げる意思の強さのようなものを感じることが多いのだが、紀枝子が彼らから受け継いだところの「駒草」精神とは、そのようなものではないかと密かに思っている。

玉葱の皮や歯ブラシの水を切る   五郎(遺稿集『嵯峨菊』)

紫蘇の香の厨ニクロム線の朱

大枯野その一隅を何か掘る

ナイフあり目前に寒夜のナイフあり

遠雷の火柱穴を掘る男       みどり女(『光陰』)

風のばら一ひら飛びて蝶となり    同(遺句集『石蕗』)

冬曉の灰皿きのふからきれい    紀枝子(『野茨』)

雪嶺に小さきものの種をとる

水溢れ胡瓜トマトも溢れくる

吾子抱けば大つごもりの二つの瞳

パセリ水揚げて歳暮の波となる

蟷螂の死期測量の杭が立つ

寒暮少し夕焼け母に還らねば

梅雨畳蟻の魂のみ走る

虹の脚入るる一番遠き稲架

うろこ雲夜明けは粗く祝の日

曼珠沙華人にのみ降るにはか雨

〈寒暮少し夕焼け母に還らねば〉は佐藤鬼房が激賞した句と記憶する。〈うろこ雲夜明けは粗く祝の日〉はみどり女の叙勲と自身の駒草賞を祝しての句なのだが、雲は粗い。以前西山ゆりこさんが、「紀枝子先生はあいさつ句でもしっかり爪跡を残す」と評していたが、まさにその通り。甘く流れない。

〈パセリ水揚げて歳暮の波となる〉は私のもっとも愛誦する句の一つ。パセリの生命力が強力な印象を残す。「歳暮の波」は難しいが、義理人情の世の風習の中に生きる人間と、ただ生きることのためだけに青々とするパセリの対比が出ていて、私は好きだ。「歳暮の波」「蟷螂の死期」「蟻の魂」といった命の把握には凄味を感じる。

話が飛ぶが、紀枝子句の命を詠む凄味は、昭和21年、16歳で父・兵衛と姉・敏子を結核で亡くしていることと無関係ではなさそうだ。敏子は紀枝子と共に句会に出席した仲の良い姉妹であったが、紀枝子はその看取りを次のように随想にしている。

まるで氷の中の鮒そっくりだった。そして、枕元のかすみ草とラッパ水仙に影を吸われたように、あっけなく痩せて白く透き通るようになって死んでいった。姉のきゃしゃに比べて自分はたくましく生きている。

(「四月」『駒草』昭26年6月号)

「あっけなく痩せて白く透き通るようになって死んでいった」、「氷の中の鮒そっくり」という写実の目はすさまじい。戦中、戦後を経験した世代ならではのものかもしれない。悲しみは胸に仕舞い、言葉を紡ぐ。前回の世古諏訪さんの回で、自分は諏訪さんにならって「健康的で明るい俳句」がモットーと書いた。紀枝子は、明るくはないが、決して暗くもならない。もう一段強く、たくましい俳句なのだと思う。

紀枝子 ぶっきらぼうに見えるかもしれませんが、即物的に物で詠んで、あとは奥を読み取ってほしい、私はそういう詠み方なんです。地味だけれどもどこか静かに燃えている、言い換えればそれが「駒草」の伝統でもあるんです。

(主宰インタビュー「みどり女・高原・そして今」『駒草』平成13年3月号、95頁)

紀枝子俳句のたくましさ、勁さにばかり焦点を当ててきたが、もちろん、誰もが共感できそうなほっとする俳句だってある。

梧桐の一本の嵩減りて秋 

踏まえているのは、朱子の漢詩「偶成」(「少年老い易く学成り難し」のアレ)の結び、「階前の梧桐已に秋声」であろう。この歴史的な感覚も私は好きで、余談ながら、だからこそ紀枝子は、田尾紅葉子の〈夏の蝶三浦一族ここに亡ぶ〉を評価した(本連載第一回)のではないかと思っている。

どうも第一句集『野茨』にこだわり過ぎてしまった。「作家は処女作に帰る」と言うし、それで良い気もするが、そのあとの紀枝子作品から私の特に好きな句を紹介する。

庇出て颱風圏の蜂となる       以下『一文字』

糸底を掌中にしてうろこ雲 

看取る日の目鼻が欲しき紙雛

寺の前鋤かるる春となりにけり

空稲架の地平に起る雪催ひ

桑大樹ほうたる登り星となり

どこまでも眩しき日なり冷しうどん

甘酒のまはりより沸き雪の音

レモンスカッシュよく似た人のおるものぞ 以下『青山椒』

雪止んで星一粒を送り出す

膝掛をふはりと雪を待つこころ

裏返る蟬のなきがら蟬時雨

朝涼や浸して五指の上の水

ねづみもち不思議な色は老の色

大桜夏をしだるる葉陰かな

七種や畳紙に納む男物        以下『はんてんぼく』

赤松の赤を覚まして牡丹雪

こぼしたる蛍は土を照らしけり

紅梅に人の死にさつと雨来たり

溢蚊の耳朶のあたりへ魚捌く

昂然と雨の鶏頭並びけり

鳥渡る歪む三角たてなほし

空青く朴一蕾を残したり

白牡丹咳き込めば花大きかり

春愁や切り残したるレモンに灯     以下『黒き蝶』

煮びたしに蕾のひそむ虚子忌かな

元旦の雪あをあをと畳まるる

失つてしまへば兄に積もる雪

半円はまなこにかろし冬の虹

校庭に船残りたる彼岸かな

はうれん草端ほど雨を待ちゐたり

探し物してゐるうちに牡丹雪

*****

ここまで、作家としての紀枝子を語ってきたが、師としての紀枝子についても書いておきたい。以下は、私が紀枝子から受けた表現上の影響ではなくて、生身の紀枝子から教わったことである。

以前、神野紗希さん、工藤玲音さんとお話ししていて、「結社は技術を学ぶところだよね」という話題になった。そのときは話の流れで大いに納得したのだが、帰宅してから考え直してみると、やっぱりちょっと違うのではないかという気がしてきた。少なくとも紀枝子は手取り足取り教えない。選評はあっても、あれこれ悪いところを添削するということはない。スルーしておしまいである。選から自得せよ。そうでなくては個性の伸長はありませんよ、という無言の教えだ。確かに技術は学べるが、それが主ではないのではないか。

そんなことを考えていたら、紀枝子が駒草賞を受賞した折の記事を見つけた。紀枝子は挨拶でこう述べている。

若い頃、句をつくることよりも先生に従いて行きたいのだ、などと申して廻りの人々を困惑させたこともありましたが、振返って見ますと、黙って今日まで傍へ置いて下さった先生には、やはり句をつくる術よりも、もっと大きなものを私はいただいたように思います。

(「駒草」昭和45年10月号)

そう、技術ではない、もっと大きな俳句への態度のようなものを、私自身も、「駒草」から、紀枝子から、西山主宰から教わってきたと思う。俳句を作る術ではなくて、俳句に向き合う態度こそ、結社が、師が示してくれるものだ、と今なら言える。

そんな紀枝子と私自身のエピソードを二つ、備忘録的に書いておきたい。

一つ目。確か「俳句四季」だったと思うが、はじめて総合誌から句の依頼が来たとき、紀枝子に見てもらおうと句会の終りにお願いしたことがあった。そのときに帰って来た言葉はつぎのようなもの。

「私が句を見ることもできますが、依頼が来たということは一人前とみなされたということですから、私が句を見ることはあなたのためになりません」。

二つ目、句会で私の〈葉擦れとも水の音とも夜の新樹〉の句が高点になり、紀枝子選にも入った。しかしそのときの選評は厳しかった。

「大変上手な句で申し分ございませんが、あなたの句と伺ってがっかりいたしました。駒草の一つの作り方を押さえた句ですけれども、もっとあなたが見えてこないといけません。お帰りになった後、よくお考えになってくださいませ」

「よくお考えになってくださいませ」。言い方はとにかく柔和でやさしく、私も「はい、わかりました!」という感じだったのだが、文字にしてみると、かなり手厳しい。

当時の私は今よりももっと若く、体力ももっとあり、闘志に近い向上心をもって頑張っていたのは間違いないと思う。しかし、その頑張りは、ときに若さのおごりともなる。「駒草」の歴史を見ると、誌上に鋭い軌跡を描いてすぐ消えた作家、新人賞をもらった後何十年もスランプに陥ったり、ブランクを空けた作家は少なくない。紀枝子の一言は、「技術に頼って、自分自身の直観、感受性という地力を鍛えることを怠ると、消えますよ」「俳句修行の過程は一生もので、過程をすっ飛ばして形だけ技で整えても先がありませんよ」という意味合いの指摘ではなかったか。

詰まるところ、「よくお考えになってくださいませ」は、不器用でも真面目に作る初心を忘れかけた「若さのおごり」へのピシャリの一言である。一、二年で比例的に成長していると思っているときほど、危ない。それは「駒草」誌91年の歴史が示している。付け焼き刃の技術で乗り切るのではなく、無意識の一語が修行の成果として現れるよう、練り上げをかけていくのを大事にしなくてはならないはずだと思っている。技術の習得に懸命になるのは、一生かけて感受性を鍛え上げてゆく過程だ。「私が句を見ることはあなたのためになりません」も、当時は困惑したが、今となれば最短距離で走ろうとすることを戒める言葉だったのだろう。

俳句は技術が主ではない。むろん下手くそと言われるようでは鍛錬不足の誹りを免れないが、「駒草」の行き方はあくまで心が主、技は従(森田恒友「自然を見ること」『俳画講座 新訂 新訂』昭和8年、恒友はみどり女の絵画の師)。そのためには、けっして急いではならない。器用であろうとしてはいけない。真面目で厳しい作句態度が、私が紀枝子から受け取った一番の教えである。

句集を上梓して、私の俳句における青春時代には一度区切りをつけたと思う。気持ちとしては、これからは沈潜期。紀枝子、睦両先生のみならず師法の周辺(今回の連載で取り上げたような駒草人たちの作品)をよく消化して糧となし、己の俳句を耕してゆきたいと思っている。こんなことをここに書いてしまって、紀枝子先生、睦先生と次に顔を合わせるのが、今、とても恥ずかしいけれど。

八回にわたりお付き合いいただいた読者の皆様、ありがとうございました。

浅川芳直


【執筆者プロフィール】
浅川芳直(あさかわ・よしなお)
平成四年生まれ。平成十年「駒草」入門。現在「駒草」同人、「むじな」発行人。
令和五年十二月、第一句集『夜景の奥』(東京四季出版)上梓。

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この人の鋭さと柔らかさの兼ね合いは絶妙。清新と風格の共存と言い換えてもよい。──高橋睦郎

春ひとつ抜け落ちてゐるごとくなり
一瞬の面に短き夏終る
カフェオレの皺さつと混ぜ雪くるか
論文へ註ひとつ足す夏の暁
人白くほたるの森に溶けきれず

夜景の奥(購入方法) 東京四季出版

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2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年12月・2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔1〕忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介
>>〔2〕古暦金本選手ありがたう 小川軽舟
>>〔3〕枇杷の花ふつうの未来だといいな 越智友亮
>>〔4〕呼吸器と同じコンセントに聖樹 菊池洋勝
>>〔5〕初夢のあとアボカドの種まんまる 神野紗希
>>〔6〕許したい許したい真っ青な毛糸 神野紗希
>>〔7〕海外のニュースの河馬が泣いていた 木田智美
>>〔8〕最終回みたいな街に鯨来る 斎藤よひら

【2023年12月・2024年1月の木曜日☆浅川芳直のバックナンバー】
>>〔1〕霜柱五分その下の固き土 田尾紅葉子
>>〔2〕凍る夜の大姿見は灯を映す 一力五郎
>>〔3〕みじろがず白いマスクの中にいる 梶大輔
>>〔4〕一瞬の雪墜のひかり地にとどく 真島楓葉子
>>〔5〕いつよりも長く頭を下げ初詣 八木澤高原
>>〔6〕冬蟹に尿ればどつと裏返る 只野柯舟
>>〔7〕わが腕は翼風花抱き受け 世古諏訪

【2023年11月・12月の水曜日☆北杜駿のバックナンバー】
>>〔9〕静臥ただ落葉降りつぐ音ばかり 成田千空
>>〔10〕綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空
>>〔11〕仰向けに冬川流れ無一文 成田千空
>>〔12〕主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空
>>〔13〕白鳥の花の身又の日はありや 成田千空
>>〔14〕雀来て紅梅はまだこどもの木 成田千空

【2023年10・11月の火曜日☆西生ゆかりのバックナンバー】
>>〔1〕猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮
>>〔2〕赤福のたひらなへらもあたたかし 杉山久子
>>〔3〕五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美
>>〔4〕湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり
>>〔5〕しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実
>>〔6〕待春やうどんに絡む卵の黄 杉山久子
>>〔7〕もし呼んでよいなら桐の花を呼ぶ 高梨章
>>〔8〕或るときのたつた一つの干葡萄 阿部青鞋
>>〔9〕若き日の映画も見たりして二日 大牧広

【2023年10・11月の木曜日☆野名紅里のバックナンバー】
>>〔1〕黒岩さんと呼べば秋気のひとしきり 歌代美遥
>>〔2〕ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子
>>〔3〕秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治
>>〔4〕秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ 小池康生
>>〔5〕縄跳をもつて大縄跳へ入る 小鳥遊五月
>>〔6〕裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季
>>〔7〕水吸うて新聞あをし花八ツ手 森賀まり
>>〔8〕雪の速さで降りてゆくエレベーター 正木ゆう子
>>〔9〕死も佳さそう黒豆じっくり煮るも佳し 池田澄子

【2023年9・10月の水曜日☆伊藤幹哲のバックナンバー】
>>〔1〕暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄
>>〔2〕雨だれを聴きて信濃の濁り酒 德田千鶴子
>>〔3〕雨聴いて一つ灯に寄る今宵かな 村上鬼城
>>〔4〕旅いつも雲に抜かれて大花野  岩田奎
>>〔5〕背広よりニットに移す赤い羽根 野中亮介
>>〔6〕秋草の揺れの移れる体かな 涼野海音
>>〔7〕横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄
>>〔8〕萩にふり芒にそそぐ雨とこそ 久保田万太郎

【2023年8・9月の火曜日☆吉田哲二のバックナンバー】
>>〔1〕中干しの稲に力を雲の峰   本宮哲郎
>>〔2〕裸子の尻の青あざまてまてまて 小島健
>>〔3〕起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美
>>〔4〕鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷
>>〔5〕たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
>>〔6〕葛咲くや嬬恋村の字いくつ  石田波郷
>>〔7〕秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
>>〔8〕なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
>>〔9〕百方に借あるごとし秋の暮 石塚友二

【2023年8月の木曜日☆宮本佳世乃のバックナンバー】
>>〔1〕妹は滝の扉を恣       小山玄紀
>>〔2〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔3〕葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
>>〔4〕さういへばもう秋か風吹きにけり 今井杏太郎
>>〔5〕夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦
>>〔6〕蟷螂にコップ被せて閉じ込むる 藤田哲史
>>〔7〕菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴
>>〔8〕片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣
>>〔9〕逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田澄子

【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男
>>〔7〕折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男
>>〔8〕めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)
>>〔7〕数と俳句(三)
>>〔8〕数と俳句(四)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信
>>〔12〕コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
>>〔13〕南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治
>>〔9〕夕凪を櫂ゆくバター塗るごとく 堀本裕樹

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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