六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修


六畳葉っぱの死ねない唇の元気

平田修
(『血縁』1994(平成6)年ごろ)

唇は人の体調を如実に表す。元気な人のそれは赤く、つややかである。対してどこかに不調を抱えている者の唇は紫や灰色がかり、乾燥から来る亀裂も見せる。場合によっては、端の切れ目から血をにじませることすらある。

いつもと同じ小さな部屋に葉っぱが舞い込む。窓は開け放しだ。しなければならないことはあるのだろうが、したいことはない。そのしなければならないことをする気力も、当然ない。そして、いつもと同じように今日も死にたい。そんな状態にあって、皮肉のように己の唇はあかあかとした艶を放っている。こんな日々でも飯を食い、惰眠を貪れば、身体は代謝を起こすのだ。矛盾を抱えた哀れな身体を嘲笑うように葉っぱもカサカサと踊っている。見てくれる人も居ない状況で、句に起こすという選択肢があっただけ彼は幸福と言えるだろう。

「死ぬ」という言葉が持つ質量は、戦後の数十年間で指数関数的に減少している。特にこの十年間は顕著だろう。手首を傷つける、薬を過剰に服用するといった自傷行為を見ても、その行為自体に驚くことはなくなってしまった。かりに今そうした感情や行為と近いところにあなたが居るならば、冷静に考えてほしい。「死ぬ」という言葉がすり減っても、「死」という現象の重量が減ることは決してない。未来永劫、人ひとりの死という現象は等価である。

思えば、自傷行為がわかりやすく死を連想させるというだけで、人は(≒若者は)常に死と隣り合うことにより生を感じ取ってきたのかもしれない。過激な学生運動もギャンブルも、あるいは一切を捨てて音楽や芸術に打ち込むことですら、すべて破滅を彼岸に見据えた行動である。最近、80年代の環状族(車を改造し、チームを組んで大阪の高速道路を暴走する集団のことである)を描いた漫画を読んでいるが、それも同じである。ハンドル操作を一つ誤れば死に直結するドライブに、青年たちはかつて味わったことのないほど濃密な「生」を感じたのである。生とは常にある種の延命措置であり、そこに起伏を生み出すひとつの方法として死への接近があるのだ。

自分の話をしてもしょうがないが、僕は死にたいと思ったことがない。当然失敗や後悔、怨恨もあるにはあるが、それらはすべて生の中でしか挽回し得ないからである。しかし事実として「死にたい」という声を聞く。そしてその数は年々増加しているようにすら見える。この認識のズレは自分の生活とはあまり関係がないが、詩や文章が時代といううねりにも巻き込まれながら生成されるものであるとすれば大いに関係がある。とはいえ現実問題として「死」をどう自分と引き付けて認識すべきか、という課題がある。そこにいま示唆を与えてくれているのが、僕にとっては平田修の俳句なのである。それは単に彼が自死を選んだからではなく、生と死が限りなく接近した時に生じるノイズのようなものが作品を複雑に乱しているからである。平田の句を通じて、たくさんの命の行く末、そして現代における僕達の生が見えてくる。読めば読むほど、そんな気がしてならない。

細村星一郎


【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。



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