ハイクノミカタ

雀来て紅梅はまだこどもの木 成田千空【季語=紅梅(春)】


雀来て紅梅はまだこどもの木

成田千空

 平成10年(1998・千空77歳)、千空は第四句集『白光』により蛇笏賞を受賞した。この時の選考委員は、飯田龍太、藤田湘子、森澄雄そして金子兜太であった。授賞式の際にスピーチを求められた千空は、壇上に上がりマイクの前に立つと、最前列にいた金子兜太の顔をじーっと見つめ、第一声「金子兜太は未完ですね」と述べた。この言葉に会場は一瞬ざわめき立ち、金子兜太の頸がピクリと起き上がった。そして、千空は「草田男先生も未完でした」と続ける。

「草田男先生と一番似ているのは金子兜太さんで、それは未完成で、未完ゆえのエネルギーを持っている。私にはその種のエネルギーがない。ただ熟成してしまっては駄目なのでもう一回立ち上がっていかなければならない」と千空は挨拶を述べた。この授賞式では、千空は自分の事はほとんど触れずに、金子兜太の事ばかり話し、会場の人たちを面食らわした。

 しかし、この「未完」というのは、千空俳句または俳句全般を語るうえで大変重要な要素包含している。なぜならば、「未完」ということ、それはつまり「一つの所にとどまらない」ということであるからだ。

 中村草田男も絶えず外へ出て、郊外を歩いては、見つけたもの(発見したもの)を俳句として詠いあげるという作句方法をとっており、この「未完」というのは、草田男で言うところの「外へ出て歩く」ということと同義なのである。

「机上で作っていると必ずそれは自己類型というものに陥ってゆく」と横澤放川は指摘するが、外に出て何かの事物に触れて、何かを感じることは、感性的に綺麗だとか気持ち良いだとかそういったそういうものではなく、何かの詩想に触れることであり、その事物との出逢いが、詩想との出逢いであり、自分の生活というものと何か交錯する瞬間なのである。

 それが自己類型に陥らない唯一の方法であり、自身の俳句を向上させる唯一の方法でもあるのだ。つまり、まず外に出て何かに出逢わない限り、詩想は始まらないのである。

 そのため、机の前に留まって詩作をするのではなく、事物(詩想)に触れるために外に出る必要があり、一つの所に留まっていることは許されない。つまり、デモニッシュに作品は産出され続けていなければならない。そういった草田男と共通する俳句の骨法というべきものを端的に言葉にしたとき、千空は「未完」という言葉を用いたのである。

 千空と兜太の出逢いは、千空が結核に冒され療養中であった昭和10年代にまでさかのぼる。兜太は初めての千空との出逢いを次のように語っている。

「私が千空の俳句を初めて読んだのは昭和10年代で、二人とも二十歳前後だった。当時、改造社が月刊で出しはじめていた『俳句研究』が、主宰誌中心の俳壇に初めて出現した、流派にとらわれない総合俳誌として広い読者を得ていて、新人だった中村草田男の選句欄が設けられたことも新鮮だった。その第一回特選欄に千空の三句が載っていたのである。しかも、これも当時盛り上がりを見せていた新興俳句運動の好句と較べて一歩も退けをとらない知的で斬新な句柄だった。同世代に、東北の地に、こんな青年がいると驚き、以来、私は千空の俳句を注目しつづけていたのである」。

 改造社の『俳句研究』というと、筆者が11月29日の「ハイクノミカタ」で述べたように、千空が「青露変」という連作で初めて草田男の俳句に出逢った、あの『俳句研究』である。

 千空が草田男の「青露変」に出逢ったのが、昭和16年(1941)。兜太が主計中尉に任官しトラック島へ赴任したのが昭和19年(1944)であるからして、この千空と兜太との出逢いは昭和16年から昭和19年の間ということになるだろう。一冊の俳誌の中で、同時多発的に重要な出逢いが生み出されていた事は、単なる偶然であろうか、それとも運命であろうか。

 千空も兜太に関しては、兜太の第一句集『少年』が刊行される昭和30年(1955)の前年に、自身の日記でこう誌している。

 「兜太の俳句は、論理と非論理が同居しているので表現がギクシャクしているが、それだけに読者を釘付けにして離さない。兜太の魅力と難点がそこにある。あれで更に読者に開放感を与えられ得たらしめたものだが。開放しそうで開放しない。難しいところだ。しかし釘付けされても別にイヤな感じはしない。読んで、飴玉のように簡単に融けないので、アキが来ない点がいい。彼もこれからだ。しかし、あるえは完成しないで終るかもしれぬ。彼の魅力はいわば未完の魅力なので、この精神風土は古典を喪失した現代の悲劇と分ちがたく結びついている。これは誠に率直素直な時代の反映とみてよく、その意味では典型的な現代の俳句と言えるだろう。しかし、反面、凡百の非現代的現代俳句の中で、こういうキ型桔屈な表現に渇を医やさざるを得ぬ事情は殆んと、後家のガンバリに似ている。俳句を純粋ポエジーとして生かす別な方法がないものか」。

 この時点ですでに前述の「未完」という言葉を用いて兜太を評しているのは興味深いが、「論理と非論理が同居しているので表現がギクシャクしているが、それだけに読者を釘付けにして離さない」という点は、兜太の批評であり、且つ、師である草田男への批評にも通じるという事は明らかであろう。

 千空は平成11年(1999)に行われた『証言・昭和の俳句』という著書の中でのインタビューにて、「草田男理論は、ことばのなかに血が流れていなければいけない、魂が入ってないといけない、呼吸が入ってないといけないということでしょう。しかし、前衛にはそういう要素がなくて、意識的に構築されてしまう面がありますので、どうも存在感がない。兜太は別個なの。なぜかというと、さすがに彼は一句をまとめるときにデモニッシュなんです。内部から突き上げてくるもので捉える。そこが兜太は草田男に似ている。草田男もデモニッシュで捉えるんです。そのデモニッシュにとらえるということが私にずいぶん影響を与えていると思います。ですから、前衛の連中のなかで兜太だけが実作の方が理論を超えているなという感じがする」と述べており、兜太と草田男に共通する資質を認めている。

 他にも、千空は兜太の「芽立つじやがたら積みあげ肉体というもの」という句を評した際には斯う述べている。

 「『ああ何てことをしたと思わぬように努める』彼の命題は、先づ自分の思弁をあくまで地上の(自分の)ものとして確かめることから始まったようだ。まやかしを許さぬ思弁。具象を結ばない思弁は無縁のものとしてしりぞけられ、意識の肉体化に腐心した。この事は戦後早々からずうと続いて来た大事な問題で、彼は中野重治の『茂吉ノート』から『レオナルドが生理の妙に対する徹底的な追求は、彼が地上の人間の情緒的結合のなかへ両者の統一を、構図そのものとしてもたらした』(「風」九号)という覚えを書きとっている。時流に崩壊する思弁の脆さ。このことは戦争の悲惨を体験した知識人の痛みでもあって、だから、昭和22年坂口安吾が『教祖の文学』をひっさげて小林秀雄に当り散らしたとき、現実に対する知性の抵抗が竟には無常観の方へ外れる小林の孤独より、否定精神が肉体によって行動され、そこから人間の積極的な生き方を獲得しようとする態度に彼は手を差しのべたわけであった。思弁が行為の裏付けによって肉体化され具象化される。その過程——芽立つじやがたら積みあげ肉体というもの——は彼の創作の態度でもあった。『日本の社会の特殊な形態。それが吾々のカオスの重大なモメントだった。その中に置かれている自分の自覚的位置付けが先づ自分によって認識されなければならないだろう。それは自分の肉体を通してその肉体を知ることでもある。しかしそれは原初的な形でなしに、現在の自分を意志的に出発点とする意味から問題になる』(「風」一五号)。つまり自分をめぐる混沌こそ作品のモメントなので、作品自体が認識の路標となる」。

「時流に崩壊する思弁の脆さ」、「否定精神が肉体によって行動され、そこから人間の積極的な生き方を獲得しようとする態度」というものは、同世代の俳人として、兜太と共に戦後の混乱期を生き抜いた千空自身の時代認識と態度に他ならない。

 結核という死病を患い、青年としての希望を完全に断たれた千空は、一旦自分を否定しなければならなかった。その一旦の自己否定が、風土という媒介により、より高次の次元に達する。つまりここでいうと、風土が肉体であり、そこから千空は積極的な生き方を獲得しようするのである。

 千空は風土を媒介に、兜太は己が肉体を媒介に、時代の怨嗟とせめぎ合い、高次の詩情へと止揚させていく。これは以下の二人の初期の作品を並べてみてもと明らかであろう。

おけら短命到る処に燈がついて  千空

人体冷えて東北白い花盛り  兜太

「おけら短命」という生きる存在の儚さと「到る処に燈がついて」という許され。「人体冷えて」という肉体的な社会認識と「東北白い花盛り」という許されがここでは表現されている。千空の風土のエスプリ、兜太の強烈なまでの肉体感覚。それぞれの精神はそれぞれの表現方法を取りながらも、より高次の詩、いわゆる「絶対詩歌」へと到達してゆくのである。

 それでは、千空と兜太は俳句を通してより高次へと辿りついたその先に何を見ていたのか。それはやはり「平和」というただ一つのみであっただろう。

 千空は『白光』での蛇笏賞受賞を記念して行われたインタビューで次のように語る。

「風土の問題ですが、凄まじい戦争体験のあと生きていく価値が失くなってきて、敗けた苦しみもあって疎開し移住して田の仕事、土の仕事の中に逆転するんですね。大粒の雨降る青田と。火の世界から青田ですよ。これは主題とすると平和の一言。何があっても平和しかない。一貫した流れは平和の祈りです。ただ、風土は危いですよ。袋小路に入ってしまうから。」「津軽なら津軽の袋小路に入ってしまう。普遍性はそうではなくて、もっと突き抜ける世界があります。広い世界がなくては俳句はだめです。棟方志功だってそうでしょう。広い世界に入りましたもの。」

 そして兜太は、前述の著書『証言・昭和の俳句』内で次のように述べる。

 「さっきも申し上げたように、私にとってはあのときの非業の死者、戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんですね。『非業の死者に報いる』という言い方をする。反戦という考え方に繋がりますね。そういう考え方でずっと戦後をやってきたつもりです。」

 「俳句を作るということは十分に平和な行為です。俳句を宣伝の武器として戦争をするということはまずないわけだ。大勢の人が俳句を作っていられるこの平和な社会を好んでいるということに私も参加している。これは私が、戦争のない平和な社会をつくりたいと考えてきたことの、もちろん全面的じゃないけれど、かなりの充足になっていると思いますよ。」

 「俳句というのは日本語表現の根っこの部分でしょう。五七五がそうですね。日本語表現の根っこの部分に身を置いているということが、自分も草の根の一人だということに通じる。協力したり、励ましたりもできる。ときにはいい句を作って、刺激にもなれるわけだ。そういうことができて、いっしょに平和を大事にしているということは、〈水脈の(はて)炎天の墓碑を置きて去る〉の句を作ったときに決意した自分の考え方と現在とそんなにずれてはいない。そう思ってます。」

 これらの文章を以てしても、千空と兜太がいかに「平和」という主題を、俳句を通してより普遍的な位置にまで高められるか苦心していたかが分かるであろう。

 前衛と伝統。東京と地方。まるで磁石の対極のような二人であったが、戦後という時代を駆け抜けた友人同士であり、よきライバルでもあり、その志は根底では同一のものであった。

 二人の交友関係としては、昭和36年に現代俳句協会が俳人協会と分裂したのちの昭和37年に、兜太と千空は一緒に竜飛崎へ吟行に訪れており、昭和40年には兜太・堀葦男と共に十三潟にも訪れている事が記録に残っている。また、昭和45年6月には戦後俳句作家シリーズ『成田千空集』が海程戦後俳句の会から刊行されているが、「海程」の創立者(のちの会長)は何を隠そう金子兜太であった。

 そろそろ本題の一句評に移ろう。

 第四句集『白光』では、第二句集及び第三句集の『人日』『天門』から引き続き、「綺麗さび」と言うべき静かな華やかさを帯びた詩情が詠まれ続けており、『白光』に至っては、その詩情の吐露がよりシンプルで開かれた措辞になっていながらも、その内容は決して軽くはない。平明であることが優れた口誦性を生み、より自在に津軽という豊かな風土を詠いあげているのである。

 雪晴のみちのく百里祝婚へ

 もの言へば出稼ぎのお()冬帽子

 村へ来てこがらし顔のはうき売

 ()の馬のかぐろき股間わらび萌ゆ

 拇指のよごれやすくて暮れやすし

 大いなる山に向ひて盆の道

 鬱蒼と東北は雨草田男忌

 昨日今日明日赤々と実玫瑰

 五月来る夜空の色のインク壺

 佞武多みな何を怒りて北の闇

 虫送る生身の(ほと)び女たち   (『白光』より)

 白く輝く道を婚儀へと急ぐ中の雪晴という希望。北国の風雪に耐え、農作業や家事を一身にこなしてきた母に対する思慕としての拇指。みるみると萌え出づる蕨といういのちの弾力と、雄馬のみなぎる生動感。死者に永遠の安息と生者を常に励ましてくれる大いなる山。そして極めつけは、草田男の句「玫瑰や今も沖には未来あり」、斎藤茂吉の歌「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」をも連想させる、至極の一句。

 その自在実を帯びた声量の大きい千空作品は、『白光』に於いて、さらに大きく開花したと言えよう。この句集の後記にて千空は、「先師草田男が目ざしたところを目ざしながら、どれだけ先師と異なる俳句の世界を生みだせるか。私は全萬緑人と共に歩いてゆきたい」と表明しており、あらためて草田男門下として、文学としての俳句を大望としている。

 もう一つ『白光』においての特徴を挙げるならば、千空作品の中に、小さきものたちへの愛憐とも言うべき詩情がにわかに溢れ出しているという点であろう。

 横顔は十に七つや花林檎

 やすらはむ雀隠れの仏たち

 土偶みな寝に帰りたき秋の山

 ぺちやくちやと露白光の雀かな

 みどり児の寝落ちて紙のお雛さま

 お多福にまこと彼岸の日ざしかな

 母なる川仔も息ながき(もぐりつちよ)

 雪ン子やこの子の母も赤ブーツ

 手掴みにときめくひよこ福寿草

 子雀のとんで朝の日朝の月

 肩掛のやうな黒髪終車の娘

 つぶら眼は子等のみならず鹿の群

 秋の蝶過るやさしさこほろぎ橋

 小鳥屋に兎も亀もこどもの日

 友が地や丸石(ごろた)とまぎれ寒雀 

 掲句に於いても千空のその眼差しは、慈愛に満ち満ちている。掲句の「紅梅」を筆者は寒紅梅として捉えている。寒紅梅は、早ければ十二月頃から咲き始める紅色または薄紅色の可憐な梅。青森の長い長い冬が続く中、にわかに小さき花がほころび始めたその梅の木は、まだまだ「こどもの木」なのである。しかし、その「こどもの木」は、春が近づくにつれ、見事な「おとなの木」へと成長するであろう。「こどもの木」が見事「おとなの木」へと成長したとき、春の訪れとしての鐘声が津軽中に響き渡ることとなるのだ。

 子供という存在は将来への希望として、未来への光としての存在であり、「こどもの木」という措辞にはやはり、春の到来の希望を祈る千空の姿を見ることが出来るのである。

 そんな「こどもの木」を寄る辺として、千空は「雀」というこれまた可憐な存在を添えてやっている。「一緒に春が来るのを待とうではないか」と、雀らも「こどもの木」を見守ってくれているのである。風土的認識の深まりと、慈愛という眼差しの普遍相が豊かな詩情をもって表現され、千空俳句の到達点の一つとして申し分ない一句である。

北杜駿


【執筆者プロフィール】
北杜駿(ほくと・しゅん)
1989年生まれ。千葉県出身。現在は山梨県在住。2019年「森の座」入会、横澤放川に師事。2022年星野立子新人賞受賞。2023年森の座新人賞受賞。「森の座」同人。
Email: shun.hokuto@outlook.com


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年12月・2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔1〕忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介
>>〔2〕古暦金本選手ありがたう 小川軽舟

【2023年11月・12月の水曜日☆北杜駿のバックナンバー】
>>〔9〕静臥ただ落葉降りつぐ音ばかり 成田千空
>>〔10〕綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空
>>〔11〕仰向けに冬川流れ無一文 成田千空
>>〔12〕主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空
>>〔13〕白鳥の花の身又の日はありや 成田千空

【2023年12月・2024年1月の木曜日☆浅川芳直のバックナンバー】
>>〔1〕霜柱五分その下の固き土 田尾紅葉子

【2023年10・11月の火曜日☆西生ゆかりのバックナンバー】
>>〔1〕猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮
>>〔2〕赤福のたひらなへらもあたたかし 杉山久子
>>〔3〕五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美
>>〔4〕湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり
>>〔5〕しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実
>>〔6〕待春やうどんに絡む卵の黄 杉山久子
>>〔7〕もし呼んでよいなら桐の花を呼ぶ 高梨章
>>〔8〕或るときのたつた一つの干葡萄 阿部青鞋
>>〔9〕若き日の映画も見たりして二日 大牧広

【2023年10・11月の木曜日☆野名紅里のバックナンバー】
>>〔1〕黒岩さんと呼べば秋気のひとしきり 歌代美遥
>>〔2〕ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子
>>〔3〕秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治
>>〔4〕秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ 小池康生
>>〔5〕縄跳をもつて大縄跳へ入る 小鳥遊五月
>>〔6〕裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季
>>〔7〕水吸うて新聞あをし花八ツ手 森賀まり
>>〔8〕雪の速さで降りてゆくエレベーター 正木ゆう子
>>〔9〕死も佳さそう黒豆じっくり煮るも佳し 池田澄子

【2023年9・10月の水曜日☆伊藤幹哲のバックナンバー】
>>〔1〕暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄
>>〔2〕雨だれを聴きて信濃の濁り酒 德田千鶴子
>>〔3〕雨聴いて一つ灯に寄る今宵かな 村上鬼城
>>〔4〕旅いつも雲に抜かれて大花野  岩田奎
>>〔5〕背広よりニットに移す赤い羽根 野中亮介
>>〔6〕秋草の揺れの移れる体かな 涼野海音
>>〔7〕横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄
>>〔8〕萩にふり芒にそそぐ雨とこそ 久保田万太郎

【2023年8・9月の火曜日☆吉田哲二のバックナンバー】
>>〔1〕中干しの稲に力を雲の峰   本宮哲郎
>>〔2〕裸子の尻の青あざまてまてまて 小島健
>>〔3〕起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美
>>〔4〕鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷
>>〔5〕たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
>>〔6〕葛咲くや嬬恋村の字いくつ  石田波郷
>>〔7〕秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
>>〔8〕なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
>>〔9〕百方に借あるごとし秋の暮 石塚友二

【2023年8月の木曜日☆宮本佳世乃のバックナンバー】
>>〔1〕妹は滝の扉を恣       小山玄紀
>>〔2〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔3〕葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
>>〔4〕さういへばもう秋か風吹きにけり 今井杏太郎
>>〔5〕夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦
>>〔6〕蟷螂にコップ被せて閉じ込むる 藤田哲史
>>〔7〕菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴
>>〔8〕片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣
>>〔9〕逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田澄子

【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男
>>〔7〕折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男
>>〔8〕めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)
>>〔7〕数と俳句(三)
>>〔8〕数と俳句(四)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信
>>〔12〕コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
>>〔13〕南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治
>>〔9〕夕凪を櫂ゆくバター塗るごとく 堀本裕樹

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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