ハイクノミカタ

みじろがず白いマスクの中にいる 梶大輔【季語=マスク(冬)】


みじろがず白いマスクの中にいる

梶大輔

初めて見たとき、「上手い!」ではなく「うわっ!」と思った。言葉が出なかったのである。「白い」という述語のもつ明るさ、「マスク」というどこか人間味を薄れさせるアイテム、「いる」という投げやりな終わり方。ずっと心に残っている。マスクと言う季題が、人間性の喪失のようなものを象徴的に表現しているような感じもする。

梶大輔。大正4年広島県生まれ。本名梶田稔典。昭和13年、東京大学在学中に「駒草」入門。旧制山口高校からの親友、田尾紅葉子の下宿先を訪ねたのがきっかけ(紅葉子は「駒草」創刊主宰阿部みどり女宅に仮寓していた)。当時の梶は、俳句とは「庵」だの「翁」だのと風流ぶった精神風土から生まれるもので、「や」「かな」「けり」など鼻持ちならない世捨て人の遊戯だと思っていたが、みどり女の前では何の抵抗もなく俳句に惹き込まれたと回想している(「駒草」1966年4月号20頁)。

俳号梶田吐雲。昭和16年、紅葉子急逝後「駒草」編集を手伝う。17年、駒草山林抄作家(のちの同人)に推されるが入営、満洲、ビルマを転々とする。21年復員し、筆名を梶大輔に改める。広島市南区に住み、労務関係の仕事に就く。師みどり女のもとを遠く離れて一人で句作することとなり、一人で壁にぶち当たって投句を休んではまた壁にぶつかっていくという、闘志の塊のような人だった。

その後、35年第五回駒草賞。47年、句集『過程』刊。平成元年、句集『弦』刊。平成14年、「駒草」主宰が蓬田紀枝子から西山睦に交代後しばらくして、ふっつりと句が見えなくなった。

掲句〈みじろがず白いマスクの中にいる〉の初出は、残念ながら失念。大学生のとき、駒草の主要同人の作品をまとめてコピーしていたのだが、一部製本しておいたものを除き見当たらなくなってしまった(ここ数年、ライフワークであるはずの「駒草」先人の句の研究ができていなかったということでもある)。おそらく、1970年代前半の句。「駒草」1974年6月号の「同人日間」という連載企画に、自選三十句として載っているのは確認できる。

ちなみに、この句は句集『弦』では次のように改作された。

 身じろがず白いマスクにひそむ刻 

 『弦』(近代文藝社、平成元年)

私は改悪だと思う。「駒草」誌の初出は、作品に付されたタイトルも何か強烈だった気がするが、とにかく「格好いい!」と思った。ところが「日本の古本屋」で購入した句集『弦』では、この改作に出会って何となく気が抜けた。抽象的な名詞が増えただけで、却って景の焦点が定まらなくなったのではないか、作者の姿が薄れたのではないか、と。

それなのに、なぜ改作したのか。

こう、考えさせられたのが、単に「駒草」の先人作家という以上に、作者梶大輔に関心をもったきっかけだった。「良い句ってどんな句だろう」。この句もまた、考えさせられた句である。

*****

私の句集『夜景の奥』について、堀切克洋さんがこう評してくださった。

〈破船一つ蚰蜒の群れたる禁漁区〉という即物性と、〈夢のあと真夜の秋灯ひとつ消す〉のような甘やかな抒情性が奇妙なかたちで同居しているのが、この句集だ。       

「むじな 2023」52頁)

 

即物性と抒情性の同居。誰の影響が強いかというと、おそらく掲句の作者梶大輔である。梶は、戦前は梶田吐雲名でのリリカルな句作りにより駒草を風靡したが、戦後は梶大輔に筆名を改め、一転、甘い句は影を潜めて乾いた句を作った。しかしその中にも、抒情的な要素が混じっているのが特色で、私は梶のそういうところが好きだ。

佐藤鬼房の大輔句評を見てみよう。

かって私はこのひとをひそかにライバルとしたことがある。やはり重量級の作家であることに間違いない。駒草のアンソロジーを読むと、接社会的な連帯の基盤に立って人間個の深部を詠いその誠実な認識把握、その表現には私は全面的に信頼出来る。

合歓咲いて少数意見渇く夜

地のほてりわれに始まる黒い列

など、駒草で鍛える写実の方法が強力な武器となって象徴の世界を描きあげる。

ただ『グラス合わすおのおのさむき城もてる』の「城」がこの句の中心であるのに、こうした暗喩の底が割れてしまって、詩の定着をさまたげていることに注意したい。

ずっと誌上に作品を見せぬのは大変私は不満である。

佐藤鬼房「一の沢雑記」「駒草」昭和38年5月号

鬼房が引用した句、一句の中に即物性と抒情性が奇妙な形で同居している。大輔もみどり女門、写生についてはこだわりがあった。感覚、写生から入って象徴としてアウトプットする、という考えを持っていたようだ。もともと西洋詩に関心があったようなので、問題意識はうなずける。私は、一句の中に両者を同居させることはまだまだうまくいかないが、大輔は成功失敗に頓着なく、挑戦している。「渇く夜」という措辞など言い過ぎではないかと思うが、強靭な一句に仕立てている。

*****

私が幼年時代、「駒草」に入門した当時、主宰蓬田紀枝子の句は、わからなかった。しかし強烈だった。

 牡丹散る埒を越えたる二三片 紀枝子

 舫ひ綱絡み冬木となりゐたる 同

句集『はんてんぼく』より

そして、紀枝子に輪をかけて強烈だったのが梶大輔である。「駒草集」同人のトップ、最長老だった。

いま刈りし髪に月光さむき街     大輔

河豚刺しの透けるさざ波打ち寄せる

着ぶくれの影へ下ろされ肩車

「駒草」平成13年3月号

動詞が多い。おしゃべりである。動詞は述語となる語。述語は、一般に実体の属性を示す語だから、景色が移ろいやすい。俳句は体言でしっかり景色を定着させなさいとよく言われるが、その真逆を言っている。仮名遣いも、「駒草」誌上に戦後しばらくしてから国語国字論争をめぐっての応酬が確認できるが、梶は戦中派としていちはやく「正仮名遣」を捨てたようだ。文語で現代仮名遣いを遣っているその人は、あからさまにこだわりが強そうで、気難しそうな、孤高の雰囲気を纏っていた。上に引いた句は、俳人として最晩年の作品に当たる。

先ほどの鬼房の評にもあったように、「駒草」誌上に欠詠の多い時期もあった。また、今まで見た紹介した数句の傾向から、三振、特大ファウルも多そうだということは想像がつくと思う。今日的な目で見ると、自分の理想が厳しすぎて自縄自縛になっていたように見えなくもない。今回、わずかながらも手元の資料を読み直し、やはり鬼房の言う「重量級」という印象を強くした。

*****

梶大輔にキャッチフレーズを付けるなら、「俳句形式に常に懐疑を持ち続けた人」「偉大なる失敗者」である。

 昭和25年、大輔はすでに「俳句的なものの見方」にこんな疑義を呈している。

俳句が生活感情の複合物である情趣を生命とする文學であることはいうまでもないが、俳句においては人生觀自然親が前述の通り宿命的な枠をはめられたためこの情趣が余りにも俳句的に固定化してしまつた。我々の生活感情が歴史的合的に推移するにも拘らず、その複合物たる情趣が固定化したところに俳句と現代生活との遊離が生じたのである。新興俳句運動の歴史的意義は、 文學的動脈硬化の症療法として登場したところにある。

しかし生活俳句は、必ずしも正しい姿が成長してはいないようである。大まかに分けて二つのゆがめられた型をみせている。 第一の型はいわゆる職場俳句台所俳句といわれるものである。この場合の職場とか台所とかは異なる作句の「場」に過ぎず、モチーフは相變らず固定した余りに俳句的な情趣であつて本質的には花鳥諷詠と何ら異るところはなかつた。

第二の型は日常生活の退屈な報告やイズムの仲である。この場合は俳句の生命である情趣が忘れられて、事實の形骸やむき出しのイズムだけが屍のごとく残っているに過ぎない。最短詩型がイズムや事のうつわとしては適しないことは今更いうまでもないが、だからといつて俳句にイズムは必要であるというわけではない。藝術には思想があるが、それは果物の滋養分のようなもので、果物には美味ということが不可欠の要素であることを忘れてはならない。眞の生活俳句には、生活と遊離しないということ、思想から獨立した文學であるという二つの條件が必要である。直の生活俳句とは生活感情を記録するものではなくて、生活感を投影する文學である。

梶大輔「覚書」「駒草」昭和25年10月号42頁

今となっては目新しいことは言っていないし、第二芸術論の周辺の議論の埋火を掘り返したような雰囲気もある。大輔は「俳句においては人生觀自然親が前述の通り宿命的な枠をはめられたためこの情趣が余りにも俳句的に固定化して」しまい、そんな枠に歪められた俳句は詩とは言えない、という問題意識をずっと持っていたようだ。

1988年には「同人作品月評」の欄で全同人一人一句を引き、こんなことを言ってのけている。

同人作品の鳥瞰図として、ひとり一句を描いてみた。年期のはいった同人もアマチュア作家であることに変わりはない、ほんものは月に一句がいいところと踏んだからである。

しかし、そのほんもの探しは、殊に光陰集では思いのほか重労働で、疲れた頭を掠めたのは、俳句はひょっとしたら詩とは別ものでは? という疑問である。季語はある、音律も整っている。だが、琴線に触れないのは、詩の衰えないしは喪失としか言いようがない。

型は、はじめその窮屈さに抵抗を覚えるが、馴染めば居心地の拠りどころと変わる。 型からはいる俳句では、道具建てが揃っていれば、それが日記の切れ端であっても “俳句のようなもの”としてほんものと同居しうる余地は多分にある。 この落とし穴は、要注意である。

詩とはなにかは、だれも教えてはくれない。自分で掴むほかはない。ほんものと〝ようなもの〟はどう見分けるか、骨董屋の眼力養成法がほんものだけを見せることだというのは示唆に富んでいる。

梶大輔「同人作品月評」「駒草」1988年3月号

あまりに手厳しい。そして、「詩とは心の琴線に触れるものがなければならない」という強力(正当化が必要そうな)な信念を断固貫いている。その厳しさは、定型に甘える同人への警鐘となり、自身の句作には、「や」「かな」「けり」を使い、体言を巧みにもちいて定型に凭れる推敲を許さない。その結果、大輔作品は、一句の中に動詞が二つ、三つあることを厭わない、おしゃべりな句となったように推察される。

*****

それにしても、梶大輔は作品につけるタイトルが格好良かった。どれも目の覚めるようなタイトルで、特に印象に残っているのは「視点」「白い夏」。中でも忘れられないのは「うるわしき五月」。俳人は即詩人であるべきだという強い意志を感じるのだ。

「うるわしき五月」

煉瓦積む曇りまぶしき五月憂し

蜘蛛のあるガラスのうらを蜂のぼる

ものいわずいちごをつぶす夜の違和

吊革に弾む速力みどり濃き

蜜を吸う虫に明るく深き宙

灰皿の無残にデスク薄暑なる

うるわしき五月破局へ流さるる 

「駒草」昭和35年8月号8頁

駒草賞を受賞した年の作品。標題句、「うるわしき五月」とロマンチックに始めておいて「破局へ流さるる」と締める。

〈ものいわずいちごをつぶす夜の違和〉。「いちご」というあまずっぱく可憐な果物に対して、「ものいわず」「つぶす」「違和」と不穏な言葉をぶつける。

この鋭さと柔らかさ。

一見俳句とは縁遠そうな言葉を用いて、にもかかわらずきちんと俳句にしている。「夜の違和」とか「破局へ流さるる」といった言葉を見ただけで、「俳句になりきっていない」とか「わからない」という人は絶対にいるだろう。きっと大輔は、そういう声を跳ねのけようと頑張ったのではないだろうか。

 *****

バックナンバーを見返すと、大輔はいつも正論を述べていたと思う。たとえば同人欄について、同人欄「駒草集」が出来た後、にこんなことを書いている。

「駒草集」は一応同人の作品発表機関の形をとっているようにみえるが、同人の自選欄でないことは、ご存知のとおりである。

「選」とは、自分の作品を他人(選者)の資任において発表する形式である。わたしはかって、本誌に自己の責任において発表したものでなければ、正しい意味の批判の対象とはなりえないという意味のことを書いたことがあるが、その意味では「駒草集」と「四季」の実質的な差異はどこにもみあたらない。しからば同人とはなんであろうか。 同人が「四季」にも投句している現状では、古手を別格に祭り上げて、「四季」に新風を期待するという意味もない。しいていえば、同人とは二重投句を許された特権投句家ということになるのだろうか。いずれにしても現在の制度はあいまいだというほかはない。これをすっきりさす方法はいろいろあろうが、方向としては「駒草集」を同人の自選作品欄にするか(それには同人の整理という問題が必然的に起であろうが) それとも、同人制を廃して雑詠選一本にするかの二つであろう。(「駒草」昭和39年7月号)

現在の「駒草」誌では、結社賞受賞順の「駒草集」、主宰が掲載順を決める「光陰集」の二つの同人欄があり、どちらも完全自選である。これも大輔の正論が投げかけた波紋の成果かもしれない。

正論と言えば、こんなこともあった。「駒草」編集部が、「同人作品に前書を付ける場合は、スペースの都合上一句削ってください」と編集後記に記すと、直ちに「前書の功罪」という文章を発表した。虚子が前書を抹殺して選をしておきながら、「前書があったればこそ、一句が高く評価されることもある」として〈この庭の遅日の石のいつまでも〉の句に「竜安寺石庭」の前書を付したことを「飲み込めない」として、厳しく「前書」を攻撃している。

俳句を含めて詩は、そもそも説明を拒絶するところから出発した筈だし、俳句は共感に訴える独特の約束ごととして季題を大事に育ててきたのである。 俳句の外から、しかも説明の助けを借りて共感を押し売りすることは俳句の自殺になる。(中略)われわれは自ら狭いうえに建て増しの利かぬ旧式家屋を選び、しかも窮屈な思いをしても床の間には季題を飾っておかなければならない。どんどん増える家具は機械的に配置し、惜しみなく捨てるように心掛けないと住心地はよくならない。同時に不法な建て増しを抑えるには、それが高くつくことを体で覚えさせることである。

梶大輔「前書の功罪」「駒草」1975年5月号14-16頁

大輔の凄いところは、その後一切、自句に前書を付けないよう徹底したこと。第一句集『過程』にも前書は一句もないらしい(未見、「駒草」特集記事で概要を知るのみ)し、第二句集『弦』にも前書は一句もない。特に第一句集『過程』には従軍の句、復員の句、退職の句があり、そうした折々の句には前書を付してもらってイメージの定着を図りたくなるところだが、そういう配慮は一切ない。

水筒の水鳴り灼くる砂に伏す

雪の上に貨車ゆ夜明の尿ふらす

雪の野に髑髏はかなし風を嚙み

水牛の皮剝ぐ剣を月に恥ず

梶大輔『過程』

従軍の句とわからなければ、鑑賞は難しい。それでも前書を排除してしまう。もちろん、大輔の主張は、原則として正しい。その愚直な(たぶん失敗と言ってよい)実践は、私の句集『夜景の奥』にもかなり影響を与えている。「競詠」の性格を持つ「駒草」雑詠欄には、ほとんど前書を付けずに句を発表した一方で、『夜景の奥』収録時には、訪れた場所や人への挨拶として、やや丁寧に前書を付した。大輔流の潔癖さを真似ては、どんな不都合が起こるか、彼は身をもって示してくれた。

*****

さて、標題の改作の件である。

 みじろがず白いマスクの中にいる  (初出?時の句案)

 身じろがず白いマスクにひそむ刻  (『弦』近代文藝社、平成元年)

資料を漁るうち、これが俳人梶大輔の信念に基づいた改作であることも想像できるようになった。単純化しすぎかもしれないが、「中にいる」という写実的な描写を改め、「ひそむ刻」というより抽象的な語を用いてイメージの広がりをはかる、というのが、改作の意図だろう。

俳句に要求されるひろがりは、抽象ということではなく、限定された現象を通して把握された真実のもつひろがりである。そこにある程度の捨象構成という作用が必要であることは否定できないが、感覚でとらえて現象からすっかり形を捨ててしまうと、結ばれるべき印象は流れてしまう。

「駒草」昭和36年1月号

「限定された現象を通して把握された真実のもつひろがり」という文言から推察されるのは、頑固な経験主義者としての大輔である。大輔にこう反論したくなる人も多そうだ。「真実といっても、現象を通さなければ把握できないというものではないのでは? 現象を通して把えられた真実も、把えられた以上、現象そのままではなくて抽象化されたものでは? どうして現象に拘るの?」

違う。おそらく大輔にとって、事の真相はあくまで感覚経験を介して把握されるもの。捉えられたものがどうこうという話ではない。考えてみよう。直接知覚できない事柄についての知識さえ、人は実験器具という媒介を通して観察し、正当化する。人間の知りうる世界は、そもそも知覚にマッチするように構造化された世界だ。世界を知るための人間のリソースの基盤は、知覚経験である。突然認識論の話題に踏み込んでしまったが、大輔もまた、ラディカルな経験主義者だったのではないだろうか。しかも、個別の経験を通して「真実のひろがり」という普遍的なものを表現しようとする冒険者であった。

直接の知覚経験は、短詩型においてはより抽象的な語彙で表現され、そのことによって真実はひろがりをもつ。そう、原句も、抽象度を増した改作後の句も、あくまで大輔流の写生なのだ。知覚された現象を言葉にするときに、一句の中の素材が象徴性を持って鑑賞されうるように……。大輔はそこに拘ったのだと思う。

ここに、大輔俳句の苦難の道がある。一句ごとの表現効果を考慮して、より具象によるか、抽象に寄るか決めるという日和見主義ではない。彼は「限定された現象を通して把握された真実のもつひろがり」を持った俳句の理想に邁進しなくてはならなかった。しかし、それは裏返せば景がぶれるような句作りということでもある。大輔の句には動詞が多い。動詞は物を示す語ではないので、動詞の多用は、景を一句に定着させるということを放棄した写生の試みだったのかもしれない。一体何を写生するのか。事実から出発して、作者の感覚、思想まで写生すべきではないのか。そんな問いかけが聞こえてきそうだ。

とにかく、大輔は、うまくいくかどうかもわからない理念を自分で掲げ、頑固に実行した。失敗も恐れない人だった。

*****

長いこと御句を拝見致しませんが淋しいことです。(中略)とにかく私が俳句の世界の入口にうろ〱して居りました頃、大きな句の感動を興えて下さったのはあなたでしたから。五郎先生が手紙で寄せられた南方での貴方の作品を読み上げて下さったのが愚鈍院の復刊記念句会のときで、私が国を跨いだ最初の時でした。二年程前の御句でせうか。

外人に日比谷は落葉してかげる

もの枯れて熱にうづむるわが眠り

好きな句です。こんな風に書いて参りましても、まだ一度も御会ひしたことがないことを思ひますと、妙な気持になります。もうかつてに大輔様のイメージを造り上げて居りますので―。一日も早くおめにかされる日が来ないものかと思つて居ります。

御寒さの折御身御大切にあそぼしませ。 かしこ

二七、三二一六

大輔樣                           紀枝子

(草刈紀枝子・梶大輔「往復書簡」「駒草」昭和28年2月号)

蓬田紀枝子(駒草三代目主宰・旧姓草刈)の大輔宛書簡より。

大輔の初期作品は、紀枝子が感動したのがよくわかる。瑞々しい。

山眠る児は薬塚に陽を惜しむ   大輔

雪晴れの水車光芒廻しけり

冬日ぐまぶたは黒きものなりし

葉をかへす風の中より豆の花

雀来て梅の雨粒地にこぼれ

雷遠く光ぶどうの葉を流れ

ところてん波紋の底に曇りをり

パンぬくく窓山霧に潤み来し 

樹々枯れし静かな光卒業す

春を待つ白日の鳶輪を解かず

冴ゆる夜の鏡に青き頭顱撫ず

                  句集『過程』

考えてみれば、動詞の多用を厭わないのは、紀枝子も共通している。蓬田紀枝子第一句集『野茨』第一章「花芯」104句のうち、動詞が一つもない句は4句しかない。

雪嶺に小さきものの種を取る  紀枝子

呼び掛けて虫の闇間に吸ひ取らる

夏みかん食べし口して花曇り

水溢れ胡瓜トマトも溢れ来る

ふっと雨の大根の花誰も知らず

濡れ髪へ寒夜の汽車を通しやる

花捨てて花屋の来ない十一月

               蓬田紀枝子句集『野茨』1974年

紀枝子句の奔放な感覚。動詞によって、動きが見え、作者の息遣い、立ち位置がはっきりしている。これは梶とは異なる具象に拘った世界だ。ただ、あくまで句の姿ということに注目すると、私が憧れた作品世界の源流の一つに梶の作品世界があったのは間違いない。

ラブレターのような紀枝子の書簡への応答として、大輔は次のように書いた。

人間にとつて憩い場所はたしかに必要です。私はこれを否定しようとは思いません。作る人が意識しているかいないかは別として俳句というものがこの公園のように憩いの文学となる可能性は多分にあり、現にそうとしか読めないような俳句も沢山あるわけですが、私はこういう俳句を否定したいのです。 流動している現実を凝集的に詠わねばならぬと思うのです。

今の私にはあなたの俳句について批評がましいことを口にする資格などないかも知れませんが、あなたの俳句はリリシズムからリアリズムへの轉換期にあるようです。しかもあなたは賢明にも自らの轉換期を意識しておられる。読んでみるとはつきりとは理解できないが、何となくふんわりとした温い雰囲気に包まれる作品 こんな作品には一應食欲をそられます。これは主観が完全に客観化されていないいわば抒情性の過剰のためで、難解だと云われる反面、近代詩的だと云われたあなたの作品もこの部類に属すると思います。またリアリズムに向いついあるあなたの近頃の作品はつまらないという批評も正直な言い分だと思います。抒情の翼を張つい天翔る鳥を見上げていた人の眼には、鋭い眼を光らせて大地を啄んでいる鳥の姿なぞおよそつまらないに違いないわけです。さむぐとした大地を踏まえて自ら苦しみ、しかも人からつまらないと云われる時、あなたは再び抒情の翼を伸ばして天に飛び立とうという衝動にかられるかも知れない。しかしあなたの道はリアリズムへの道でなければならないと思います。しかしリアリズムという言葉も色んな意味に使われ、必ずしもはつきりした概念とは云えません。リアリズムの本質を見誤らぬようはつきり方向を見定めてあなたの道を進んで下さい。

意に満たない点や書き落した点も沢山あるような氣がしますが、もう締切まで時間がありませんので後日にゆずります。

幸多き新春を迎えられんことを祈ります。

十二月二十九日           大輔

紀枝子様

 「リリシズムからリアリズムへ」という紀枝子へかけた言葉は、あるいは大輔自身の方向転換の過程だったようでもある。前掲の「うるわしき五月」(昭和35年)の一連と戦前の瑞々しい作品はあきらかに違う。

 戦後、60年代から70年代初めまでの梶の句を引く。

照り返す西日の白堊花淫ら

階のぼる秋日が染めし赤煉瓦

対岸の陽炎を堀る人沈む

郭公の宙が走らす火山脈

ジョッキ挙げ男に夜が傾斜せり

やや投げやりに見えるほどの表現。リリシズムからリアリズムへという過程における梶大輔の極端さかもしれない。

飽くなき詩型の追究。俳人梶大輔の過程は原点を失ってゆくような虚しさを抱えていたように見えなくもない。読み返すたびに私に刺激を与えてくれる俳人である。

人の私語背にし夜寒の腕くめる  大輔

噴泉に少女渇きの距離白し

深く深く掘られて玄き地のほてり

子を叱る暑き暮らしに貸車軋る

中年の殻月光に洗はるる

芝枯れて十字架の背を蟻のぼる 

北窓に三月曇る椅子を去る    以上『過程』

秋祭りじわじわ聞こゆ蒸しタオル

インク壺夜を沈めて寒に入る

手花火が残す子の声蒼かりき

白湯滾り北窓雪の影よぎる

木洩れ日を新樹の濡れし息昇る

鈴虫の滅びし籠と影吹かれ    以上『弦』

浅川芳直


【執筆者プロフィール】
浅川芳直(あさかわ・よしなお)
平成四年生まれ。平成十年「駒草」入門。現在「駒草」同人、「むじな」発行人。
令和五年十二月、第一句集『夜景の奥』(東京四季出版)上梓。

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「むじな」発行人の第一句集!

この人の鋭さと柔らかさの兼ね合いは絶妙。清新と風格の共存と言い換えてもよい。──高橋睦郎

春ひとつ抜け落ちてゐるごとくなり
一瞬の面に短き夏終る
カフェオレの皺さつと混ぜ雪くるか
論文へ註ひとつ足す夏の暁
人白くほたるの森に溶けきれず

夜景の奥(購入方法) 東京四季出版

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2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年12月・2024年1月の火曜日☆土井探花のバックナンバー】
>>〔1〕忘年会みんなで逃がす青い鳥 塩見恵介
>>〔2〕古暦金本選手ありがたう 小川軽舟

【2023年11月・12月の水曜日☆北杜駿のバックナンバー】
>>〔9〕静臥ただ落葉降りつぐ音ばかり 成田千空
>>〔10〕綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空
>>〔11〕仰向けに冬川流れ無一文 成田千空
>>〔12〕主よ人は木の髄を切る寒い朝 成田千空
>>〔13〕白鳥の花の身又の日はありや 成田千空
>>〔14〕雀来て紅梅はまだこどもの木 成田千空

【2023年12月・2024年1月の木曜日☆浅川芳直のバックナンバー】
>>〔1〕霜柱五分その下の固き土 田尾紅葉子

【2023年10・11月の火曜日☆西生ゆかりのバックナンバー】
>>〔1〕猫と狆と狆が椎茸ふみあらす 島津亮
>>〔2〕赤福のたひらなへらもあたたかし 杉山久子
>>〔3〕五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美
>>〔4〕湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり
>>〔5〕しやぼんだま死後は鏡の無き世界 佐々木啄実
>>〔6〕待春やうどんに絡む卵の黄 杉山久子
>>〔7〕もし呼んでよいなら桐の花を呼ぶ 高梨章
>>〔8〕或るときのたつた一つの干葡萄 阿部青鞋
>>〔9〕若き日の映画も見たりして二日 大牧広

【2023年10・11月の木曜日☆野名紅里のバックナンバー】
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>>〔2〕ロボットの手を拭いてやる秋灯下 杉山久子
>>〔3〕秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治
>>〔4〕秋うらら他人が見てゐて樹が抱けぬ 小池康生
>>〔5〕縄跳をもつて大縄跳へ入る 小鳥遊五月
>>〔6〕裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季
>>〔7〕水吸うて新聞あをし花八ツ手 森賀まり
>>〔8〕雪の速さで降りてゆくエレベーター 正木ゆう子
>>〔9〕死も佳さそう黒豆じっくり煮るも佳し 池田澄子

【2023年9・10月の水曜日☆伊藤幹哲のバックナンバー】
>>〔1〕暮るるほど湖みえてくる白露かな 根岸善雄
>>〔2〕雨だれを聴きて信濃の濁り酒 德田千鶴子
>>〔3〕雨聴いて一つ灯に寄る今宵かな 村上鬼城
>>〔4〕旅いつも雲に抜かれて大花野  岩田奎
>>〔5〕背広よりニットに移す赤い羽根 野中亮介
>>〔6〕秋草の揺れの移れる体かな 涼野海音
>>〔7〕横顔は子規に若くなしラフランス 広渡敬雄
>>〔8〕萩にふり芒にそそぐ雨とこそ 久保田万太郎

【2023年8・9月の火曜日☆吉田哲二のバックナンバー】
>>〔1〕中干しの稲に力を雲の峰   本宮哲郎
>>〔2〕裸子の尻の青あざまてまてまて 小島健
>>〔3〕起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美
>>〔4〕鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷
>>〔5〕たべ飽きてとんとん歩く鴉の子 高野素十
>>〔6〕葛咲くや嬬恋村の字いくつ  石田波郷
>>〔7〕秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
>>〔8〕なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
>>〔9〕百方に借あるごとし秋の暮 石塚友二

【2023年8月の木曜日☆宮本佳世乃のバックナンバー】
>>〔1〕妹は滝の扉を恣       小山玄紀
>>〔2〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔3〕葛の花来るなと言つたではないか 飯島晴子
>>〔4〕さういへばもう秋か風吹きにけり 今井杏太郎
>>〔5〕夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦
>>〔6〕蟷螂にコップ被せて閉じ込むる 藤田哲史
>>〔7〕菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴
>>〔8〕片足はみづうみに立ち秋の人 藤本夕衣
>>〔9〕逢いたいと書いてはならぬ月と書く 池田澄子

【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男
>>〔7〕折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男
>>〔8〕めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)
>>〔7〕数と俳句(三)
>>〔8〕数と俳句(四)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信
>>〔12〕コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
>>〔13〕南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治
>>〔9〕夕凪を櫂ゆくバター塗るごとく 堀本裕樹

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


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