ハイクノミカタ

男衆の聲弾み雪囲ひ解く 入船亭扇辰【季語=雪囲解く(春)】


男衆の聲弾み雪囲ひ解く)

入船亭扇辰

 新潟には行ったことがないが、母方の祖母の出身地のため無関係の地とは思えない。その祖母は母が幼い頃に他界しているため写真で見たことしかない。文章が上手だったらしいので、作文で苦労してこなかったのは祖母のおかげなのだと感謝している。生前の母は話し声が大きかったが、その声をうるさいと感じたことはなかった。たいした内容でない話でも長時間聞いていられたのだから人に不快感を与えない声質だったのかもしれない。

 声フェチの筆者は人の話を聞いているようで実は8割方はその人の声を聴いている。叱られていても相手の声質が良かったので笑顔になってしまって呆れられたことがある。そんな有様なので仕事では自分の耳を信用してない。メモをとり、可視化している。そうでないと邪念が多すぎて肝心の情報が記憶に定着しないのだ。

 人には耳から情報を定着させるタイプと目から情報を定着させるタイプがいると思う。前者は「さっきのってこういうことだよね?」と会話で確認をとる。後者はメモをとって視覚的に記憶に残す。筆者は間違いなく後者である。

 そんなことを書いた後で寄席に通った話をしても「聞いていないじゃないか!」と言われそうであるが、全く聞いていないわけではない。噺を含めた空気感を楽しんでいるのだ。そこは、どんな生き方をしてきた人でも許されるように思える時間と空間を提供してくれる場所。自己肯定感が人生最小値だった頃、寄席に通い、落語の登場人物に己を重ねては「こんな生き方をしてもいいんだ」と力を取り戻したものである。

   男衆の聲弾み雪囲ひ解く

 入船亭扇辰は新潟県長岡市出身。とにかく冬、雪が嫌いなのだという。ゆえに雪解けの頃には心が弾むのだ。雪が身近であるからこそ獲得した詠みぶりである。

 中七から下五にかけて、イ音の畳みかけが雪解雫に宿る煌めきのように鋭い。句またがりにも、春を迎えて行動を開始する心を抑えきれないもどかしさが託されている。さらに、「声」ではなく「聲」。家を保護する囲いを解くには、丁寧な手順を踏む必要があるのであろう。旧字を採用したことでそれをきっちり守っている姿が立ち現れてくる。

 今でも続く仲間との句会で披露されたこの句は10年以上前に作られたものだが、雪のある暮しをしたことのない筆者にも雪解けの心躍りが鮮やかに伝わってくる。

 感染症流行以前、一部の定席寄席では客席での飲酒が許されていた。その頃、扇辰が酒を飲むしぐさをするタイミングで自分も酒を飲むのが好きだった。酌み交わしているような錯覚を覚え、美味しそうな描写に自分の酒まで風味がよくなる。これこそ「真面目に聞いてるのか」と叱られそうである。

「新潟日報」でも発表された句。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


入船亭 扇辰(いりふねてい せんたつ)さんの落語協会の紹介はこちら ↓】

【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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