ハイクノミカタ

赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐【季語=椿(春)】


赤い椿白い椿と落ちにけり)

河東碧梧桐

〽私は泣いたことがない(飾りじゃないのよ涙は)とまではいかないが、ある時期から私は悲しみの涙を流していない。感動や喜びの涙ならある。この8年間で唯一号泣したのは映画『ラ・ラ・ランド』のみ。あとはちびりちびり程度だ。

この先も状況は変わる気がしない。それは心の問題ではなく「悲しいから泣く」という体の機能をきっと失ってしまったからだ。

理由は明確。私には人生のどん底から救ってくれた歌が2曲ある。そのうちの1曲は2022年11月26日にも書いた通り「ライフイズビューティフル」(ケツメイシ)。もう1曲は「何度でも花が咲くように私を生きよう」(福山雅治)である。歌詞の内容が心に深く突き刺さった。若さへの諦観と少しの前向き。私の歌だと思った。

深く傷付いた時、傷口を見せる相手は選ぶべきである。この人なら頼れると寄りかかろうとしたらその数倍寄りかかってきたり、ここぞとばかりに支配しようとしてきたりする人間がこの世には存在することは覚えておいて損はないだろう。もう誰も信じることが出来ないという心境になった時、この曲に出会った。聴くと感涙スイッチが入って必ず涙が出た。昼夜問わず、何度でも聴く度に泣いた。ある時その涙が枯れた。もう一生分泣いたのだと思う。

それ以来、泣かないと決めたわけではないが悲しいことを理由に泣くことがなくなった。鈍感力を身につけたのかもしれない。

   赤い椿白い椿と落ちにけり

初学の頃この句に出会ってすっかり好きになったのだが、鑑賞の手引きに書いてあることはあまりピンとこなかった。赤い花を咲かせる椿の木からは赤い花が、白い花を咲かせる椿の木からは白い花が落ちたという意味だという。赤い椿と白い椿は別の木で咲くのだと書いてあって「そうなんですね」というほかなかった。

手引き書を読む前の鑑賞は全く異なった。赤い椿が落ちる時白い椿を巻き込み、同時に落ちた。まるで心中のようである。そうなると白い椿が先に来てほしくない。赤が白を巻き込むのだ。赤い花と白い花を一度に咲かせることを「源平咲き」というらしく、必ずしも別の木と決め込む必要はなさそうである。

私を救った福山のあの曲は当時資生堂「TSUBAKI」のCMに使われていたのでどことなく恩義を感じており、今でもシャンプー・リンスは「TSUBAKI」を使っている。どちらかといえば赤。もう涙は出ないのだけれど、あの時助けてくれてありがとうという気持ちが甦るのだ。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り    夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む  斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. キャベツに刃花嫁衣裳は一度きり 山田径子【季語=キャベツ(夏)】…
  2. 草餅や不参遅参に会つぶれ 富永眉月【季語=草餅(春)】
  3. まはすから嘘つぽくなる白日傘 荒井八雪【季語=白日傘(夏)】
  4. 東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜【季語=東風(春)】
  5. 動かない方も温められている 芳賀博子
  6. 本捨つる吾に秋天ありにけり 渡部州麻子【季語=秋天(秋)】
  7. 紙魚の跡たどりて紙魚に逢はんとす 後藤夜半【季語=紙魚(夏)】
  8. 枇杷の花ふつうの未来だといいな 越智友亮【季語=枇杷の花(冬)】…

おすすめ記事

  1. 川を見るバナナの皮は手より落ち 高濱虚子【季語=バナナ(夏)】
  2. 嫁がねば長き青春青蜜柑 大橋敦子【季語=青蜜柑(秋)】
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第65回】柳元佑太
  4. 綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空【季語=綿虫(冬)】
  5. 【夏の季語】砂日傘/ビーチパラソル 浜日傘
  6. わが恋人涼しチョークの粉がこぼれ 友岡子郷【季語=涼し(夏)】
  7. 年迎ふ父に胆石できたまま 島崎寛永【季語=年迎ふ(新年)】 
  8. 永遠に下る九月の明るい坂 今井聖【季語=九月(秋)】
  9. 【新年の季語】松七日
  10. さくら貝黙うつくしく恋しあふ 仙田洋子【季語=さくら貝(春)】

Pickup記事

  1. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2022年11月分】
  2. 【夏の季語】昼寝/午睡 三尺寝 昼寝覚
  3. 「野崎海芋のたべる歳時記」鴨鍋
  4. 麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子【季語=春(春)】
  5. 【冬の季語】寒卵(寒玉子)
  6. 初旅の富士より伊吹たのもしき 西村和子【季語=初旅(新年)】
  7. 天体のみなしづかなる草いきれ 生駒大祐【季語=草いきれ(夏)】
  8. 【冬の季語】歳晩
  9. 神保町に銀漢亭があったころ【第101回】田村元
  10. 【春の季語】囀
PAGE TOP