久留島元のオバケハイク

【連載】久留島元のオバケハイク【第4回】「野槌」


春雨やいかに野槌があくびごゑ

松礒
(談林功用群鑑)


話題を探して『俳文学大系』のデータベースを検索していたら、掲句を発見した。松磯という人物、聴濤堂と号したようだが詳細は知らない。談林派の作品撰集『(こう)(よう)(ぐん)(かん)』の編者、田代(たしろ)(しょう)()の周辺にいた人物のようだ。

掲句の内容に戻ると、春雨のなか、「野槌」があくびまじりに声を上げたという景色で、のどかな雰囲気は伝わるが、では「野槌」が何なのかが問題になる。

古く『日本書紀』神代巻に、イザナギノミコト、イザナミノミコトが夫婦となり国土や神々を生んだという「国生み」の場面がある。そのなかに野槌が登場する。

次に海を生む。次に川を生む。次に山を生む。次に木の(おや)()()()()」を生む。次に草の祖「(かや)()(ひめ)」を生む。亦は()(づち)と名す。

草の神、草野姫の別名を「野槌」という。「ツ」は格助詞の「の」、「チ」はイノチ、イカヅチなどの「チ」で、力や生命力をあらわすから、「野の力」または「野の精霊」という意味と理解される。「野の神」であれば、路傍に石や塚を立てて祭られた小社が多く存在し、菅江真澄は「草八幡」などと呼んでいる。

『古事記』には「鹿()()()()()神」または「(のづ)(ちの)(かみ)」とあって表記は違うが、要するに記紀神話にもあらわれる由緒正しい「野の神」だった。これを採れば春雨のなかで野の女神があくび声を出す艶っぽい場面になる。

と解釈すればそれなりにおさまるのだが、それだと「オバケ俳句」にならない。鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』五には、まったく異なる「野槌」が出現する。

比叡山で修行していた二人の学僧、同世代で同じ師について同じように学んでいたが、一人が先に他界し、もう一人の夢に現れて「私は野槌というものに生まれ変わってしまった」と告げた。野槌とは深山にまれにいる獣で、形は大きく、目鼻手足もなく、ただ口ばかりあって人を食うという。これは、仏法を名誉出世のために学び、いつも口論して相手を言い負かそうとしているような、口ばかりで仏法への理解も信仰もない人が、手足もない恐ろしいものに生まれ変わるのである。

内容を理解せず口先ばかり達者な人が「野槌」になるのだという訓話になっている。さしづめ昨今の、相手の主張を理解しようともせず論破を目的に論争を仕掛けるような連中は巨大な野槌に生まれ変わることだろう。

目鼻もなく手足もなく口ばかりの獣といってもイメージしにくいが、おなじみ、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』では、毛むくじゃらのヘビのような怪物がウサギを飲み込む様子が描かれている。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より。右がウサギを飲み込む「野槌」。

『延喜式』神名帳には加賀国に「野蛟神社」が二社あると記し、石川県金沢市内神谷内村に現存する野蛟神社がそのひとつと伝わる。地元では「ヌヅチ」と発音するらしい。蛟の字があるのでヘビや龍のようなものと理解していたことがわかる。ちなみに野蛟神社には芭蕉の句碑「うらやまし浮世の北の山桜」があるらしい。

古辞書のなかには「のづち」をヘビやマムシのことと解説したり、ムカデ、サソリのことと記載したりするものもある。野で出会う強いもの、怖いものを「のづち」としたのだろう。

江戸の百科事典『和漢三才図会』ではヘビの一種として項目をあげ「大きいものは直径五寸、長さ三尺。頭と尾は均等で尾は尖っていないので柄のない槌に似ている、俗に野槌という」「口は大きくて人の脚に噛みつく。坂を走り下ってたいへん速く人を追いかける」という。

江戸の百科事典『和漢三才図会』ではヘビの一種としての扱い。

ところが江戸の黄表紙には手足のあるヒト型タイプの「野槌」も描かれる。

(こい)(かわ)(はる)(まち)(ばけ)(もの)()(うち)(ひょう)(ばん)()』には、目鼻がないのっぺらぼうの化け物が着物を着て腰掛け、頭頂部に大きく開いた口から物を食わせてもらっている図を「のづち」と紹介している。これは近世初期の怪談集に登場する化物話を転用したものらしい。

こちらが「のっぺらぼう」タイプの「のづち」。『妖怪仕内評判記』より。

近世初期の儒学者、林羅山が『徒然草』を注釈した『野槌』という本にも、のっぺらぼうタイプが紹介されている。

ある医者が九州のあるところで宿を借りると、その家の主は耳も目鼻口もなく、妻女によれば食べ物を与えると手に取って頭頂部の口で食べると説明されたという。

これは『徒然草』四二段、ある僧侶が病で目鼻が腫れ、目は頭頂に、額は鼻あたりに下がって、鬼のような顔となり死んでしまったという話に関する注釈である。羅山は、のっぺらぼうも後天的な奇病の一種として紹介したようだ。同じ話は『奇異(きい)雑談集(ぞうだんしゅう)』にあり、また『義残後覚(ぎざんこうかく)』にも目鼻のない女性が登場する。

なぜのっぺらぼうタイプが「のづち」と呼ばれているかは、『奇異雑談集』の別の話で、目も鼻も口もなく生まれた子どもを「槌子(ツチノコ)」と呼んでいることがヒントになる。

そう、あのツチノコだ。いわゆるツチノコは胴の一部がふくれたヘビの姿をしているといわれるが、その語源について考えてみたことはあるだろうか。

工具の木槌や金槌はものを叩く円柱型の頭部に対しT型に柄を付けるが、藁打ちや砧打ちに使う横槌は縦、I型に柄を付ける。この槌に似た姿からツチノコと呼ばれるのだが、民間伝承では横槌そのものが転がってくるというパターンもある。ヘビですらない。

目鼻がなく前後のわからないのっぺらぼうも、見方によっては頭のふくれた槌に見える。あるいは、槌の柄をとるとごろりとした頭部に穴だけが空いているので槌になぞらえた、という説もある。

伝承文学を研究する伊藤龍平は、天和元年(1681)刊行の俳諧集『次韻』に載る

 槌を子にだくまほろしの君 桃青(芭蕉)

 古家の泣き声闇にさへなれは 才丸

という付合について、槌を抱く産女の幽霊から闇に響く泣き声を連想したと解釈する。

そして、幽霊は死んだ子の身代わり人形として槌を抱いているのだろうといい、槌を人に見立てる意識を指摘している。

つまり「野槌」は、本来「野原にいる恐ろしい(力強い)もの」で、野神からヘビやマムシ、毒虫の異称となり、さらに「野+槌」の宛字に導かれて「野山を転がる(目鼻のない)槌子」像へ、そして目鼻のないヘビ、のっぺらぼう、転がる横槌など、名前だけが共通するさまざまなバリエーションで語られていたということらしい。

羅山の著作『野槌』も、書名の由来は明らかでないが、『沙石集』説話をふまえて、理屈ばかりで目鼻は利かないという謙遜が込められているのだろう。

それでは松磯の句の解釈はどうなるのか。松永(まつなが)(てい)(とく)をはじめ俳諧師は『徒然草』を重視して『野槌』もひろく読んでいたから、やはり、目鼻のない怪物としての野槌を意識した可能性が高い。春雨で、ひょっとしたら「蛇穴を出る」も意識されているだろうか。

ツチノコの文化史については、伊藤龍平『ツチノコの民俗学 妖怪から未確認生物へ』(青弓社)という優れた研究がある。

伊藤は前述のような歴史的変遷をふまえたうえで、各地の民俗伝承ではさまざまな姿、特徴が語られていたツチノコが、一九七〇年代のブームを経てUMA、すなわち未確認生物として扱われるようになり、生物として画一的な特徴で語られるようになっていったことを明らかにしている。

現代に続くツチノコ人気に火を付けたのは、一九七二年から朝日新聞夕刊で連載が始まった田辺聖子の小説『すべってころんで』だそうだ。作中でツチノコ捜索に血道を上げる登場人物のモデルになったのが、山本素石という人物だった。

素石自身もツチノコ目撃経験があり、釣り仲間とともに行った調査の成果を『逃げろツチノコ』(一九七三年)にまとめた。このとき、色は黒やこげ茶色、胴が太く平たくビール瓶のような姿、体長3~80㎝程度、毒があり、大きくジャンプして飛びかかることがある、などのツチノコの基本的な特徴が全国に普及する。

しかし、素石自身は「幻のヘビ」としてツチノコが有名になり、マスコミも巻き込んだツチノコ狩りが過熱すると嫌気がさしたらしい。前著をまとめたあとは積極的な発言を控えるようになっていったという。

野の神からUMAまで、ツチノコはしぶとい。

春になって穴から出てきたツチノコも、今年の温かさには驚いていると思うが、きっとまだ生きながらえていくだろう。

参考文献

伊藤龍平『ツチノコの民俗学 妖怪から未確認生物へ』青弓社

木場貴俊『怪異をつくる』文学通信

今昔画図続百鬼 野槌

https://www.dh-jac.net/db1/books/results1280.php?f1=BM-JIB0148.&f12=1&enter=portal&lang=ja&skip=29&-max=1&enter=portal&lang=ja

国会デジタルコレクション 妖怪仕内評判記

https://dl.ndl.go.jp/pid/9892372/1/13

国会デジタルコレクション 和漢三才図会巻四五 龍蛇

https://dl.ndl.go.jp/pid/2569728/1/18


【執筆者プロフィール】
久留島元(くるしま・はじめ)
1985年兵庫県生まれ。同志社大学大学院博士後期課程修了、博士(国文学)。元「船団」所属。第4回俳句甲子園松山市長賞(2001年)、第7回鬼貫青春俳句大賞(2010年)を受賞。共著に『関西俳句なう』『船団の俳句』『坪内稔典百句』『新興俳句アンソロジー』など。関西現代俳句協会青年部部長。京都精華大学 国際文化学部 人文学科 特別任用講師。


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