ハイクノミカタ

風邪を引くいのちありしと思ふかな 後藤夜半【季語=風邪(冬)】


風邪を引くいのちありしと思ふかな

後藤夜半

 〽熱が出たりすると 気付くんだ 僕には体があるって事
 鼻が詰まったりすると 解るんだ 今まで呼吸をしていた事

「supernova」(BUMP OF CHIKEN)より。滞ったり失ったりして初めてその存在に気がつかされるものがある。それは大切なものすぎて、例えはあまり挙げたくない。皆はどう思っているんだろう?と思った方には冒頭にひいたこの曲をお楽しみいただきたい。

 雪が降る街を行くかのような曲である。風邪を引いて体があることを再認識するこの登場人物はこれまでどんな日々を過ごしてきたのだろう。若く健康なあいだは体には意識が行かず、心の苦悩に気をとられることが多いのではないか。

 入浴して浴槽に入る瞬間、いつもありがたいと思う。自分の好きな時間に毎日全身を洗えるこの日常を、失う心配をすることもなく過ごせることを幸運だと思う。失ってからその大切さに気付くとき詩は生れるが、日々幸せを感じることができる間に感謝し、堪能しておきたい。

風邪を引くいのちありしと思ふかな

 「supernova」の登場人物の3倍以上の年月を生きている夜半の句は体よりさらに踏み込んで、いのちにまで到達した。夜半数え年八十歳を迎えた冬の句である。後藤比奈夫の解説によると

 「まだ自分には風邪を引いて咳をしたり、熱を出したりすることの出来る生命力が残っているのだと、しみじみ境涯を振り返っているのである。」

 眠るにも体力がいるとは聞いたことがあるが、どうやら風邪を引くにも体力がいるようである。ここでいう「いのち」は生命力のことだろう。風邪を引いて「ああ、いのちがある」と思ったという鑑賞はしっくりこない。風邪くらいですぐにいのちの終りを連想することはむしろ難しいものだ。それよりは「風邪を引くいのち」があることを認識したと鑑賞したい。そうすると「いのちありし」の「し」が生きてくる。自分にはまだこんな生命力があったのだという一種の安堵だ。

 クリスマス直前のこの時期に〈クリスマスカード消印までも読む〉を書こうと思って、ずっと夜半の句はとりあげないできたが、いざその日になって『後藤夜半の百句』を読み返したら掲句の方がどうしても気になってとりあげてしまった。

 失ってからその大切さに気付くことはよくあるが、手に入れた時に今までなかったことに気付くということもある。

『後藤夜半の百句』(2014年刊・後藤比奈央著)より。 ※『底紅』所収

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】
>>〔80〕破門状書いて破れば時雨かな 詠み人知らず
>>〔79〕日記買ふよく働いて肥満して 西川火尖
>>〔78〕しかと押し朱肉あかあか冬日和 中村ひろ子(かりん)
>>〔77〕命より一日大事冬日和 正木ゆう子
>>〔76〕冬の水突つつく指を映しけり 千葉皓史
>>〔75〕花八つ手鍵かけしより夜の家 友岡子郷
>>〔74〕蓑虫の蓑脱いでゐる日曜日 涼野海音
>>〔73〕貝殻の内側光る秋思かな 山西雅子
>>〔72〕啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子
>>〔71〕天高し鞄に辞書のかたくある 越智友亮
>>〔70〕また次の薪を火が抱き星月夜 吉田哲二
>>〔69〕「十六夜ネ」といった女と別れけり 永六輔
>>〔68〕手繰るてふ言葉も旨し走り蕎麦 益岡茱萸
>>〔67〕敬老の日のどの席に座らうか 吉田松籟
>>〔66〕秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦
>>〔65〕さわやかにおのが濁りをぬけし鯉 皆吉爽雨
>>〔64〕いちじくはジャムにあなたは元カレに 塩見恵介
>>〔63〕はるかよりはるかへ蜩のひびく 夏井いつき
>>〔62〕寝室にねむりの匂ひ稲の花  鈴木光影
>>〔61〕おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな 櫛部天思
>>〔60〕水面に閉ぢ込められてゐる金魚 茅根知子
>>〔59〕腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治
>>〔58〕観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治
>>〔57〕ふところに四万六千日の風  深見けん二
>>〔56〕祭笛吹くとき男佳かりける   橋本多佳子
>>〔55〕昼顔もパンタグラフも閉ぢにけり 伊藤麻美
>>〔54〕水中に風を起せる泉かな    小林貴子
>>〔53〕雷をおそれぬ者はおろかなり    良寛
>>〔52〕子燕のこぼれむばかりこぼれざる 小澤實
>>〔51〕紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る 津田清子
>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ   河野南畦
>>〔49〕しばらくは箒目に蟻したがへり  本宮哲郎
>>〔48〕逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花 中西夕紀
>>〔47〕春の言葉おぼえて体おもくなる  小田島渚
>>〔46〕つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子
>>〔45〕鳴きし亀誰も聞いてはをらざりし 後藤比奈夫
>>〔44〕まだ固き教科書めくる桜かな  黒澤麻生子
>>〔43〕後輩のデートに出会ふ四月馬鹿  杉原祐之
>>〔42〕春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一
>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり   河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り    夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む  斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. どんぶりに顔を埋めて暮早し 飯田冬眞【季語=暮早し(冬)】
  2. 冷やっこ試行錯誤のなかにあり 安西水丸【季語=冷やっこ(夏)】…
  3. 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規【季語=柿(秋)】
  4. 古きよき俳句を読めり寝正月 田中裕明【季語=寝正月(新年)】
  5. 年逝くや兎は頰を震はせて 飯島晴子【季語=年逝く(冬)】
  6. いつの間に昼の月出て冬の空 内藤鳴雪【季語=冬の空(冬)】
  7. ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 岸本尚毅【季語=冷やか(秋)】…
  8. 一燈を消し名月に対しけり 林翔【季語=名月(秋)】

おすすめ記事

  1. 【冬の季語】臘梅(蠟梅)
  2. セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔【季語=セーター(冬)】
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第92回】行方克巳
  4. 【夏の季語】百合
  5. ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく 鍵和田秞子【季語=ダリヤ(夏)】
  6. 【冬の季語】逝く年(行く年)
  7. 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(4)
  8. 【連載】俳人のホンダナ!#2 小谷由果
  9. 春暁のカーテンひくと人たてり 久保ゐの吉【季語=春暁(春)】
  10. むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子【季語=凌霄花(夏)】

Pickup記事

  1. 【秋の季語】茸(菌)
  2. 【秋の季語】蛇穴に入る
  3. 【冬の季語】寒椿
  4. でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子【季語=でで虫(夏)】
  5. 【冬の季語】日短
  6. 【春の季語】鶯笛
  7. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年11月分】
  8. 鉛筆一本田川に流れ春休み 森澄雄【季語=春休み(春)】
  9. ゆる俳句ラジオ「鴨と尺蠖」【第15回】
  10. 【春の季語】春灯
PAGE TOP