ハイクノミカタ

おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな 櫛部天思【季語=夕立(夏)】


おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな

櫛部天思

 会社の同僚や古くからの友人と最近夕立がないという話を立て続けにした。最高気温30℃の真夏日でも暑くてたまらないと嘆いていた頃、一般家庭に冷房は普及していなかったが夕立で涼しくなったものである。最近ではたまに遭遇すると涼しくなる期待感よりは集中豪雨による被害はないかの心配の方が勝ってしまうことも少なくない。それでも全体としては「夕立の句を作るぞ!」の気持ちが勝る。様々な心配事は別として、気の持ちようとしては俳句をやっていてよかったと思う瞬間のひとつだ。

 夏の夕方に降る雨は夕立とわかっているから雨宿りもする。スマホで雲の行方を確認出来ない時代にもそれは自然な流れだった。雨宿りは出会いを生み出す。さだまさしの「雨やどり」は9月の話だが、こんなことを期待できるのも夕立による雨宿りだから。軒を借りるような雨宿りも最近していない。

  おほぞらを剝ぎ落したる夕立かな

 大空でなく「おほぞら」とした時点で空はもう崩れている。「おほ」の表記が効いている。大空を剥ぎ落としたかのように激しい夕立。まるで雲がごっそり落ちてくるかのようであり、雨量の多さを語っている。雷鳴はべりべりと雲が剥がれていく音だ。それらが天の意思によるものだとすると、人間たちよ落ち着きなさい、一度頭を冷やしなさい、というメッセージと受け取れる。天ならではの荒療治である。

 暗喩であるが、「ごとし」が使われていないだけで読後感としては直喩に近い。実感を伝えるのに必ずしも遠回りする必要はないのだ。

 この句が作られたのは2003年から2006年のあいだ。気象庁のホームページによると作者の住む松山でこの期間の7月~8月の平均最高気温は25℃から27℃台。goo天気で当時の天気を見てみると30℃を超える日には雷雨がよく起きている。ちなみに東京でも2004年を除いては30℃未満だった。夕立もまだ恐怖より風情が勝っていただろう。

 ゲリラ豪雨が新語・流行語大賞トップテンに選出されたのは2008年だから作句当時にこの概念はなかったか、あったとしても限定的なものであったと思われる。同じにわか雨でも夕立は夕方に降るもので、ゲリラ豪雨は時間を問わないものだそうである。後者の表現はあまり頻繁に使うべきではないと考えているのでこの段落以外の箇所では集中豪雨と表記した。

 夕立がない…という記事を書いていたら雷雨。そうだ、夕立がないのではない。同じものを雷雨と呼んでいただけなのだ。夕立がなくなったのではなく、自分がそう呼ばなくなっていただけなのだ。幸せの青い鳥状態。

『天心』(2016年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔60〕水面に閉ぢ込められてゐる金魚 茅根知子
>>〔59〕腕まくりして女房のかき氷 柳家小三治
>>〔58〕観音か聖母か岬の南風に立ち 橋本榮治
>>〔57〕ふところに四万六千日の風  深見けん二
>>〔56〕祭笛吹くとき男佳かりける   橋本多佳子
>>〔55〕昼顔もパンタグラフも閉ぢにけり 伊藤麻美
>>〔54〕水中に風を起せる泉かな    小林貴子
>>〔53〕雷をおそれぬ者はおろかなり    良寛
>>〔52〕子燕のこぼれむばかりこぼれざる 小澤實
>>〔51〕紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る 津田清子
>>〔50〕青葉冷え出土の壺が山雨呼ぶ   河野南畦
>>〔49〕しばらくは箒目に蟻したがへり  本宮哲郎
>>〔48〕逢はぬ間に逢へなくなりぬ桐の花 中西夕紀
>>〔47〕春の言葉おぼえて体おもくなる  小田島渚
>>〔46〕つばめつばめ泥が好きなる燕かな 細見綾子
>>〔45〕鳴きし亀誰も聞いてはをらざりし 後藤比奈夫
>>〔44〕まだ固き教科書めくる桜かな  黒澤麻生子
>>〔43〕後輩のデートに出会ふ四月馬鹿  杉原祐之
>>〔42〕春の夜のエプロンをとるしぐさ哉 小沢昭一
>>〔41〕赤い椿白い椿と落ちにけり   河東碧梧桐
>>〔40〕結婚は夢の続きやひな祭り    夏目雅子
>>〔39〕ライターを囲ふ手のひら水温む  斉藤志歩
>>〔38〕薔薇の芽や温めておくティーカップ 大西朋
>>〔37〕男衆の聲弾み雪囲ひ解く    入船亭扇辰
>>〔36〕春立つと拭ふ地球儀みづいろに  山口青邨
>>〔35〕あまり寒く笑へば妻もわらふなり 石川桂郎
>>〔34〕冬ざれや父の時計を巻き戻し   井越芳子
>>〔33〕皹といふいたさうな言葉かな   富安風生
>>〔32〕虚仮の世に虚仮のかほ寄せ初句会  飴山實
>>〔31〕初島へ大つごもりの水脈を引く   星野椿
>>〔30〕禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ
>>〔29〕時雨るるや新幹線の長きかほ  津川絵理子
>>〔28〕冬ざれや石それぞれの面構へ   若井新一
>>〔27〕影ひとつくださいといふ雪女  恩田侑布子
>>〔26〕受賞者の一人マスクを外さざる  鶴岡加苗
>>〔25〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ  川崎展宏
>>〔24〕伊太利の毛布と聞けば寝つかれず 星野高士
>>〔23〕菊人形たましひのなき匂かな   渡辺水巴
>>〔22〕つぶやきの身に還りくる夜寒かな 須賀一惠
>>〔21〕ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行
>>〔20〕遅れ着く小さな駅や天の川    髙田正子
>>〔19〕秋淋し人の声音のサキソホン    杉本零
>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 未草ひらく跫音淡々と 飯島晴子【季語=未草(夏)】
  2. 耳立てて林檎の兎沈めおり 対馬康子【季語=林檎(秋)】
  3. 裸木となりても鳥を匿へり 岡田由季【季語=裸木(冬)】
  4. 潜り際毬と見えたり鳰 中田剛【季語=鳰(冬)】 
  5. 又の名のゆうれい草と遊びけり 後藤夜半【季語=ゆうれい草(夏)】…
  6. 夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ 堀本裕樹【季語=夏蝶(夏)】
  7. 見るうちに開き加はり初桜 深見けん二【季語=初桜(春)】
  8. 指入れてそろりと海の霧を巻く 野崎憲子【季語=海霧(夏)】

おすすめ記事

  1. 海鼠噛むことも別れも面倒な 遠山陽子【季語=海鼠(冬)】
  2. 天使魚の愛うらおもてそして裏 中原道夫【季語=天使魚(夏)】
  3. 【秋の季語】松茸
  4. 水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子【季語=春の月(春)】
  5. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第14回】お茶の水と川崎展宏
  6. かけろふやくだけて物を思ふ猫 論派【季語=陽炎(春)】
  7. あり余る有給休暇鳥の恋 広渡敬雄【季語=鳥の恋(春)】
  8. 春天の塔上翼なき人等 野見山朱鳥【季語=春天(春)】
  9. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
  10. 木の葉髪あはれゲーリークーパーも 京極杞陽【季語=木の葉髪(冬)】

Pickup記事

  1. 愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子【季語=泳ぐ(夏)】
  2. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第12回】高千穂と種田山頭火
  3. 【冬の季語】竜の玉(龍の玉)
  4. 消すまじき育つるまじき火は埋む 京極杞陽【季語=埋火(冬)】
  5. 退帆のディンギー跳ねぬ春の虹 根岸哲也【季語=春の虹(春)】
  6. 【冬の季語】冬帽子
  7. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第31回】田園調布と安住敦
  8. 【書評】人生の成分・こころの成分――上田信治『成分表』(素粒社、2022年)
  9. 【冬の季語】冬至
  10. 引退馬支援と『ウマ娘』と、私が馬を詠む理由
PAGE TOP