
セルを著て家居たのしむ心かな
高濱年尾
夏の着物を着ているだけで、家にいる時間が楽しくなることがあるのでしょうか。
「セル」とは、薄手の毛織物のことで、「サージ(serge)」 「サルゼ」 「セルジ」 とも呼ばれ、「セルジ」を「セル地」と解して、その「地」を略した語とも言われます。
現在では目にすることが少なくなったセルの着物ですが、少し前に友人がリユース着物店で手に入れました。
その時は生地の正体が分からなかったと言います。
実際に着てみると、想像よりもずっと軽く、涼しく、あまりの着心地の良さに驚いたと教えてくれました。
絹の柔らかい着物とは異なり、張りがある分、肌にペタッと沿うようなことがないため、生地の内側に空間ができ、そこを風が抜けて行くのだそうです。
後にそれが「セル」であると分かりました。
その着心地を聞きながら、掲句の「セルを著て」という言葉がぐっと身近に感じられました。
身支度を整えることは、本来どこかへ出掛けるための準備でもあります。しかし、この句ではセルに袖を通したことで、むしろ家で過ごす時間そのものが豊かなものとして感じられています。
面白いのは、作者が家で何をしているかを語っていないことです。
ただ「家居たのしむ心」とだけ言います。家での過ごし方よりも、そう感じている自分の心に目を向けています。
特別な出来事を求めなくても、一枚のセルの着物があれば、家で過ごす時間そのものが豊かになる。
そこに私は、少しの贅沢を感じました。
セルを著たことで世界が変わったわけではありません。しかし、いつもと同じ家の中が、少しだけ楽しいものとして感じられている。その心の動きに、作者自身が気付いたのでしょう。
そんな小さな発見が、「心かな」という詠嘆になったのかもしれません。
『ホトトギス新歳時記 汀子編』(三省堂) 所収
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

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