
二の腕も蛭も等しく濡れてをり
田丸千種
山の中でしょうか。あるいは田んぼでしょうか。
嫌われがちな蛭でも、そうした場所では、蛭が当たり前の顔をして生きている。
そういう蛭側の世界に入ったような空気を感じました。
この句では、二の腕と蛭とを、「濡れてをり」という一つの状態に置いています。
蛭だけが異質な存在として浮き上がるのではなく、二の腕もまた、同じ湿り気を帯びた生き物のように感じられてきます。
私は、「等しく」という言葉に、二の腕と蛭とが、一瞬、溶け合ってしまったような錯覚を起こしました。
さらに、「腕」ではなく「二の腕」としたことにも惹かれました。
二の腕という言葉には、どこか柔らかく無防備なところがあります。
その肉感のある場所に蛭がいることで、人間と自然との境界が少し曖昧になっています。
自然の中では、人もまた、生物の一つに過ぎない。
そうした感覚が、掲句には思想としてではなく、ごく静かな観察として現れているように思います。
『ホトトギス』令和七年十一月号 所収
(菅谷糸)
【執筆者プロフィール】
菅谷 糸(すがや・いと)
1977年生まれ。東京都在住。「ホトトギス」所属。日本伝統俳句協会会員。

【菅谷糸のバックナンバー】
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