
けどとても楽しい蚕であるきらら
加藤綾那
挙句は「関西現代俳句協会青年部」招待作品、連作「うらきら」からの一句。
この句、蚕があって、そこにひとがいるのが面白い。
蚕は白い姿をしており、白く吐く糸でとても美しい繭をつくる。そんな蚕のことを、楽しい、しかもとても楽しいである、と思うひとがいる。私とはまったく違う生態の、美しく不思議な生き物をとても楽しいとすることは、とてもいいな、と思う。
また「けど」が曲者で、何かしら理由があるからなのです(理由は教えませんが)、と押し通されている気もするし、もしくは私の今の状況にそういう理由をつけて、そう思うこと(それはさておき)にしているのかもしれない。
「きらら」については蚕がきらきらしているのかもしれないし、私がきらきらしているのかもしれないし、いずれにしても、希望みたいだ。
今回は、わたしが俳句の書き手としてとても好きで、いや正直に言うと「うらやましい!」と思った方の俳句について書いている。
わたしは「加藤綾那さんに嫉妬」している。わたしもこんなふうに俳句を書きたかった。とても書けないんですが。
恋人の腋には腋毛山笑う 加藤綾那
こちらの句も「うらきら」よりの一句。
脇毛が見えるということは、ノースリーブなのだろうか。それとも、部屋でふたり裸で過ごしており、窓から仰ぐ春の山をみているのだろうか。いずれにしても、春においてこんなふうに脇毛を描かれると、なんだかふわふわと、美しい脇毛である。
蚕の句も山笑うの句もそうだが、どちらにしても、私が他者に対してとる距離の、とても絶妙なところを描いている。繊細であるし、的確と思う。
加藤綾那さんは、現在俳句結社「秋草」に所属され、ご活躍しておられる。近作もすてきですが、わたしが秋草誌を所持していないため、挙句として近作をあげられないことが悔やまれる。加藤綾那さんの作品をもっと読みたい。
(内橋可奈子)
【執筆者プロフィール】
内橋 可奈子(うちはし・かなこ)
1983年生まれ。兵庫県在住。「伊丹市俳句協会」会員。「窓の会」常連。