ハイクノミカタ

山椒の実噛み愛憎の身の細り 清水径子【季語=山椒の実(秋)】


山椒の実噛み愛憎の身の細り

清水径子
(『現代俳句歳時記』)

 「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言ったのは、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサである。愛するから憎むのであり、憎しみが愛に変わることもある。無関心は、存在すら認識しようとしない最も罪なことなのだ。

 私はすぐに人を憎んでしまう。態度の悪い店員や会社の上司、私を傷つけた学校の先生など。冷静に考えれば、彼らのことは最初から嫌いだったわけではない。好印象を持っていた店員が冷たい態度を取ったから憎んだのである。相手は私のことなど覚えていない上に、冷たい態度には事情があったのだろう。会社の上司も学校の先生も最初は好きだったのだ。だからといって、許せないものは許せない。人を憎むことは苦しいが生きる原動力にもなる。

 恋の話でいえば「憎らしい人」は、愛情の裏返しで「妬ましいほど惹かれる」ぐらいの意味だが、「可愛さ余って憎さが百倍」は逆恨みも含めて愛憎の言葉である。

 上田秋成の『雨月物語』のなかにある「吉備津の釜」は、遊び人の正太郎に嫁いだ磯良が死後に怨霊となり復讐する物語である。磯良は、尽くしていた夫の正太郎が家の金を奪って遊女の袖と逃げたため、気を病んで死んでしまう。その後、正太郎と暮らし始めた袖は、物の怪に取り憑かれたかのように狂い死にする。正太郎は、袖の墓参りが日課となるが、ある時、墓で出会った女から美しい未亡人の噂を聞き、訪ねてゆく。屏風の奥から現れた女性は血の気のない顔をした磯良であった。

 尾崎紅葉の未完の名作『金色夜叉』では、主人公の間貫一の許嫁であった鴫沢宮は、富豪の富山唯継へ嫁いでしまう。許嫁の愛を信じていた貫一は絶望し、宮と金を憎み、復讐のために高利貸となる。憎しみのあまり非道な商売に手を染め財力を貯える貫一だが、結婚後の宮の不幸な境遇を知り動揺する。熱海の海で貫一が宮を蹴り飛ばす場面が有名だ。

 愛憎の物語は沢山あるのだが、シドニィ・シェルダンの小説『真夜中は別の顔』の女主人公ノエルの恋の復讐劇は鮮やかであった。パリで暮らし始めたノエルは、パイロットのラリーと恋仲になるも捨てられてしまう。ラリーの裏切りに激怒したノエルは復讐を誓う。戦時中の混乱の中、俳優や映画監督を誘惑し有名女優になり、ギリシャの資産家の愛人にまでなる。そして、すでに妻帯者であったラリーを自家用飛行機のパイロットとして雇う。ノエルのことを覚えていないラリーに雇用主として無理難題を押し付け、嫌がらせをする。やがて二人は再び恋仲となり、ラリーはノエルに唆されて妻のキャサリンを殺害しようとするのだが。映画版だとストーリー展開が早く追いつくのがやっとである。

 サスペンス映画の『恐怖のメロディ』、『危険な情事』、『ミザリー』は、愛憎というよりは狂気である。

    山椒の実噛み愛憎の身の細り  清水径子

 山椒は春先に花が咲き、初夏に青い実を結ぶ。青山椒は、料理に使いその香りを楽しむ。秋になると赤く熟し辛みが増し、香辛料に用いられる。

 古事記歌謡の久米歌の「はじかみ」は、山椒の古名で、口が痺れることが詠まれている。その痺れを忘れないように恨みは忘れないという内容の歌である。実際に山椒の赤い実を摘んで噛んでみたことがあったが、口の中がぴりぴりして数分間喋れないほどであった。30分経過してもまだ唇が麻痺していた。何とも恨みがましい実である。

 作者は、明治44年生まれ。幼くして両親を亡くし姉弟とともに祖母に育てられる。高校卒業後、21歳で結婚するも離婚し、速記で生計を立てた。26歳の時に弟の死去により哲学書を読むようになる。また、姉の夫である秋元不死男の勧めで俳句を始めた。作句の原点には、両親の死への寂しさがあったと述べている。掲句の愛憎は、恋人ではなく肉親、あるいは身近な人への感情とも考えられる。

 〈鳥の恋峰より落つるこそ恋し 径子〉〈君のそばへとにかくこすもすまであるく 径子〉など恋の句も詠む作者。身が細るほどの愛憎とはやはり恋なのではないだろうか。

 好きになった相手を憎んでしまうことはよくあることだ。私などは、別れた相手には憎しみの感情しか残らない。特に若い頃は、欠点の多い男性を好きになってしまう傾向があったからだろう。

 飲み会で知り合った自称冷め男は、皆が大笑いしている時に「そんなに面白いか?」と水をさしてしまうタイプ。女の子にも「その服ダサいね」と平気で言う。本人も相当ダサいのだが。人と合わせないその態度に惹かれ私からデートに誘った。当然「来てやった」みたいな素振りである。流行に流されない主義のわりには、全てのドラマを録画し、鑑賞しては批判している。私の発言にも全て反論するのだが、それも面白くて飽きなかった。作った料理にも文句を言うし、体調が悪くても気遣ってくれない。健康体の上に暇人なのだが病気自慢と多忙自慢をする。恋とは不思議なもので、好きな時は麻痺してしまい、欠点こそが愛おしく思え、尽くしてしまう。尽くすことに酔っている自分がいた。そんな恋も麻酔が消えるようにある日突然冷めてしまった。ダメな男性に限って別れた後がしつこい。「お前がいないと死ぬ」と言うので「死んで欲しいぐらい嫌い」と答えた。

 恋をして熱くなっている時は良いが、冷めると憎しみだけが増幅してゆく。人を憎むことがこんなにも苦しいのかと悶えた。好きになった感情以上に憎しみの感情は強い。私は、何を食べても太りやすい体質なのだが、冷め男を憎んでいる時は、痩せてしまった。あんな男性を好きだった自分の血液を全て抜いてしまいたいぐらいだった。

 そうかと思うと、顔見知りの男性から不幸の手紙みたいなものを貰ったことがあった。「君に恋人がいるなんて知らなかった。あんなに尽くしたのに、僕の心を弄んで許せない。夜道を歩くときは刺されないように注意しろ」みたいな内容であった。特に気のある素振りを見せた記憶もなければ、尽くされた記憶もないため困ってしまった。無関心とは罪なことなのだろう。

 誰しも恋をしている時は、相手のことが世界で一番好きなのだ。こんなにも相手のことを想っているのは自分だけしかいないとまで思い込む。相手がその気持ちに応えてくれるような態度を取ってくれなかったり、自身の気持ちが冷めてしまったりすると憎しみに変わってしまう。愛した分だけ憎むのだ。愛が前向きなら憎しみは後ろ向きである。愛するより憎むほうが苦しい。だが憎しみは生きている証である。憎むからこそ生きていられることもある。復讐だけでなく、見返してやるという気持ちも芽生える。山椒の実を噛んだ時の辛さを忘れてはいけない。恋と同じくいつしか薄れてしまうものではあるのだが。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
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>>〔114〕あきざくら咽喉に穴あく情死かな 宇多喜代子
>>〔113〕赤い月にんげんしろき足そらす 富澤赤黄男
>>〔112〕泥棒の恋や月より吊る洋燈 大屋達治
>>〔111〕耳飾るをとこのしなや西鶴忌 山上樹実雄
>>〔110〕昼の虫手紙はみんな恋に似て 細川加賀
>>〔109〕朝貌や惚れた女も二三日 夏目漱石
>>〔108〕秋茄子の漬け色不倫めけるかな 岸田稚魚
>>〔107〕中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
>>〔106〕太る妻よ派手な夏着は捨てちまへ ねじめ正也
>>〔105〕冷房とまる高階純愛の男女残し 金子兜太
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>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
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>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
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