2026年6月から【木曜日】は2か月交代で〈大学俳句会〉のみなさんにご執筆いただくことになりました。トップバッターは愛媛大学(愛媛県・松山市)の「愛媛大学俳句研究会」です。

柊木快維(愛媛大学俳句研究会)
1.
──世界っていう言葉がある。それとは別に、セカイっていう言葉がある。
前島賢は『セカイ系とは何か』において、「セカイ系」の祖型を『新世紀エヴァンゲリオン』に求めつつ、その系譜を詳細に検討している。前島によれば「セカイ系」という言葉は当初「エヴァっぽい(=一人語りの激しい)」という意味で「揶揄」を込めて使われるものだった。それはとりわけ『エヴァンゲリオン』後半の文学じみた部分を言いあらわすものであり、「「世界の中心」=自分の了見の及ぶ範囲の中心、つまり自分の座る体育館のパイプ椅子で、「アイを叫んだ」=激しく一人語りした『エヴァ』」である。そして、『エヴァ』後半の表現やテーマを受け継いだ作品群が、ゼロ年代に入るとエヴァっぽい=「セカイ系」と名指されるようになった。前島はこうまとめたうえで、「セカイ」という言葉について次のように述べる。
さらに、ぷるにえ[引用者註:「セカイ系」という言葉が生まれたウェブサイト「ぷるにえブックマーク」の管理人]自身が、「これらの作品の特徴として、たかだか語り手自身の了見を「世界」という誇大な言葉で表したがる傾向があり、そこから「セカイ系」という名称になった」と語るように、「世界っていう言葉がある」で始まる『ほしのこえ』などの作品を的確に名指し、またセカイとカタカナ表記することで「世界の中心でアイを叫んだけもの」という『エヴァ』のTV版最終話を連想させ、さらにまた「それらの作中で世界と呼ばれているものは、世界でもなんでもないのだ」という批判的な視点まで内在している[i]
おもしろいのは、「セカイ」というカタカナ表記にはすでに「それらの作中で世界と呼ばれているもの」が実際には「世界でもなんでもない」というメタ的批判的視点が含まれているという点だ。掲句における「セカイ」もまた、「外」部の存在が前提とされている点で、このメタ的批判的視点を共有しているといえる。そしてまた、このメタ的批判的視点は、『自生地』という句集全体を貫く重要な性格でもある。
「〈句〉と〈文〉の、新たな草むら」(『自生地』帯文)として膨大な言葉が繁茂するこの句集は、それ自体が、一冊の句集を編集していく過程を記録したドキュメンタリーでもある。高山れおなはこうした性質について「福田の作品がたとえばかつての人間探求派的な表現と似ても似つかないものになっているのは、言語で表現する行為自体が表現の俎上に乗せられる、メタ的な水位が一貫して意識されているからである。メタテキスト性がはらむ空虚と、その空虚を通じてしか触れえない現在が、広大なモザイクと化して、作者の生の、感情の軌跡を織りなす」[ii]と的確に述べている。
書体は、すんなり決まった。原稿はまだ書き上がっていないけれど、この句集に明朝体はふさわしくないだろう。しかし、仮に書体というものが結局は文字の様相にとどまるのだとすれば、かまきりの様相は、あくまでも、書体の似姿でなければならない。[iii]
句集を編みすすめながら書名をどうするか決めかねている。言葉の草むらのなかに、それに擬態したかまきりや、かまきりもどきなどが潜んでいて、ふいにその姿をみせるこの土地を、僕はある匿名的な名で呼んでみたく思う。だが、慣れ親しんだ土地の名をそのままこの句集の名とすることも、考えられた。
句集中に登場するこれらの詞書に相対するとき、読者は確かにある当惑へと投げ出される。読者は、すでに決定された書体で印字された句や文を読んでいるのだし、表紙や背表紙に掲げられた『自生地』という書名のことを知っているからだ。つまり読者は、福田が書名に「慣れ親しんだ土地の名」を選ばずに「ある匿名的な名」を選び取ったことをすでに知っている。こうしたメタテクスト性は、読者に一種の優越感を与えるというよりも、主体の懊悩・逡巡へとかんたんに没入できない居心地の悪さを感じさせるものとして機能しているように思う。ここでは、読者は「世界の中心」に安住することを許されずに、「セカイの外」へと追いやられるのだ。
また、メタテクスト性は俳句作品にも見いだされる。
夏草や の跡←消しゴムで消した跡
これも虹→○突き破ってよ指で
一句目では、芭蕉の俳句が穴埋め問題のようなかたちで引用されることで高度なコンテクストが導入されている。しかし、この句で本当に重要なのは前半部の「夏草や の跡」と後半部の「←消しゴムで消した跡」では表記の位相が異なっている事態の方である。前半部は「消しゴム」で消すことのできる——たとえば鉛筆などの文具で〈紙〉の上に書きつけられた文字だが、後半部はそれに対するメタ的な注釈であり、それは〈紙〉の上に書かれた文字ではない。また、これらがひっくるめて「消しゴム」で消すことのできない活字として頁の上に印字されていることまで含め、この句はメタ的な視点を複雑化させている。
二句目では、まるで第四の壁を越えて読者に直接語りかけるようにして、句集が指でかんたんに「突き破」ることのできる〈紙〉でしかないという事実をユーモラスに告発している。本を読む際に意識のなかで透明化されてしまう〈紙〉という物質性に読者を立ち返らせるこれらの句は、やはり読者が「世界の中心」に没入することを許さず、絶えず「セカイの外」へと送り返そうとする。
かまきりのいない枯野に来てしまう
かまきりとはいったいなんだったのだろう。かまきりのいない枯野、と僕は書いた。けれど、そのページの上には、そのようにして、かまきりがなおもありありと存在している。それともこれは、かまきりに似て非なる、かまきりという語でしかないのだろうか。
「かまきりのいない枯野」とは、「君」が「帰省」した後の「無色の街」とほとんど同一の意味を持つ空間である。「無色の街」は、色褪せていると同時に透き通っているという両義性に引き裂かれる。
孵る。それは、二度と戻れない仕方で帰るということだ。別の自生地に。
やわらかいかまきりのうまれたばかり
巻末に置かれた文と句である。「孵る=帰る」という言葉遊びは、とうぜん掲句における「帰省」という季語の意味をも二重化する。ふつう「帰省」といった場合、休暇などを利用した一時的なものであり、いずれは元いた場所に戻ってくるという前提がある。しかし、掲句における「君」はもう「無色の街」には帰ってこない。「君」は「二度と戻れない仕方」で「帰省」した。「セカイの外」=「別の自生地」へと。
2.
『自生地』をはじめて読んだときから、一つの疑問が私の頭のなかに蟠っていた。それは、言葉が「自生」する土地としての自己規定と、大量の詞書に代表されるメタテクスト性——すなわち「書く主体」および「編集する主体」の前景化——は、相容れないものなのではないか、という疑問である。
じ-せい【自生】①人為によらず天然に生じ、生育すること。自然生。野生。②〔生〕植物がある地域のフロラに本来属していること。〔…〕【自生地】人が植えたのではない自然の生息地[iv]
この定義からもわかるように、一般的に「自生地」という場合、そこからは人間の影が消去されていなければならない。しかし、『自生地』では人為的行為や主体像がむしろ積極的に押し出されることで、ドキュメンタリーとしての性格が強まっている。
もちろん「自生地」や「言葉」が比喩である以上、それを生真面目に捉えすぎては重要なものを見失ってしまう。言葉は人間が介在しなければ自然に存在することはない。しかしそれでは、「親しいひとたち」には「決して僕らしいものとは受けとられな」かったにもかかわらず、「ひとたび書きしるしてみれば、書名はほかにありえなかった」と述べられる『自生地』という書名の必然性をいま一つ理解することができない。
書名は、結局、『自生地』に決めた。もう、まわりの評判を気にしたりして迷うことはやめにしよう。これが、いまの、あたらしい僕が生きることに決めた名だ。けれど、何の自生地なんだろう。それは、どこなのだろう。どんなところなのだろう。僕は、まだきっと、そのことをほんとうにわかっていない。
「僕が『自生地』という名のもとで実現するもの。それが、結局は、僕が『自生地』と呼ぶものになるだろう」というトートロジーからもわかるように、「自生地」は決して辞書的な用法において呼び出されたわけではない。では、福田のいう「自生地」は、この『自生地』という句集において、どのようなかたちで実現されているのだろうか。
この問題を考えるうえで、もう一つの重要な比喩として〈庭〉を導入したい。一見、人為によらない自生地と、人間が管理・管轄する庭は、まったく正反対の性質を持つ空間にみえる。しかし、福田のいう「自生地」は、辞書的な野生の空間よりも、むしろある種の〈庭〉に近接しているように思われるのだ。
現代を代表する庭師であるジル・クレマンは、「庭」を意味する英語「garden」およびフランス語「jardin」が、共に「囲われたもの」という意味の語に由来することに着目している。この点において、〈庭〉と箱庭的な「セカイ」を類比的に思考することが可能なように思われる(〈箱庭の作者が映り込む水面〉という句における「箱庭」は間違いなく「セカイ」と類比的であり、ここでいう「作者」は「セカイの外」へ帰省した「君」と重ね合わされるだろう。また、この句の「作者」と「箱庭」の関係は、いままで述べてきたメタテクスト性についての傍証にもなっている)。
クレマンは「いかなる庭園もいかなる風景も、それらが存在しているあいだは常に変化しており、決してそこから逃れることができない」という思想に基づき、自然の気まぐれ、つまり植物の絶えざる変化を庭の本質と捉え〈動いている庭(jardin en mouvement)〉という概念を提示する。『自生地』と〈動いている庭〉の結びつきについて、クレマンの特異な庭園論を参照することで理解しやすくなる。他人頼りになってしまうが、以下に、宇野常寛氏によるすぐれたクレマンの庭園論の要約を引用させていただく。
[…]クレマンのつくる「動いている庭」は、一見、自然そのもののように見える。そこは(とくに夏場には)草がぼうぼうと茂り、よく見ると生えているものも実に多様……といえば聞こえがよいが、その外観はむしろ「混沌」という言葉がふさわしい。その庭は噴水と花壇を中心に左右に空間が広がり、対称的に同じ植物が配置される、ヨーロッパの伝統的な「庭」とは似ても似つかない。シンメトリーな歩道などあるはずもなく、こうした茂みや、まったく人間に遠慮することなく根を張った木を避けるように、人間の歩く道がその脇に曲がりくねって配置される。これが「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」クレマンの作庭だ。[v]
「第三風景」とは、森林でもなければ農地でもない場所、たとえば人間に放置されている「荒れ地」のことをさす。クレマンは述べる。ときにこの深い森よりも、畑や放牧地などの農地よりも、第三風景(荒れ地)のほうが生物の「多様性」は上回るのだ、と。一見、森林は生物の多様性が高い土地に見える。しかし、必ずしもそうとは限らないとクレマンは述べる。森林とは多くの場合、とくにその生態系が安定している場合は支配的な樹木によって他の多くの植物が圧倒されている状態のことがままあり、そこには多くの植物が日光を得られず、種子のまま芽吹かずに土のなかで眠っている。そしてそれを食べる虫などの生物も、そこでは生きられない。[…]対して意外なことに、湿地や岩場などの「荒れ地」の生物多様性は高いと主張する。そこは極相=特定の植物の支配による安定した森に至るかなり前の段階、つまりまだ「新しい植物が次から次へと現れ」る状態にある。そしてこの状態こそが目に見える生物の多様性が実は高い。そこは移動力の高い植物——その多くは今日においては人間の移動を利用する「外来種」だ——が最初に根を下ろす場所であり、そのために新しい環境が構築されて、それまでは存在しなかった他の植物や虫たちが集まるようになり、やがて小さな生態系が構築されていく。
「第三風景」に見られるような生物の多様性を、人間(庭師)が介入することによって、特定の囲われた場所に、それも「荒れ地」である第三風景とは異なり量的にも生物の豊かなかたちに構築すること、それがクレマンの〈作庭〉なのだ。
こうしたクレマンの庭園論は、近代的な庭園空間を真っ向から否定するものである。松浦寿輝によれば「バロック期の風景庭園が「美」の極を、分類された植物の種を示す標識が整然と立ち並ぶ植物園が「知」の極を代表し、この両極の間を揺れ動きつつわれわれにとっての庭園空間の近代がかたちづくられていった」。一方では、それを眺めて楽しむための美観としての庭園があり、また一方では、分類された知をそのまま視覚化したような植物園がある。両者に共通しているのは、自然は克服し支配することが可能である、という近代的な価値観である。とくに後者における博物学的なまなざしについて、松浦は次のようにいう。
ミシェル・フーコーは、十七世紀から十八世紀にかけてのいわゆる「古典主義時代」の西欧に出現した「知」の原理の一つとして、「タクシノミア」すなわち分類学の身振りを挙げている。分類とは、言い換えれば、それを見渡せばおよそ存在しうるありとあらゆる差異を通覧することが可能であるような整然とした表を作成することであり、そうした普遍的な表の上に生物の種を配置してゆくところに成立したのが、博物学(his-torie naturelle)と呼ばれる今日では実質上死に絶えてしまった学問領域であった。
ここで差異とは、可視的な特徴によって記述されうる指標のことである。博物学者はその一覧表を作ろうとして、対象の表面を細心なまなざしで撫でさすり、差異と同一性を体系と方法に基づいて記述してゆく。そのまなざしが、不可視の奥処に潜む生命の本質を掘り下げてゆくといった、深さへ、内部へと向かう垂直的な視線でないことに注意しよう。[…]生物をめぐるこの時代の「知」にとっての喫緊の関心事は、目に見える差異によって属と種を分類することであり、そこにおいては生物の内に潜む「生命」の機能といった問題は浮上してこないのである。[vi]
後で少し述べるように、この博物学的なまなざしについては、歳時記における季語の「分類」をも議論の射程に含んでいるように思う。クレマンの庭園論は、こうした自然に対する抑圧を解放しようとするものである。たとえばクレマンは、境界をつくり異なる種の植物同士が混ざり合わないようにする縁石や生垣、パルテールなどのもの、そして庭の秩序を維持するための庭師による剪定、刈り込み、枝打ち、除草などの技術を「静的秩序」と呼び、自然の動きを抑圧するものとして批判している。クレマンの〈庭〉では過度な人間の介入、そして表面だけの秩序の維持が否定されるのだ。
庭師であり美学研究者でもある山内朋樹は、クレマンの〈動いている庭〉が従来の庭と根本的に異なっている点について「空間的観点の変化」と「時間的観点の変化」の二点に集約している。
第一の空間的な変化について、〈動いている庭〉では、従来の庭と違って文字通り植物が転々と〈動く〉ことで、植物群落の形態が変化し、それがさらに庭のプランを変形させる。「植物は種に固有の傾向、たとえば乾湿の過剰な日陰を避け、周囲の別の植物との関係によって動き、結果的に自らにとって有利な環境へと広がっていく。このとき、植物は移動し、群落を形成し、ときに消滅するのだが、この動きが活発になると、当然のことながら庭のプランが持っている形態をも浸食することになる」[vii]。山内が引用しているクレマンの一節を孫引きする。
園路に偶然芽を出す花々は、庭師をある選択に直面させる。つまり園路を維持するのか、花々を保存するのかという選択に。〈動いている庭〉はその場所を選んだ種の保存を勧める。こうした原理の数々は、庭の型にはまった着想を一変させてしまう
続けて山内はいう。「園路とは、庭のプランからすれば、まさに庭の骨格を成すものであり、偶然に芽吹く花に比べれば遥かに重要な要素である。それゆえ、もしこの一節で言われているように、芽吹いた花を園路に残そうと思えば、季節ごとに園路を迂回させなければならず、庭のプランは植物の移動との関係でつねに変更を余儀なくさせられるだろう。しかし前節で確認したように、クレマンが提起する庭が人間と人間以外の諸存在との集合体、つまり「生きているもの」によってつくられる以上、〈動いている庭〉では、園路とその途上に芽吹いた花とは同等のものとして検討されなければならない。そしてこのことが、これまでの庭と〈動いている庭〉を隔てる第一の特徴なのである」。
さて、こうした空間的な観点の変化から、第二の変化、すなわち時間的観点の変化が帰結される。山内のいうように「空間の管理は暗黙の内に、時間の管理を含んでいる」のであり、こうした作庭作業のアナロジーとして、テクスト空間の管理=句集の編集作業がテクスト自身にもたらす時間的観点の変化について話を進めたい。そのためにもう少しだけ、〈庭〉の話に耳を傾けよう。
[…]動きがつねに空間と時間の結節点にあることから分かるとおり、空間の管理は暗黙の内に、時間の管理を含んでいる。この点が想像しづらいのは、庭では季節ごとに下草が芽吹き、花が咲き、落葉樹が紅葉するため、季節ごとの時間的変化があるかのように見えるからだ。しかし空間的に管理された庭では、季節ごとに循環する時間はあっても、より大きな尺度での時間はない。つまりここには植物が移動し、遷移することを可能にするような、堆積する時間が欠けている。
植物の動きの管理は、空間的に見れば、庭をプランにもとづき保存するためになされる。しかしたとえば、園路脇の寄せ植えにあった植物が園路の中央に芽吹くためには、つまり植物が空間的な変化を引き起こすためには、まずその植物が定植されて種子を落としてから、発芽して花を咲かせるまでの時間の堆積を必要とする。それゆえ、空間的観点からこの花を駆除することは、実のところ庭に堆積する時間を毎年消去し、循環する時間に還元することに他ならない。つまり空間の管理は、暗黙の内にではあれ直接時間に介入し、管理しているのだ。
山内が提示する「堆積する時間」と「循環する時間」という軸を私たちの文脈に位置づけると、歳時記的な季節把握および伝統的な句集の編み方の一つである「四季別」への批判的な検討可能性が立ち上がる。「四季別」とは俳句を「春・夏・秋・冬」の四季に沿って分類し、配列する編集法である。「四季別」では、そのつど異なる複数の年の春(あるいは、春以外の季節)に詠まれたはずの俳句群が、「春」という季節の下で一元化されることで、テクストが持ちえたはずの「堆積する時間」が失われてしまう。季節に沿って章立てを設け、テクストを空間的・形態的に区画整理することは、自然が本質的に抱えている過剰な動きを抑圧することであり、「堆積する時間」を消去し、「循環する時間に還元することに他ならない。」
これは決して、実際は冬につくった俳句を「春」に分類するな、といった素朴な現実主義に則った批判ではない。こうした型にはまった編集法のなかで失われてしまう多層的な時間に対して自覚的になるべきだ、という提案である。
これに関連することとして、坪内稔典は評論集『世紀末の地球儀』に所収された「定型詩の夢」において、「歳時記的秩序」が近代の強引な抽象化と普遍化によって成立したと指摘している。ここで坪内が「歳時記的秩序」と名指しているのは、山本健吉が、花・月・雪・時鳥・紅葉の五つの景物を頂点に、以下、和歌の題・連歌の題・俳諧の季題・俳句の季題・季語からなる六層のピラミッド図を描き、これを「われわれの祖先が長い歳月のあいだに磨き上げて来た美意識と知的認識の精髄」「立体的な一つの秩序の世界」(『最新俳句歳時記 新年』)と呼ぶところのそれである。
詩は永遠なるものへの衝動を蔵している。その意味では、歳時記的秩序もひとつの永遠なるものである。しかし、俳句は、歳時記的秩序への悪意を含んだ対峙によって、かろうじて成り立つ詩ではないか、という思いが私にはある。歳時記的秩序への違和を育てること、それは、歳時記的秩序から見ると、負のものへの執着である。この負性への固執によって切り開かれる永遠というものもあるに違いないのだ。わが国の近代が、歳時記的秩序と共にあったというおおざっぱな理解が可能ならば、その負性への固執こそが、近代の根っこの、いわば地下水をくむ試みになるだろう。そこではじめて、私たちの言葉は、新しく洗い直される。[viii]
「育てる」「根っこ」「地下水」という語自体が多分に〈庭〉的な喩であることに興味を引かれながら、『自生地』に話を戻すならば、そこにはいたるところに「歳時記的秩序への違和」を見出すことができる。枚挙にいとまはないが、もっとも象徴的なものでいうと、季語体系からは離れたところで増殖し続ける「かまきり(もどき)」たちになるだろう。
かまきり——この句集において、それはついに何も意味することはなく、何かを指し示すこともないだろう。それは言葉でもなければ、文字のつらなりでもない。かまきり——こう書いてあるときに、ひとが想像するものではなく、ひとが見ているもの、それがかまきりだ。
言葉は葉かまきりはざわめきに棲む
「自生地」に増殖していく「かまきり」たちは、現実に生息しているかまきりを写生したものでもなければ、季語としての「蟷螂」でもなく、「それはついに何も意味することはなく、何かを指し示すこともない」。坪内は先ほどの評論のなかで「ある言葉を、歳時記的秩序からひきずり降ろすこと、それが、負性のものの顕現を促すきっかけになることは確かである」と述べているが、まさにここでは「かまきり」が歳時記的秩序から解放されることで、「新しく洗い直され」ようとしている。
ところで、神野紗希は『俳句は肯定の文学』において、季語は「反復性と一回性を兼ね備えた装置」であると定義している。
季語は、反復性と一回性を兼ね備えた装置だ。春は毎年訪れるが、今年の春は二度とない。チューリップは毎年そこここに咲くが、今ここに咲く一輪のチューリップはたった一つしかない。燕は毎年飛来するが、眼前をよぎる燕は一期一会だ。その両方を包含し、繰り返される大きな時間の流れとその中の瞬間とを、その一語によって同時に句に引き込むことができるのが、俳句という短詩における季語の最大の効力だろう。季語は永遠と瞬間を内包し、普遍性と個別性を同時に立ち上げる。そのアンビバレントな性質が、たった十七音の俳句に時空全体を包摂することを許したのだ。季語を詠み込むことによって、そこから新しい時間がはじまる。過去を踏まえ、未来へ向かって、世界が流れ出す。[ix]
ここで神野が述べている「反復」は、「堆積」よりも「循環」に近いニュアンスを帯びているように思う。私たちが着目したいのは、「永遠」と「瞬間」という両極に解消されることのない、そのあいだに横たわる膨大な「堆積する時間」だ。なぜなら、それこそが、私たちによって実際に生きられる時間だからだ。引用部の後で神野は「季語はそれのみでは、一回性よりも反復性の強いものだ」と述べているが、こうした「反復性」=「循環する時間」=「永遠なるもの」という連繋を突き崩すために、自らの〈庭〉に「歳時記的秩序への悪意」を文字通り「育てる」こと。これこそが、福田が「かまきり」という喩を使って試みた戦略である。
3.
章立てもなく大量の俳句と詞書が錯綜する『自生地』のテクスト空間は、鬱蒼としており踏み入りづらいが、一方で、それゆえに言葉/時間の多様性が保存されている。
けれど、と思う。もしかすると、時間というのは、まっすぐな線でもなければ円でもなくて、皿に盛りつけられたスパゲッティのようなものなのかもしれない。そう考えたら、僕は、とたんに、スパゲッティをうまく巻き取ることができなくなってしまった。
雑然とからまりあうスパゲッティは、まるでよしきりの巣を思わせる。僕は、よしきりの巣のような句集を編みたいと思う。それは、僕自身の、あの懐かしい古巣の記憶にも通じるものになるだろう。
ここでははっきりと、循環する「円」としての時間把握への懐疑が言明されている。雑然と「皿に盛りつけられたスパゲッティ」のような時間とは、長い時間をかけて「堆積」されていく時間にほかならない。
さらに、同時に直線的な時間の捉え方が否定されているように、それは決して生まれてから死ぬまでの、あるいは俳句を書き始めて上達していく過程としての時間——すなわち編年体によって再現できると信じられている「まっすぐな線」としての時間——とも異なることに留意しなければならない。
この特異な時間観は、『自生地』上梓の前年(2016年)から「オルガン」の同人として共に活動を開始している鴇田智哉が、第二句集『凧と円柱』(ふらんす堂、2014年)のあとがきに記した「心の編年体」という印象的なフレーズと無関係ではないと思う。
とはいえ、いわゆる編年体と違う。句はどれも、それが生まれた年によってでなく、心における前後に照らされて、配置された。
心は、以前にも以後にもうつる。それは感情に限らず、見える、聞こえる、匂うといった感覚に関しても。ときに心は、未来の出来事を先に見ることでさえ、ある。——今のこの出来事は、いつか遠い昔にも見えていたし、これからずっと先にも、また新たに聞こえ続けるだろう——
この句集はいわば、心の編年体による。[x]
句が「生まれた年」に基づいて順に並べられる「いわゆる編年体」とは異なり、「心における前後」に照らされることで配列される「心の編年体」。物理的な、計算可能な時間ではなく、こうしたいわば生きられる時間としての複雑な時間感覚を、句集のテクスト配列——すなわちテクスト空間の〈作庭〉——によって意識的に再現しようとする鴇田の試みが、『自生地』に多大な影響を与えたことは十分考えられる。
僕があらためて書くことのできるものは、結局のところ、僕がいまだに捨てられずにいるものでしかない。だから、ついに現実味を帯びることになった句集の制作を、僕は、六年前にとあるアンソロジーに収められた僕自身の作品をこの手で書き写すことからはじめることにした。
句集をまとめたいという望みはかねてからのものだったけれど、それが具体的な計画として動き出したことは、必ずしも僕自身の意志によってではなかった。かつて書いたページをすこしだけ生きなおし、また生きなおし損ねながら、胸のなかにうまれる苦しいざわめきは、けれどそのせいではない。
上田信治はこれらの句集最序盤に登場する詞書について、ここでは「「作者として福田若之が生きて体験した時間」を「編者として現在の自分が追体験」している」と述べる。これは非常に的確な診断であり、私たちがこれまで述べてきたメタテクスト性のほとんどは、この「作者」と「編者」の意識的かつ方法論的な〈ずれ〉に端を発している。
私たち読者は、彼が二十代の前半で書いた句を、現在の福田の目を通して読むのだけれど、それは、その句がかつて生きられたものとして他人ごとではなく読むという、読書体験だ。[xi]
『凧と円柱』ではあとがきによっていわば事後的に読者へと手渡される配列の意識的な〈ずれ〉が、『自生地』においては句集の冒頭から大量の詞書によって宣告され、編者・福田によってリアルタイムで実況されていく。句は「生まれた年」によって配列されるのではなく、編者である「現在の福田の目を通して」「生きなお」される過程に沿って並べられる(もちろん、詞書の語り手と著者である福田をまったく同一視することはできない。だが、『自生地』のドキュメンタリー性(≒私小説性)は絶えずその読みを喚起する。上田と同様、ここではあえてその誘惑に乗っている)。
掲句に戻ると、掲句における「無色の街」に取り残された〈僕〉と「セカイの外へ帰省」した「君」は、句集の主体と読者の写し鏡であると同時に、作者・福田と編者・福田の〈ずれ〉を投影した存在であるともいえる。
「書く主体」と「編集する主体」のあいだの〈ずれ〉を積極的に前景化することによって、循環する「円」としての時間を否定しつつ、同時に、編年体による「まっすぐな線」としての時間の復元をも攪乱すること。それが編者・福田若之の戦略であり、至上命題だった。
4.
たしかに、一句一句がもし植物的なものであるとすれば、それらの句はきっとそれらに固有の自生地を持つだろう。だが、そこであらたに立ち上がる問いは、この自生地にいかに繁殖しつづけるかではなく、この自生地からいかに出発するかということだ。
一句一句がそれぞれに持つ「固有の自生地」を尊重し続けること。それは、園路に芽吹いた花々を保存するために、そのつど園路を迂回させ、庭のプランを変更するクレマン流の作庭と非常に似通っている。クレマンが〈庭〉を「絶えざる変化が生じている特別な土地」と規定するように、〈動いている庭〉は目指すべき終局を持たず、その形態はつねに過程として現れ続けるしかない。ゆえに、〈庭〉である『自生地』は句集編集のドキュメンタリーという形式を取らざるをえなかった。
風に吹かれた草の種が、その綿毛をひろげ、散り散りになって宙に回りはじめる。まもなく、かまきりがそれを追い、あたらしい土地に向かうだろう。
批評家の山本浩貴が述べるように、福田にとっての「自生地」は、「開拓と移転を同時に目指されるべき」両義的な土地の名である。
繰り返される制作は、〈かまきり〉の虚構性を繁茂させていき、〈網の目〉は開拓と移転を同時に目指されるべき〈自生地〉の草の匂いを纏い始める。/《かまきりもどき金網に絡む草》。「植物的な」句らは寄り集まり、さらに多彩で「固有」な生態系の立地を見出すだろう/《語彙が場を奪いあう八月の川》《遥かに象のすがたが煮えたぎる建国》《意味し草いきれてしんとするひろがり》。[xii]
「開拓と移転」という運動性のなかで、「自生」した句たちは、風に乗って「あたらしい土地」へと向かう。福田は確実に、「植物が移動し、遷移することを可能にするような、堆積する時間」を求めていた。
僕は句集を編むことばかり考えてきたつもりだった。句集を編んでいるつもりだった。けれど、いまやそれを撤回しなければならない。僕は句集を編みたいのではなかった。僕は句集を、結晶させたかったのだ。
僕はたしかに、これらの句を、いつか自分の句集をものにしたいと思いながら書いていたように思う。けれど、これらの句を書きながら、自分の句集がこんなかたちに結晶するなんて、まったく思いもしていなかった。僕は、いま、かつての複数の僕に、いっせいに不意打ちをくらわされている。
だが、句集の終盤では突如「結晶」という言葉が使われ始める。「結晶」とは、積み重ねの結果としてひとつの静的な状態へと至ることを指しており、「絶えざる変化」が生じる場としての〈庭〉とは相容れないはずの言葉である。こうした「結晶」への願望について、福田のなかで大きな心境の転回があったというよりは、本という媒体の持つ原理的な限界が要請した「撤回」であると見るべきだろう。適切な管理さえすればいつまでも繁茂し続ける〈庭〉と違って、本はいつか閉じられなければならない。というよりも、本は閉じられることではじめて本になる。福田はこうした編集作業の物理的な打ち切りが差し迫った段階において、「結晶」というゴールへと駆り立てられていくことになる。
後者の詞書では、先ほど述べたようないまの「僕」と「かつての複数の僕」とのあいだにある〈ずれ〉について言明されている。こうした〈ずれ〉によってもたらされた「雑然とからまりあうスパゲッティ」のような多層的な時間は、しかし、句集の完結を以て「結晶」することを迫られる。まるで喫茶店の軒先に展示された食品サンプルのように。
孵る。それは、二度と戻れない仕方で帰るということだ。別の自生地に。
やわらかいかまきりのうまれたばかり
福田は書名を『自生地』に定めた時点で、句が「この自生地にいかに繁殖しつづけるかではなく、この自生地からいかに出発するか」という問いに直面していた。句集編集のドキュメンタリーは「自生地」という〈庭〉の作庭作業とアナロジーであり、彼は庭師としてそこに人為的に関わることで、言葉の多様性を育んでいた。だが、句が「繁殖しつづける」ことではなく、一冊の句集として「結晶」することが目指されるとき、ある時点で「開拓と移転」は打ち止められなければならない。庭師は、かまきりたちと共にその土地を立ち去らなければならない。
だが、僕は、ここに名を挙げないほかのひとびとに対しても、なによりこの句集を出版すること自体が感謝の表明となることを望んでやまない。あれらの句がこの地にこうしたかたちで自生するために必要だった、数えきれないほどの機会を与えてくれたひとびとのそれぞれに。草むらは、今夜も、そこにない無数の名の名残りである。それゆえ、僕はここで言葉を失う。
そうして、言葉を失った「僕」が、かつて「君」がそうしたように「二度と戻れない仕方」で「セカイの外」=「別の自生地」へと「孵る=帰る」とき、はじめて「セカイ」は一つの閉じられた「世界」として結晶する。
5.
句集にするのに、紙は、よく日に灼けるものがいい。見せかけだけの永遠なんて、もううんざりだから。
だが、結晶した本には、ふたたびひらかれ、「見せかけだけの永遠」を突き崩す契機が仕掛けられている。この「よく日に灼ける」紙質は、本稿の冒頭で述べたような「書体」や「書名」とは違い、一目で判断できるものではない。それは、読まれ、読み返され、あるいは一度も読まれることなくずっと本棚に置かれている、その長い時間のなかではじめて発現する。この詞書の後に〈書物の中で黒い花火として褪せる〉〈おのずから菊が壊れてゆく過程〉〈書物を侵す日の暮れの雁の群れ〉といった句が並ぶことからもわかるように、日に灼けやすい紙質は「書物」が「褪せ」て「壊れてゆく過程」を読者に体験させるためにこそ選択されている。
『凧と円柱』と同じく、あとがきにおいて「編年体にはしなかった」と言明されている千種創一の第一歌集『砂丘律』(青磁社、2015年)は、粗く日に灼けたような紙質、背表紙から表紙にかけて貼られたガーゼのような布地、その上に貼られた「千種創一歌集 砂丘律」と印刷された黄色いラベルなど、あえて脆く設計された造本が大きな特徴となっている。それはひらくたびに傷み、どんどんと壊れていく。
[…]感情を残すということは、それは、とても畏れるべき行為だ、だから、この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う。[xiii]
ほとんど同時期に編まれていたであろう『自生地』と『砂丘律』における、本という媒体および〈紙〉の脆さへの着目という共通点は非常に重要だ。「結晶」することは同時に壊れはじめることであり、本は閉じられると同時にひらかれはじめる。千種が書名に選び取った〈砂丘〉もまた、定まった姿かたちを持たず、「絶えざる変化」に曝されている土地の名であるということは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。
このようにして、一度結晶した「自生地」という名の〈庭〉は、ふたたびその身に時間を堆積させはじめる。私たちに光の下で何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつか無になるその日まで。
今度は、私たちが庭師になる番だ。
(柊木快維)
【参考文献】
[i] 前島賢『セカイ系とは何か』(星海社文庫、2014年)
[ii] 高山れおな「福田若之『自生地』を読む」(「週刊俳句」2018.3.25〈https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/03/blog
post_22.html〉〈最終閲覧:2026.6.3〉)
[iii] 福田若之『自生地』(東京四季出版、2017年)
以下、とくに注記がない場合は『自生地』からの引用とする。
[iv] 『広辞苑』第七版 項目:「自生」
[v] 宇野常寛『庭の話』(講談社、2024年)
[vi] 松浦寿輝『知の庭園——19世紀パリの空間装置』(筑摩書房、1998年)
[vii] 山内朋樹「新しい庭は人間なしでつくられるのか——ジル・クレマンの庭とその思考」『あいだ/生成』第2巻(https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/b203d19f-cac2-437d-a7b8-e37069468a60/content)
[viii] 坪内稔典「定型詩の夢」『世紀末の地球儀』(海風社、1984年)
[ix] 神野紗希『俳句は肯定の文学——口語・他者・偶然』(朔出版、2026年)
[x] 「あとがき」鴇田智哉『凧と円柱』(ふらんす堂、2014年)
[xi] 上田信治「いちばんポップでシリアスな彼——福田若之『自生地』」(「週刊俳句」2018.1.21〈https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/01/3.html〉〈最終閲覧:2026.6.3〉)
[xii] 山本浩貴「句(集)によりオブジェ化された時空らが上演する制作のデモクラシー」『新たな距離』(フィルムアート社、2024年)
[xiii] 「あとがき」千種創一『砂丘律』(青磁社、2015年)
【サークルプロフィール】
愛媛大学俳句研究会
俳都・松山を拠点に活動中。現在、会員19名。主な活動は週1回の句会に加え、ときどきの連作句会・吟行・読書会など。下部組織に「深夜散歩部」「フリスビー部」「凧揚げ部」などがある。BOOTH(https://booth.pm/ja/items/7629894)にて機関誌『蜜柑』を絶賛発売中なので、よろしくお願いします。
【執筆者プロフィール】
柊木快維(ひいらぎ・かい)
2003年高知県生まれ。愛媛大学俳句研究会・新京大俳句会・「noi」・「浮遊」。
第5回全国俳誌協会新人賞、第9回俳句四季新人奨励賞受賞。