秋茄子の漬け色不倫めけるかな 岸田稚魚【季語=秋茄子(秋)】


秋茄子の漬け色不倫めけるかな

岸田稚魚
(『筍流し』)

 秋茄子は、エロティックな形をしている。夏に収穫される茄子は、小振りで真っ直ぐだ。濃紺というよりは黒光りしていて燕尾服を纏った真面目な紳士を思わせる。皮も果肉も硬く油の吸い込みも悪い。冷やして生のまま食べると瓜とも違う甘みや食感がある。青臭いところもまた夏の茄子の魅力だ。一方、秋茄子は太っているし曲がっているし、歪なのだが、煮ても焼いても食える万能性がある。秋茄子の持つ魅力は、人間でいうところの熟しているところだ。ふくよかであること頑なでないこと曲がっていることは、男女が深い恋をする上では、大切な条件である。

 不倫とは、人道に背く男女の恋のこと。結婚している男性、あるいは女性と関係を持つこと。恋心を抱くだけでも許されない。不倫という言葉に抵抗を持つ人は多い。それは、当然のことである。永遠の愛を誓った伴侶が他の異性に夢中になるのだから。だが、世の中は芸能人の不倫の恋で沸き立つ。してはいけないことをしていることが許せないし理解できないという人が多い一方で、面白がりつつも羨ましく思っている人も多いだろう。私も若い頃は不倫報道に嫌悪感を抱いた。愛してくれる伴侶が居ながらもよそ見する恋愛観も人のものに手を出す行為も。

 残念なことであるが、文学部時代に好きになった小説家が立原正秋であった。ひと世代ほど前の流行作家なのだが、先輩より勧められて読んでしまった。ドラマや映画となり話題となった『残りの雪』も『春の鐘』も不倫小説。学生の頃は、渡辺淳一の『失楽園』も流行っていた。いやいや、高校時代から谷崎潤一郎とか三島由紀夫も読んでいたし、『伊勢物語』や『源氏物語』も不義密通の嵐である。大好きな『古事記』もまた近親相姦や不倫により戦が勃発する。文学が好きな時点で不倫なのだ。

 同級生と恋をして結婚して子供を育てる。幼い頃から夢見たこと。それがとても難しいことだと知ったのは二十歳を過ぎた頃。いつも一緒に過ごして、旅行に行って写真を撮って、手作りのお弁当を広げる。こんなささやかな願いを叶えてくれる恋人に出逢えなかった。それは、私に男を見る目が無かったからだ。小説の中の女性も私と同じような淋しさを抱え、心を満たしてくれる男性と不倫の恋をする。さらには、女性はお肌の曲がり角になる25歳を越えると狂おしいほどの疼きが芽生える。女の体を熟知している大人の男性に溺れてしまうこともあるのだ。不倫の言い訳には全くならないが、既婚の男性には一定の需要がある。

 男性もまた、失われゆく若さへの焦りや家庭での疎外感、仕事の躓きなどから不倫に走ることかある。浮気の後ろめたさから妻に優しくなり家庭円満になったという言い訳もよく聞く。女性にもそういうことはあるらしい。配偶者以外の異性と恋をしたことにより忘れていた思いやりに気が付く。恋と結婚生活は違う。どちらが大切かということも改めて考える機会となる。だが、配偶者から愛され尽くされていることを知りつつも危険な扉を開けるのならば、闇の中で終わらせるべきだ。愛されていればの話だが。

 愛に飢えている男女が惹かれ合い、全ての罪を背負う覚悟で正々堂々と愛を宣言し、所定の手続きを踏んだのであるなら世間は許すのである。祝福はされないのだが。

 そうではない不倫もある。お互いに離婚する気もなく恋を楽しむ関係。男女は、目と目が合った瞬間に恋に落ちる。それは、止められない衝動。性交を表す古語の「まぐあひ」は「目合」と表記する。惹かれ合う想いはどうしても性交へと向かう。若さも老いも生活環境も関係ない。ただ結ばれたい。利口な人は、恋は恋、結婚は結婚として区別し、箱の中に収めてゆく。社会の箱からはみ出すような理性を失うほどの恋ならば、終着点まで行けば良い。人として生きていく以上、守るべきものを見失ってはならない。お互いに守りたいものがある場合は、闇の中の出来事として墓場まで背負うしかない。

  秋茄子の漬け色不倫めけるかな   岸田稚魚(『筍流し』)

 作者は、人間探求派であった石田波郷の弟子。境涯俳句だけでなくスマートな一面も持つ。〈めける〉と表現していることから実際に不倫をしていたわけではないのだろう。50代の頃の句なので、何とも言えないが、老いの焦りや宴席での話題から〈不倫〉という言葉が浮かんだのだ。坪内稔典氏は掲句を高く評価した。俳句で〈不倫〉を詠むのは勇気がいる。茄子漬の描写として、ざわざわしながらも「そんなものなのかも」と思わせてしまう狡さが心地良い。男性には人気の句である。

 諺の「秋茄子は嫁に食わすな」には、二通りの解釈がある。秋茄子のような美味しいものを嫁に食べさせたくないという嫁いびりの解釈と、秋茄子は身体を冷やすので子宝を望む嫁には良くないという健康への気遣いの解釈である。茄子は夏の季語であり、梅雨明けの頃から出回るが、秋のほうが美味しい。盆を過ぎた頃の茄子は、皮も柔らかく実もふくよかだ。味噌汁にしても油で炒めても旨い。8月も終わりになると涼しくなるので糠漬けにするのも良い。瓜や茗荷と一緒に浅漬けにしても、香りや味が染みて涼味がある。嫁に食べさせたくないほど美味しいのも確かだ。現在では、健康への気遣いの解釈が優勢である。茄子の果肉が身体を冷やすことや種が少ないことから子供に恵まれなくなるという迷信等も含めて姑の嫁への配慮と捉えたほうが納得できる。秋になると茄子は、食べきれないほど収穫できるので惜しむ必要はないのである。

 秋茄子は、漬物にすると変色しやすい。変色しない方法もあるらしいが、少々褪せているぐらいが味わい深い。太って曲がった秋茄子は、漬物にするとしなやかな曲線を持つ。褪せた色も激しい主張をしない安らぎを感じる。子育てを終えた男女がしっとりと身体を寄せ合い肉体の味を噛みしめるようなそんな雰囲気がある。恋をするには不適切な年齢に差し掛かった不倫は、いわば最後の恋なのだ。漬けられた茄子の肌の色は淡くも闇を宿している。不倫の闇でありつつも心の通い合う深みがある。若くない茄子が生活の塩気に揉まれ、柔らかく箸を染めてゆく。こういう不倫が一番危険なのだ。ずるずると後を引くから。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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