暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり
鈴木六林男
(『谷間の旗』1955年)
鈴木六林男は、2004年12月12日逝去。前々回に書いた桂信子と数日違いで亡くなっていて、当時この関西俳壇の重鎮の立て続けの訃報に驚いた覚えがある。掲句は、第二句集『谷間の旗』の第一章「遠き背後」(昭和23年から25年末までの作)所収。六林男の句のなかでもよく知られている作品の一つではないかと思うのだが、いまだ解釈に定説がないようである。以前「現代俳句データベース」に持ち回りで鑑賞を書いていたときにもこの句について書いたのだけれども、その頃と今とでは何が違うのか、と言われれば、戦争を重く経験した世代のマスからの退場による、彼らの存在が底支えした日常の言外のもろもろのコモンセンスの喪失であろう。たとえば、それがなければ、戦場で実際に死傷者を出し、生きた人間を抱えて沈んだ実在の戦艦の名前をしょった美少女キャラが戦うエンタテインメントのアニメが大々的に商品化されるような状況は起きないだろう。時代の流れと言ってしまえばそれまでだけれども、人為は、そうシンプルなものとも思われない。そのような時代の変化から、以前鑑賞文を書いたときとは違う読み方を考えてみたとき、もしやこの句の「暗闇」とは、六林男のセンスにとって「闇」と映った彼自身の自意識とか、彼を抑圧する言外の時代のもろもろだったのではないか、という仮定を立ててみたくなった。その場合、「濡さず」は「曇りなき」の言い換えであり、「泳ぐ」は「世間を渡る」くらいの意か(いささか宮崎アニメの主人公男子めく)。そもそも、暗闇を泳ぐのなら人の行為としては現実離れしていて、実のみに限定されるような作りの句とは思われない。それは金子兜太の「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の青鮫が、たしかに泳いではいるがそれは海ではない、というのに少し似ている。読みにくいのは「の」の仕事で、所在や動作の位置を示す「の中」の意味なら泳ぐ主体は人間と思われ、厳しい困難の中でも前へ進もうとする意志の暗喩的存在のようにも読めるが、これが主格の「の」なら、「暗闇」そのものが動作主体になってくる。『谷間の旗』の序の冒頭部分で西東三鬼は、「鈴木六林男の第二句集を前にして、私は暗然としている。こゝにあるものは、戦後の三十年代の、傷ましい混乱の姿である。こゝにあるものは、俳句愛好者が己の内奥の叫びに咽喉をつぶした姿である。六林男といふ良心的な青年が「常にうしろめたさを覚え、罪の意識につきまとはれ」つゝ、俳句といふ手械、足械を曳きづる姿である。暗然たらざるをえない。」と書いている。三鬼が暗然たる気持ちになったように、たしかに句集中には戦後社会を反映した暗い用語が多い。してみると、「濡さず」という行為に、あえて前向きな能動性を読むのは、やはり無理筋かもしれないとも思う。かといって、暗闇に泳いで欲しくもないのだけれども。
「現代俳句データベース」http://haiku-data.jp/work_detail.php?cd=2863
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】