彎曲し火傷し爆心地のマラソン
金子兜太
(『金子兜太句集』1961年)
言わずと知れた、と言ってもいいのではないかと思われる、金子兜太の代表句であるが、これが兜太のサラリーマン生活の副産物であることは案外に知られていないらしい。この句は日本銀行に勤めていた兜太が長崎に赴任していた時代の作品である。すなわち「爆心地」は実証的には長崎をさすが、これを作家の手から放して「グラウンド・ゼロ」に置き換えれば、そこがニューヨークであっても差し支えはないのだろう。「わんきょくしかしょうしばくしんちのまらそん」は破調ゆえ音の切りどころは読み手で微妙に異なるかもしれないが、二つの「し」の脚韻と、「彎曲」「火傷」「爆心地」という熟語の音読みによってリズムと力強さが表現されていて、「わんきょくし/かしょうし/ばくしんちのまらそん」と意味で切って読むと良い具合にリズムも乗るように計算されている。もしこれを無理矢理に五七五に寄せれば、「わんきょくし/かしょうしばくしんちの/まらそん」で五・十・四というくらいになりそうだが、この句を無理矢理定型に落とし込むことにあまり意義はないように思う。ついでに、「爆心地」だから夏だ、というのも、あまり賛成できない。この夏のオリンピックで問題になった通りで、日本の夏にマラソンなどできたものではない。それよりなによりこの句は、音のリズムと意味のたたみかけの調律が俳句の外の世界に向かって効いているところがストロングポイントなのであり、過去/現在、死/生、静/動、虚/実等々、様々な意味の折り重なりを背後に控えさせつつ、過去の原爆投下という人類の罪業の最たる行為、巨大な死の塊の幻影と、眼前の現実の生身の人間のマラソンの躍動が重なり合って一つの句として合成されている。ついでに言えば、今を走る連続としてのマラソンランナー-の躍動は、未来へ引かれたラインでもあるのだろう(その辺が戦後日本の気分をうまくつかまえてはいないだろうか)。この幻影と現実および生と死の重なり合いという点で言えば、兜太の別の代表句「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」も同じような構造を持っていて、これらは意味で俳句を作るスタイルで写実を逸脱する方法の一つのお手本ではないかと思う。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。