俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第25回】沖縄・宮古島と篠原鳳作

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【第25回】
沖縄・宮古島と篠原鳳作

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


宮古諸島は沖縄本島から南西へ320キロ(空路45分)。毎年台風の通り道となるが、群青の海と白い珊瑚礁が美しい。起伏の少ない地形に甘藷畑が広がり、十月初め、1000キロ離れた鹿児島県・佐多岬からサシバが渡ってくる。

宮古上布で知られ、300年にわたる貢納(人頭税)の悲話も語り継がれる宮古島の平良市が行政、経済の中心地。

沖縄の海

しんしんと肺碧きまで海の旅     篠原鳳作

荒波に這へる島なり鷹渡る      篠原鳳作

鳳作の魂とも昼咲き月見草 (鳳作句碑)中村苑子

宮古悲史の人頭税石暮れかねる    石原八束

藍滲む宮古上布の砧盤        飯島晴子

機始窓を珊瑚の海へ開け       大城幸子

海の紺ゆるび来たりし仏桑花     清崎敏郎

「海の旅」の句は、篠原鳳作が三年半の宮古中学校教師の勤めを終えて、鹿児島に向かう船旅の中でイメージし、「海の旅」連作として発表。大反響を博して鳳作の代表作となり、無季俳句の頂点とも言われる。同時作に〈満天の星に旅ゆくマストあり〉がある。永年病床にあった川端茅舎の〈いかづちの香を吸へば肺しんしんと〉に着想を得て、新しい感覚と力強い表現で全く別の香気ある作品として生み出した。平良市カママ嶺公園と指宿市・長崎鼻に「海の旅」の句碑がある。

仏桑花(撮影=倉田有希氏)

「青海原の〈青色〉が肺の透明な空気と混じり合わされて、碧色(サファイア色)になるという見事なまでの色彩表現。『しんしんと』は深さと静けさ、波音と風音だけが支配する海の世界が持つ独特な深く荘厳な静けさを象徴し、この句に更なる格調の高さを与えている」(前田霧人)、「鳳作は英詩からヒントを得たと語ったが、詩的香気の強い句である」(横山白虹)、「無季の先駆的作品で、無季の世界(俳句)が在らねばと確信した」(高屋窓秋)、「有季信奉者の俳人からも好感を持たれた句」(岸本マチ子)との評がある。

鳳作は、明治39年(1906年)、鹿児島市生まれ、本名は国堅。父は西南戦争にも参加した医師で、両親とも敬虔なキリスト教信者だった。

鹿児島県立第二中学校(現甲南高校)、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部に入学した20歳から「雲彦」の俳号で俳句を始める。〈夜々白く厠の月のありにけり〉で「ホトトギス」に初入選した。

昭和4(1929)年、大学を卒業するも、生来の病身に加え、無二の親友の死に伴う結核への恐怖のため就職をせずに帰郷し、地元の俳句会に入会し、全国の俳誌に投句等を行う。昭和六年大阪毎日新聞主催「日本新名勝俳句」に応募し、「海岸の部」錦江湾で〈春潮や生簀曳きゆくポッポ船〉にて銀牌賞を受賞する。

同年姉の嫁ぎ先の沖縄・那覇市で、折しも、開校間もない宮古中学の校長からたって望まれ、公民・英語担当教師として赴任した。鹿児島から船便で沖縄本島を経由し五日もかかる島。見渡す限りの甘藷畑の真ん中にポツンと立った島初めての鉄筋コンクリートの白亞の新校舎であった。

最高学府を出た学士として生徒の敬愛を受け、授業に精を出すのみならず、課外で詩歌、図画を教え、行進歌も作詞作曲し、いまでも宮古高校で歌い継がれている。

蛇皮線をかかへ歩ける涼みかな〉(「京鹿子」巻頭)、〈炎帝につかへてメロン作りかな〉(「天の川」巻頭)等俳句各誌にも投句を続けるが、次第に吉岡禅寺洞の「天の川(福岡)」、自身が代表の同人誌「傘火」(鹿児島)に絞っている。

篠原鳳作句碑(沖縄アーカイブ研究所)

三年半後に島を離れ、母校第二中学校の教師となる。翌昭和10年1月、鹿児島銀行頭取前田兼宝四女秀子と結婚。俳号も「鳳作」と変え、無季俳句に本腰を入れ、実作、論評の両面に精魂を注いだ。「季題なき世界こそ新興俳句の開拓すべき沃野であり、機械美、力学美、更には社会的感覚を詠ずべき」「俳句で第一義的なものは花鳥でも季感でもなく高翔する魂のはばたきである」「新興俳句の第一人者たらん」等々薩摩隼人の面目躍如たる一途さであった。

家庭的にも妻と睦まじい生活を送り、翌昭和11(1936)年には長女静子も生まれたが、徐々に体調を崩し9月17日、容態が急変、心臓麻痺で急死する。享年30歳。辞世は、〈蟻よバラを登りつめても陽が遠い〉。親交が深かった西東三鬼は〈葡萄あまししづかに友の死をしかる〉の弔句を残している。死後35年後の『篠原鳳作句文集』をはじめ、『篠原鳳作全句文集』『篠原鳳作の周辺』(宮古中学卒業生編)他の数多くの関係書が出版されている。

「無季俳句作品化の実践は、この一地方俳人の手によって口火を切られた」(平畑静塔)、「今日までの無季俳句中、最も見るべき価値を有し、無季俳句の第一の作家」(水原秋櫻子)との評価を受けた。

伊良部大橋と宮古ブルー(沖縄観光コンベンションビューロー)

昭和10年4月、「天の川」誌上での無季俳句宣言以後、意欲的に挑んだ連作「高層建築」「ルンペン」「起重機」「ラッシュアワー」「昇降機」等の作品は、今となっては色褪せた感がするものの、海洋ものや妻の懐妊、長女誕生という生命力賛歌の句から感じる青春性、清々しい抒情性、感性はひときわ眩しい。

鹿児島で「傘火」の鳳作とは良きライバルであった「仙人掌」の前原東作の「鳳作は無季俳句と言うよりも、俳句近代派の詩人であった」との語りに深く頷かざるを得ない。

浜木綿に流人の墓の小ささよ

ふるぼけしチェロ一丁の僕の冬

鉄骨に夜々の星座の形正し

一碧の水平線へ籐寝椅子

我も亦ラッシュアワーのうたかたか

高千穂の雪の照る日を新めとり

あぢさゐの花より懈くみごもりぬ

一塊の光線となりて働けり

吾子たのし涼風をけり母をけり

薩摩隼人らしい一徹を貫き通して夭折した、無季俳句の輝く星として永遠に語り継がれる俳人である。

(「青垣」23号より加筆再編成)  


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

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【第23回】木曾と宇佐美魚目
【第22回】東山と後藤比奈夫
【第21回】玄界灘と伊藤道明

【第20回】遠賀川と野見山朱鳥
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