俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第1回】吉野と大峯あきら

【第1回】吉野と大峯あきら

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

吉野は、紀伊半島の中部の吉野川流域地域。古くから離宮(吉野宮)があり、持統天皇に供奉した柿本人麻呂等の宮廷歌人の歌が『万葉集』に記録され、中世には、後醍醐天皇の行宮が置かれ南北朝戦乱の舞台となった。金剛峯寺(本堂蔵王堂)は大峯・熊野と連なる峰の修験道(大峯奥駈道・峰入り)の行場の中心でユネスコの世界遺産である。

桜の名所として知られ、山裾から下千本、中千本、上千本、奥千本とほぼ一か月にわたり咲き上る。西行庵、天武天皇を祀る浄見原神社に奉納する国栖奏、五条市阿田の雛流し、伝統の自然生薬・陀羅尼助が名高い。吉野川沿いには東熊野街道、伊勢街道(紀州藩参勤交代道、お伊勢参り道)があり、上流一帯には日本三大美林の吉野杉が広がる。

帰り来て吉野の雷に座りをり   大峯あきら
吉野にて桜見せうぞ檜笠     松尾芭蕉
歌書よりも軍書に悲し吉野山   各務支考
山又山山桜又山桜        阿波野青畝 
戸を持たぬ西行庵に花ふぶく   岩崎照子
陀羅尼助軒端の燕孵りけり    水原秋櫻子
目つむれば蔵王権現後の月    阿波野青畝 
これやこの峰入口か初蕨     能村登四郎
国栖奏や白木の笛の高しらべ   大橋敦子
夕方の顔の爽やか吉野の子    波多野爽波
もう追へぬ遠さとなりぬ流し雛  平田冬か
揚羽より速し吉野の女学生    藤田湘子 

〈帰り来て〉の句は、第一句集『紺碧の鐘』に収録。自註に「昭和四十七年、ドイツ最古のハイデルベルク大学での二年間の留学を終え吉野の自宅に帰宅、二三日した頃猛烈な雷雨の歓迎を受け、生まれて初めて帰郷の実感を噛みしめた俳句開眼の句」とある。「強い緊張関係にあった宇宙が調和の相へ移る、つまり作風の転機になった」(田中裕明)、「滝に打たれるようにその光と音を浴びながら作者は何を考えているのだろう」(加藤かな文)等の鑑賞がある。

吉野山上千本から蔵王堂、遠く葛城山・二上山(撮影著者)

大峯あきらは、昭和4(1929)年奈良県吉野郡大淀町生れ、代々の名刹・浄土真宗専立寺住職、哲学者(フィヒテ、西田幾太郎研究)で大阪大学教授等を歴任した俳人。 

旧制畝傍中学時代に先輩阿波野青畝の選を受け俳句を始め、昭和25(1950)年京大時代「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事、同28年波多野爽波主宰「青」に創刊参加し、第一回「青賞」受賞、同59(1984)年「青」同人を辞して、宇佐美魚目、岡井省二と同人誌「晨」を創刊し代表同人となる。その間、句集『紺碧の鐘』『鳥道』『月讀』『吉野』を上梓し、「人間のみならず、世界の全ての物は季節の内にある。季節とは、我々の外にある風物でなく我々自身を貫いている推移と循環のリズム」との「季節のコスモロジー」の俳句観を展開実践した。

平成6(1994)年より毎日俳壇選者となり、第六句集『宇宙塵』で俳人協会賞、同第八句集『群生海』で毎日芸術賞、詩歌文学館賞受賞。平成27(2015)年第九句集『短夜』で蛇笏賞、小野市詩歌文学賞を受賞。平成30(2018)年逝去。享年88歳。著書には『花月のコスモロジー』『君自身に還れ 知と信を巡る対話』『自然の道理』等々がある。

「芽吹きの春、衰退の秋、そんな宇宙の動と静の一瞬を捕える句境」(宇多喜代子)、「吉野の在住者として無意識の底に、その自然歴史文学が混然と溶解気化した様な状態が存在する。その上質で清々しい美意識が、温かくやさしい肌触りをもって一句一句ごとに確かな存在を伝える」(飯島晴子)、「句集には人間存在の一番懐かしいみなもとがある」(前登志夫)、「大峯俳句の根本には、授かった命の肯定、観念でなく身近なものとして、宇宙を捕らえる大きな秩序の中に自分自身が置かれているという意識、加えて恵みだけでなく大災害も齎す自然を受け入れ、その中で生きる人間への信頼を感じさせる」(片山由美子)等々の評価がある。

フィヒテ全集鉄片のごと曝しけり
難所とはいつも白波夏衣
花咲けば命一つといふことを
ふろしきの紫たたむ梅の頃
まだ名なき赤子にのぼる山の月
みづうみに四五枚洗ふ障子かな
人は死に竹は皮脱ぐまひるかな
茶が咲いていちばん遠い山が見え
草餅や吉野の雨のまだ寒く
花どきの峠にかかる柩かな
花野よく見えてゲーテの机かな
(イエーテ近郊ドルンブルグ)
厳寒の地はうち震ひ月は照り
(阪神大震災)
虫の夜の星空に浮く地球かな
秋風やはがねとなりし蜘蛛の糸
金星の生まれたてなるとんどかな
蜩の一本道を来りけり 
一瀑のしづかに懸り山始
日輪の燃ゆる音ある蕨かな
はかりなき事もたらしぬ春の海
(東日本大震災)
いつまでも花のうしろにある日かな
昼ごろに一人通りし深雪かな

人間は宇宙の中心ではなく、すべての者たちと共に、広大無辺な宇宙内に存在する物の一つであるという俳句観を常に意識し実践する稀有な俳人で、存在感があった。

(「たかんな」令和元年5月号より転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


関連記事

サイト内検索はこちら↓

アーカイブ

サイト内検索はこちら↓

ページ上部へ戻る