ハイクノミカタ

而して蕃茄の酸味口にあり 嶋田青峰【季語=トマト(夏)】


而して蕃茄の酸味口にあり

嶋田青峰
(『青峰集』大正14年)


この時期、遠くの産地から運ばれてくるトマトと、近隣の畑で採れているトマトではまったく味が違う。もちろん後者が段違いにおいしく、前者は味がない。ただし、後者は時期を過ぎれば店に並ばなくなり、前者は年中同じ品質で売っている。要は必要にあわせてこちらが選択すれば良いだけの話なのだが、生まれて初めて食べるトマトがどちらかで、その人のその後の人生は少し違うことになるに違いない。前者が味がないといっても、自分が子供の頃よりよほどおいしくなっているとは思う。あの頃の学校給食のトマトなど、青臭く固くざらざらしていて食べられたものではなかったが、好き嫌いなく食べろという同調圧力は、そういうひどいしろものをおいしいと言って喜んで食べる者を善とし、まずいと言って残す者はすべからく悪であった。

嶋田青峰がこの句を詠んだころの日本では、まだトマトを生食することはそんに普及してはいなかったようである。明治から食用の栽培はされていたが、問題は特有の青臭さで、当時の日本人には、どうやらわたしの食べた青臭いトマトどころではない青臭みであったらしい。大正の洋食ブームで広まったと説明しているサイトもみたけれども、農林水産省の子供向けホームページには「トマトの需要が急激に伸びたのは昭和のはじめ」(注)と説明しているので、世に広まったのがいつからというなら、こちらが正解なのだろう。

さて、そんな青臭いトマトを食べた青峰の詠んだのが掲句。大正俳句の漢文訓読といえば何と言っても竹下しづの女の荒技「須可捨焉乎」が有名だが、「而して」ではじまるこの句の漢文訓読調は、青峰としては珍しい詠み方であり、かつ唐突。「それから」くらいの意味だが、こんなもってまわった言い回しにしたのは、やはりトマトのいつまでも口にのこった青臭い風味の威力の賜物だったろうか。なんらかの事情で青峰もこれを食べなければならない状況に追い込まれたにちがいない。その食後の感覚は、同時代の人でなければもうわからないだろう。逆に言えば、詠まれた当時のトマト経験者への共感性は高かったに違いない。青峰には他に「トマト作る日曜学校の生徒かな」「トマト一鉢に露台の色を集めけり」があるので、日曜学校でトマトをふるまわれでもしたのだろうか、と想像してみたりする。掲句のみが「蕃茄」なのは、冒頭の漢文訓読調との調和を図ったものだろう。漢字にすると、「トマト」「あかなす」「ばんか」などの読みがありうるが、個人的には「ばんか」で読んでおきたい。

(注)農林水産省「トマトは、いつごろから日本(にほん)で食(た)べられているかおしえてください。

橋本直


【橋本直さんのクールな句集はこちら↓】

❖目次
符籙二九三句
自跋
栞:鴇田智哉「フレームのクール」/阪西敦子「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」

貂の眼を得て雪野より起き上がる
生牡蠣をまの口で待つ人妻よ
コーヒーが冷めてワインが来て朧
幾らでもバナナの積めるオートバイ
南洋に虹じやんけんの一万年
文学にデスマスクある涼しさよ
死角よりふつと狼あらはるる


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【橋本直のバックナンバー】

>>〔88〕洗顔のあとに夜明やほととぎす   森賀まり
>>〔87〕六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡子規
>>〔86〕梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎
>>〔85〕麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ 長谷川素逝
>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
>>〔83〕体内の水傾けてガラス切る      須藤徹
>>〔82〕湖の水かたふけて田植かな     高井几董
>>〔81〕スタールビー海溝を曳く琴騒の   八木三日女

>>〔80〕鯛の眼の高慢主婦を黙らせる    殿村菟絲子
>>〔79〕あたゝかな雨が降るなり枯葎     正岡子規
>>〔78〕目つぶりて春を耳嚙む処女同志     高篤三
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり     橋閒石 
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔       川端茅舎  
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥       高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな     秦夕美
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>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜    大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
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>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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